『ケモノの城』の誉田哲也さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2014年6月号」より抜粋
誉田哲也(ほんだ・てつや)
1969年東京都生まれ。学習院大学経済学部卒業。2002年『妖の華』で第2回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。2003年『アクセス』で第4回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。著書に『ストロベリーナイト』をはじめとする映像化された「姫川玲子シリーズ」や『武士道シックスティーン』をはじめとする「武士道シリーズ」の他、『春を嫌いになった理由』『ヒトリシズカ』『ハング』『レイジ』など多数。この度、双葉社より『ケモノの城』を上梓。
── 新刊『ケモノの城』は、十七歳の少女・麻耶が警察に保護を求めたことで東京・町田市のマンションの一室で複数の家族が監禁され、失踪した事件が発覚、その背景が明らかになっていく──、という長編小説です。ご執筆の動機は何でしょうか。
誉田 マンションの一室に家族全員が監禁された連続失踪事件が北九州や尼崎であって関心を持っていました。ただ、これを小説にする際、犯罪の場面にいるようにリアリティをもって書くのは自分も辛いだろうし、読者はもっと辛いだろうと思いました。だから被疑者の一人「アツコ」として登場する人物への取り調べという形の独白で事件を語っていこうと考えました。もう一つは監禁殺人に限らず「何故そこまでできるんだろう」と思う事件ってありますよね。でもそういう異常な殺人鬼≠セけを書いたら「酷いなあ」としか思えない。そこで、ある仕掛けを作ることで改めてその犯罪の異常性、密室の異常空間が際立つようにしました。そもそもは『妖怪人間ベム』という漫画、あれを一般小説でできないかと考えたんです。彼らは事件を解決するけれど、妖怪であるがゆえに人知れず町を去っていくわけです。あの三人をイメージして、「ベロ」のポジションは年齢を上げて若い男にし、女とのカップルにしたのが辰吾と同棲相手の聖子です。そこに聖子の「父親」を入れ、この三人が監禁事件に関係が有る様な無い様な、だけど恐らく解決に向けて何か寄与するだろう、という影の存在に設定しました。その三つの要素を縒るように綴っていったのがこの作品の構造です。
── 物語は、辰吾が恋人の聖子と同棲中の町田市のマンションに、見知らぬ中年男、聖子の「父親」がいるという不穏な場面から展開します。
誉田 辰吾はごく一般的な普通に働いている人物です。そして突然娘の同棲相手の部屋に転がり込んだ挙句、いい歳してフラフラしている「父親」に対して苛立ちを覚える。キチンとしたお義父さんも嫌ですけど、キチンとしていないお義父さんはなおさら嫌ですよ(笑)。でも聖子が可愛いからそのイライラをストレートには言えないし、なぜか聖子はそんな「父親」を庇っている。この「父親」の背景には何があるんだろう、というのが辰吾のスタートライン。つまり辰吾の役割は同棲相手の聖子の「父親」が持つ不快感をいかに表現するかなんです。一方で、後半に明るみになる事件の真相との対比を狙って、辰吾と聖子の同棲生活は甘いものとして意識的に書きました。
── 本作は、町田で暮らす若い辰吾の物語、「アツコ」を取り調べていく警視庁捜査一課・木和田栄一の物語、事件現場の捜査を続ける町田署の島本幸樹の物語、この三つの物語が並列して語られる構成です。
誉田 木和田に取り調べをさせると、ずっと取り調べしかないんです。そうなると裏付け捜査の人物も当然要る。島本は捜査側と辰吾の物語をリンクさせる存在でもあります。他にも捜査会議の様子や町田市の様子も伝え、やがて聖子の「父親」の存在も警察側にも知られてくる、それらの状況をリンクさせる役割です。物語の中盤を過ぎてようやく辰吾の物語と島本の捜査がリンクします。読者は「こう繋がるか」と思うでしょうし、僕も書いていて「おお、繋がった!」と思いました。
── 木和田と島本はどのように造形しましたか。
誉田 取り調べは木和田がやっていますが、ありがちな「お前がやったんだろう、この野郎!」というような取り調べを「アツコ」にする訳にはいかない。よく刑事さんからは「ホシに惚れてやることだ」と伺います。要するにホシに愛着を持つんだ、おれのホシなんだ、と。刑事は被疑者との間に「この人には嘘をつけない」という関係を築け、という意味なんだと思います。そうなると木和田のスタンスは割と正統派でしょう。そのスタンスを維持しながら最後には事件の核心について「アツコ」を攻めていきます。島本は、木和田とのコントラストを考えて、若さゆえにそれほど有能ではない、事件以外のことにも目移りするような刑事にしました。外回りをしていますから季節が七月から八月と過ぎていく事件のリアルタイムの流れ、捜査の推移の時間軸を握っているのは島本です。
── 「アツコ」も、聖子の「父親」も、一体何者なのかハッキリしません。人物たちの輪郭が曖昧で霧の中にいるような印象です。
誉田 密室で行われたことの判らなさ。それを誰かが説明しているけれども本当かどうか判らない。しかも密室の中が南京錠で分断されていて、取り調べでの証言に食い違いがある。そういう訳の判らなさが、この事件の怖さの一つだと思います。どうでもいい細部が人によって食い違っているけれど、それは意図があるのか、勘違いなのか、いちいち考えてしまう。判らないというのが嫌ですね。それがこの事件の空気かなと思います。
── 小説のクライマックスに至りマンションで何が行われていたのかが判ります。
誉田 三人称で綴った辰吾の視点は読者にとって信用のおける描写なんです。「アツコ」は独白なので「すみません、忘れました」とか、とぼけることもできるけれど、辰吾の場合はそれが無い。その辰吾の視点が進んで行って、最終的にマンションで何が行われていたかが判る所は、一番きつい場面です。でもこういう事件を扱うのに、核心の場面を「こういうことがあったらしいです」というようなオブラートに包んだ表現で逃げるつもりは毛頭ない。ただマンションの一室での出来事を一から十まで同じトーンで綴るのはきついので、九割は「アツコ」の独白でほどほどに、最後は信用のおける辰吾の視点で同じ状況を見たように描いてみようと考えました。
── ここで作家・誉田哲也さんの出発点についてお尋ねします。まず漫画家を目指していたと発言されていますね。
誉田 子どもの頃読んだ漫画の中でも『デビルマン』と『ポーの一族』は今読んでも面白いし、小説家になった今も影響がよく出てくる作品です。特に『デビルマン』では牧村家が魔女狩りにあう場面が凄いなと思ったし、表現において手加減しないで書き切ることを学びました。次に音楽を十五年やっていました。音楽には導入部分があり、つなぎがあり、それからサビがある。サビの部分で一番メロディが盛り上がって欲しいし、そこにキャッチーな言葉がのっていて欲しいし、サビをこう盛り上げるならば前を低めに設定しておく、という段取りは小説も同じでしょうね。そういう構造に対する考え方は似ているかもしれません。それから格闘技の試合レポートも書きました。当時はMDレコーダーに全部の試合の様子を実況中継のように録音して、帰ってからパソコンで文字にしていました。そうすることで、試合というリング上の二人だけの世界に二次加工を施すというか、自分の物に出来たような気がしましたね。同じことは街を書いていても言えるんです。本作は町田市を舞台にしましたが、自分の物語世界に取り込むことができた意識があります。
── 現在、警察小説が隆盛ですが、誉田さんは他の警察小説群との差別化をどう考えていますか。
誉田 単純に僕の書く警察小説は何割かが犯罪小説です。短編小説は警察の側からの描写に絞られているものが多いとは思いますが、長編小説では二割から五割くらいは犯罪者の側から書いています。もちろん事件を扱う警察内部の不都合や組織内の軋轢なども扱いますが、事件の捜査と同様に犯罪者側から直接犯行を描きます。
── 「最低五十点は取れるように持っていくためのスキルが必要」「創作をビジネスとしてやっていきたい」と発言されています。
誉田 イマジネーションなど、思いつくまでに偶然性に頼らざるを得ない部分があって、それは時間がかかる。そうでない部分「こういう場合、このように書けば次の手順に行く」「この状況ではこう問題を整理する」という書く上での自分なりのスキル、またはメソッドを持っていれば作品の水準を保てると考えています。アイディアがあって、それを書いてみたら上手くいかなかった、では済まされないわけです。「こういうアイディアであれば、この結論の物語に出来る」という計算を成立させるのがプロであると。それから「ビジネス」という言葉をあえて使うのはビジネスをマイナスに捉えてないからです。小説家という仕事、これは頼まれたから書いているのではない。書きたいから、表現したいから書いている。そして出来たものをできるだけ多くの人に読んで貰って、できれば面白かったと言って貰いたい。僕は買ってくれてありがとう、読者は面白いものを書いてくれてありがとう、そこには感謝の等価交換が成立する。それが正常なビジネスだと考えています。
── 今後の予定を教えて下さい。
誉田 今年は続編が多いです。『歌舞伎町セブン』の続編『歌舞伎町ダムド』と姫川玲子シリーズの短編集『インデックス』が出版されます。それから五月に連載が始まります。それを一区切りにして来年は書き下ろしを上梓したいと考えています。ご期待ください。
(四月三日、東京都新宿区・双葉社にて収録)