トップWeb版新刊ニューストップ
Interview インタビュー 『君が代は千代に八千代に』の高橋源一郎さん
インタビュアー 鈴木 健次(大正大学教授)

高橋 源一郎
(たかはし・げんいちろう)

作家。1951年広島生まれ。横浜国大中退後、肉体労働に従事する。81年『さようなら、ギャングたち』(群像新人長編小説優秀賞)で作家デビュー。88年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞を受賞。ポップ文学の旗手として、多くの作品を発表するかたわら音楽、映画、マンガなど多岐にわたる分野とクロスオーバーした文芸評論、競馬コラムを執筆する。今年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞を受賞。




『君が代は千代に
八千代に』

文藝春秋



『官能小説家』
朝日新聞社



『日本文学盛衰史』
講談社



『ゴヂラ』
新潮社

鈴木 初めて高橋さんのお宅に伺ったとき、玄関を入ったら少女マンガが山のように積んであった。サブカルチャーの話を聞きにいったのだから、それは予想できないこともなかったけれど、予想外だったのは書架の隅に耕治人の本が入っていたことです。
高橋 好きなんです。『天井から降る哀しい音』とか。あれから十年、いや二十年近くたっているんじゃないかな。いやあ、お互いに若かったですね(笑)、考えてみれば。
鈴木 三島賞受賞の時、僕がテレビ・インタビューしたんですよ。その後で亡くなった八木義徳さんにお会いしたら、「この間の番組、面白かったね」って言われて、うれしかったんですが、続けて「鈴木さんが何か知らんけど、この小説はわからない、わからない、ばっかり言ってて」(笑)。
高橋 確かにそういう記憶はあるな(笑)。
鈴木 その番組で高橋さんは、これからはわかりやすいものを書く、来年はわかりやすくなりますって……。
高橋 言ってたけど、時間がかかっちゃった。
鈴木 今度『君が代は千代に八千代に』を読んで……。
高橋 大分わかりやすくなっているでしょ、自分ではそう思っているんですよ。
鈴木 わかりやすくなっているとは言えないけれど、高橋さんは前衛をやりながら売れっこになった。
高橋 この金曜日に伊藤整賞をいただきました。
鈴木 『日本文学盛衰史』ですね。三島賞の時は賞金をダービーに使ったという話でしたが、今度は?
高橋 あの時ダービーに百万円賄けると言った手前やらざるをえなくて、メジロアルダンの単勝を百万買ってしまって……。
鈴木 最後にまた差し返されたときですね。
高橋 そう、鼻差で。当たっていれば一〇・六倍で千六十万だったんですよね(笑)。それで、今度の賞金百万円どうするんですかっていわれて(笑)。いや、もういいです(笑)。ダービーは絶対外れるからやめます(笑)。もう勘弁してください、ですね。
鈴木 『日本文学盛衰史』に伊藤整賞はぴったりですね。
高橋 自分で自分の位置づけをするのは変なんですけれど、僕は自分では主流を歩んでいるんじゃないかと思
ってやっています。『日本文学盛衰史』が伊藤整賞をいただいて本当に面白いなと思ったんです。伊藤整の『日本文壇史』が下敷きにあって書いたものですからね。伊藤整はただ文壇史を書いたというよりも、日本文学の歴史を歴史家じゃなくて作家の立場で書くとどうなるかというおもしろさですね。あれは伊藤整氏が亡くなって現代まで書かれていないけれど、ほんとうは、その射程は当然、伊藤整自身にも及んでいるわけで、アウトサイダーの視点で見ていたわけじゃない。伊藤整は詩を書いていて、小説にきて、評論や翻訳もやっていて、いわゆる作家のスタンダードからいうとちょっとずれているかなという見方もあったでしょうね。でも、日本近代文学の歴史をみると、詩からきた人も少なくないし、言ってみればアウトサイダーが集まってつくったような宇宙です。そういう日本文学の歴史を考えると、それを一番受け継いでいるのは自分じゃないかという気持ちがあるわけです。
鈴木 伊藤整は射程の先に自分を置いていたけれども、高橋さんは、作家タカハシのところにR外が出てきたり、漱石が出てきたりというかたちで、自分を真ん中に置いて文学の運命というか、文学がいま置かれている状況を考えている。『官能小説家』と『ゴヂラ』にも漱石は出てくるし、R外も出てくる。問題意識と手法はここのところをずっと共通していますね。
高橋 日本文学はいま、伊藤整の頃に比べるとぐちゃぐちゃっと広がっていますね。彼が書いていた頃は文壇というものもあったし、文学史というものもありうるような時代だったけど、今はもう、文学史って何ですかという状態になっています。だからかえって文学史を書くのが新鮮になった。
鈴木 つい最近、野坂昭如さんが『文壇』という一種の自伝を出しましたね。消え去った文壇の回顧録…。
高橋 あれも面白かったんですが、射程は七〇年ぐらいまでですね、三島由紀夫が亡くなるところで終わっていますから。あの辺ぐらいまでだと思うのです、文壇とか文学という存在が建前上ではあっても存在していたのは。まだ正史というものがあった時代ですよね。いまはそういうものを考えようとも思わない。文壇もだれかが否定してなくなったというよりも、みんな興味がなくなって、それぞれの作家が自分の殻の中に入っていったということじゃないかと思いますね。『日本文学盛衰史』を書くときにいろいろ資料も調べたんですが、明治時代の最大の特徴は作家たちがよく会っているんですね。グループをつくって同人雑誌を出すというようなこともありますよね。本当によく会って、しゃべって、書いて、みんな同人の活動の延長みたいなものですね、明治の作家というのは。
鈴木 地理的な範囲もコンパクトですよ。本郷の界隈に作家が大勢かたまって住んでいるとかね。それからお互いの作品をよく読んでいますね。
高橋 狭さの中に熱気があった。狭いところに原子が集まって核融合反応を起こしているという状況です。今回、伊藤整文学賞を一緒に三浦雅士さんの『青春の終焉』がとりましたが、その三浦さんの論を、簡単にいうと、日本近代文学は青春という幻を追っていたということなんです。これは非常に的確な指摘で、青春というものに至上の価値があって、文学はその青春を描く。それ以降のマルクス主義の問題にしても、政治の問題にしても、いわば青春の価値を高めるものとしてそういうイデオロギーがあって、青春に象徴されるものと文学に象徴されるものが完全にダブっていた。小林秀雄たちとか、『文學界』の例にしても、みんな青春文学ですね。それがある日、変わってしまう。野坂昭如さんの『文壇』まではやっぱり最大のテーマは青春ですよね。七〇年代以降の世代にはそういう青春観が薄れてきている。青春の特徴というのは幾つかあるんですけれども、相手がいて、それが競う友人であったり、敵であったり、恋愛関係の対象であったり、相手との関係というもので文学が成り立っていたんだけれども、そんなものはどうでもよくなる。青春がなくなるのと、文壇がなくなるのと、青春の葛藤を描いた小説がなくなるのが全部一緒です。
鈴木 今は古井由吉さんの『忿翁』だったり、小島信夫さんの『各務原・名古屋・国立』だったり、老齢文学の時代で、作家はぶつかり合わずに個に沈潜した。
高橋 僕もそう思いますね。結局、ほぼ百年間、青春に象徴されるものがずっとテーマだったんですけれども、その後のテーマを見い出しかねている。だから僕は、古井さんや小島さんはすごいなと思う。そうでないものの可能性をわりと早い時期から見つけようとされている。
鈴木 古井さんの小説は主人公が一人称になったり三人称になったりしますが、結局は壮大なモノローグですよ。古井さんは私小説じゃない「私」の実験をしているといえるのかもしれない。
高橋 これまで文学は青春という強迫観念にずっととらわれてきたわけですね。若いときにデビューして青春を書いて、大人になると青春を回想したものを書いて、もっと年をとると現役の青春に対して旧青春がどう対立するかになる。結局ずっと青春を見ているわけです。古井さんを見ていると、そういうのはもうおしまいという感じがします。で、どうするかというと、やっぱり最後に残ってくるのは「私」の問題です。時代に関係なく存在しているものというと「私」だけですからね。そして、その問題に直面しようというときに、逆に老いが味方になっちゃう。青春の段階にいると、目の前の生々しい出来事に目を奪われて、本質を見失ってしまう。しかし、本質的な現場というのは「私」しかいないんですよ。
鈴木 その「私」をいままでの小説の約束にとらわれないで、いろいろな手法で追求しはじめているんですね。
高橋 それが面白いなと思います。僕もこうやって日本の作家たちが百年間苦しんできた歴史を振り返ってくると、彼らが現場とみなしたものが仮象だったと思わないと前へ進めない。『日本文学盛衰史』と『官能小説家』と、『ゴヂラ』はほぼ共通の関心のもとに書いたんですが。
鈴木 新刊の短編集『君が代は千代に八千代に』のこともお聞きしたいんですが……。
高橋 今度は全然違ったことをやろうと思ったんです。最初に決まっていたのが『君が代は千代に八千代に』というタイトル、結果はちょっと予定どおりじゃなかったけれど、政治小説を書こうと思っていたんです。
鈴木 とくに英語のタイトルのついた四篇など、政治というより性を書いたという感じがするんだけれど……。
高橋 政治を扱う場合、一つのやり方は政治について直接書くということですね。しかし、それだけじゃない。Mama told meは政治の季節から来た主人公が出てくるわけですね。言ってみれば政治の言葉にまみれた主人公です。主人公のモノローグは現代には通じない。時代からずれちゃったわけですから。その場合、政治的浦島太郎を現代にリンクさせる必要があったわけです。社会との関係を失った人間が、もういちど、冷たく固まってしまった感覚を取り戻して自分の言葉を見出すために、性的な関係を他人と結ばせてリハビリさせようと思ったんです。ところが、政治的な言葉を融解させる強い力のある性的な世界を通して現役復帰させようとやってみたら、それに比べて肝心の政治的言葉がどうしても弱いんです。政治的な記憶がよみがえってくるところがピンとこないんですね。で、その部分が少なくなっちゃったわけです。多分、僕の中で政治的な言葉を立ち上がらせるだけのモチーフが見つけられなかったということだと思うのです。そこに9・11の事件が起こった。その時、もう一度政治について書けるやり方がどこかにあるんじゃないかと思ったんです。そして、政治について何も知らない人間を主人公にするしかないだろうと考えたんです。文学史の問題は自分なりに決着をつけたつもりだったので、あとは政治の問題について自分にとっての結論をみたいと思っています。七〇年代以降、文壇とか文学史とか、文学のある種のプライオリティーがなくなったと同時に、政治もイデオロギーの終焉とともに消滅の過程に入ってきているわけです。でもそれはだれかが書き切ったからなくなったんじゃなくて、要するに言葉がなくなってきて自然消滅してしまった。これはやっぱりやり残したことの一つではないかと思うのです。政治と文学については何度も論争があったけれども、そのことが小説としてきちんと取り上げられたわけではない。政治的な言葉に文学の言葉がどこまで接近したのか、できなかったとしたら今やっておくべきじゃないかと思ったんです。しかし実際に書いてみると難しい。ですから短編集は途中から政治的問題を探るための言葉をつくるということ、『日本文学盛衰史』以降に自分の文体をもう一度見つけたいということで、文体の強さとか、散文を鍛えるとか、しかも独立して読めるものということに、途中から目的が変わっていったんです。
鈴木 次の政治小説はすでに構想ができているんですか。
高橋 同時多発テロに関する小説を連載する予定です。ここでもう一回、政治の言葉について正面から向きあいたい。もうかなり具体的で、『日本文学盛衰史』より長くなると思います。同時多発テロにショックを受けた非常に若い主人公を出したいと思っています。つまり政治的な問題に対する訓練がゼロの人物、ということです。僕たちはいい意味でも悪い意味でも政治の問題にかかわらざるをえなかったわけだけれども。
鈴木 高橋さんは学園紛争当時の学生でしょう。
高橋 そうです。ですから、僕らは政治を問題として持っていたわけなんですね。しかし問題として全く持っていなかった、そういう人間を主人公にして、政治の問題と向かい合わせてみたいと思っているのですが、多分これも三年か四年ぐらいはかかるのかなあと思いますね。
(2002年5月14日 東京・品川にて収録)

Copyright©2000 TOHAN CORPORATION