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『村上海賊の娘』上・下の和田 竜さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)

「新刊ニュース 2013年12月号」より抜粋

和田 竜(わだ・りょう)

1969年大阪府生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。2003年オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞。2007年、『忍ぶの城』を自ら小説化、『のぼうの城』として出版、2008年7月、第139回直木賞候補作となる。2009年、『忍びの国』で第30回吉川英治文学新人賞候補。他著に『戦国時代の余談のよだん。』『小太郎の左腕』などがある。この度、新潮社より『村上海賊の娘』を上梓。

村上海賊の娘 上

  • 『村上海賊の娘』上
  • 和田 竜著
  • 新潮社
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村上海賊の娘 下

  • 『村上海賊の娘』下
  • 和田 竜著
  • 新潮社
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戦国時代の余談のよだん。

  • 『戦国時代の余談のよだん。』
  • 和田 竜著
  • ベストセラーズ
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小太郎の左腕

  • 『小太郎の左腕』
  • 和田 竜著
  • 小学館(小学館文庫)
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忍びの国

  • 『忍びの国』
  • 和田 竜著
  • 新潮社(新潮文庫)
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のぼうの城 上

  • 『のぼうの城』上
  • 和田 竜著
  • 小学館(小学館文庫)
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のぼうの城 下

  • 『のぼうの城』下
  • 和田 竜著
  • 小学館(小学館文庫)
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── 新刊『村上海賊の娘』は戦国時代、織田信長から兵糧攻めにされた一向宗大坂本願寺が毛利家に助けを求めたことで起こった、のちに「木津川合戦」と呼ばれる、村上水軍と泉州侍勢の大阪湾での死闘を描いた上下巻千頁に及ぶ長編歴史小説です。どのように構想したのですか。

和田 僕は大阪で生まれ、生後三か月で広島に行き中学二年生の終わりまで住んでいたんです。村上海賊は尾道の辺りから芸予諸島、そして愛媛県の今治に至る海域全体を抑えていて、広島は村上海賊が拠点としていた因島がありました。小さい頃に家族で因島に行った際に村上海賊のことを知ったのがそもそものきっかけです。歴史小説を書くようになってから、いずれ機会があったら村上海賊を書きたいと考えていたところ、『信長公記』の中に「木津川合戦」が書かれており、織田信長を相手に戦っていたこの頃が村上海賊が一番輝いていたと思い、これを書こうと思ったんです。奇しくも広島と大阪の両方を舞台に小説を書くことになりました。これまでの『のぼうの城』『忍びの国』『小太郎の左腕』はすべて過去に書いた脚本がベースになっている小説です。今回は頭からの小説の依頼、しかも「週刊新潮」での連載でしたが、今までと同じプロセスを踏まなければ危険であると判断して、史料をそろえてから一度脚本を書いて連載に臨みました。

── 主人公の女海賊「村上景」は『のぼうの城』の甲斐姫に通じる男勝りの女性ですね。

和田 活発な女性を書くのが好きだということもありますが、お淑やかだと物語が進まない(笑)。景は実在の人物です。ただ、かなり妄想が入っている。小説にも登場する村上武吉という能島村上家を天下一にした傑物がいて、家系図は何種類もあり、そこには息子の元吉やその弟の景親が出てきます。武吉の血を分けた子だからこその物語を書きたいと思っていたので、しかたなく元吉を主人公にして書くかと諦めていた。そんな頃、唯一『萩藩譜録』には実の娘が記されていて女の主人公を書けるようになったんです。

── 物語は前半、二十歳をこえた海賊の娘・景が輿入れの相手探しをして、あたかも現代の女性が婚活をするようで読者は感情移入できます。

和田 この物語には何十とテーマがありますが、仕事と結婚は確かにテーマの一つでした。学生がこれから働く、あるいは結婚するときにどうなのか、が意識にありました。ストーリーラインでいうと、学校では優秀だった女性が、理想を抱いて社会に出てみると──小説では関西ですよね、そこで打ち負かされる。「じゃあそのときどうするのか?」と問いかけた。その後の景の行為を読んで、ちょっと元気になって貰いたい、少なくとも明日を生きる気力を養って貰いたいというつもりで書きました。景は狡いというか、自己中心的な女性です。児玉就英のようないい男を求めて関西に行ってしまう、自分の都合で(笑)。欲望のままに動いている露悪的な人物ですが、核の部分にはある種の正しさを持っている。滑稽さが可愛らしさに繋がっている女性って結構男って好きだ、という意識を全開にして書いていきました。

── 景の父親村上武吉は時代を見通せる視野の広い人物ですが、娘の景には甘く「娘を甘やかす以外何ができる」と開き直り、笑いを誘います。

和田 これは自分でも気に入っている台詞です。村上武吉はNHKの教養番組で取り上げられるほどの傑物でした。そんな怜悧で頭脳明晰な人の唯一の隙が娘への情愛であることで面白さを出せないかと考えたんです。時系列を詳しく追っていくと、不思議なところがあって、合戦が始まる直前にも関わらず何故か武吉が連歌興行を始めちゃったり(笑)、そんな不思議感を想像を交えながら背景を埋めていきました。その時、海賊王としての知略を巡らせていた筈です。

── 景の弟の景親は気弱な武将だったのに戦の中で成長する人物ですね。

和田 基本的には姉ちゃんが弟をいじめている構図は笑うだろうと思ってずっと書いていたんです(笑)。僕の小説はそれぞれ人物が問題を抱えていて合戦の中で昇華したり、解決していくスタイルを取っています。『村上海賊の娘』では景親が臆病だったことを克服していくんですよね。

── 景に求婚し、やがて心を通い合わせながらも宿命の敵同士になる泉州侍の眞鍋七五三兵衛はどう発想しましたか。

和田 『信長公記』では「木津川合戦」にふれて織田方は真鍋七五三兵衛云々≠ニありました。しかし彼が何者か知らなかった。調べてみると海賊であることが判り、その瞬間「これはいける!」と思った。結局この木津川の海戦は村上海賊と七五三兵衛率いる海賊同士の戦いなんだと。僕が書く登場人物は大男でデカいのが多いんですけど、七五三兵衛の父親「眞鍋道夢斎」が大男で強力だと資料にあり、息子の次郎も剛勇の人物であったと記録に残っているので、七五三兵衛も当然武功に秀でた大男と類推しました。彼は気に入っているし、力を込めた人物です。

── 泉州侍の武骨で、かつ朗らかな人物たちは読んでいて気分がいいです。

和田 泉州にはだんじりに代表されるような荒々しくて自由に溢れた土地の空気感がある。僕は十年くらい大阪に本社のある繊維業界紙の新聞記者をやっていて、そこで大阪の人たちとやり取りをしていました。そこで大阪人は関東人と感覚が違うなと感じたんです。それは、仕事は一所懸命やるんだけどそれが人生の柱になっていないというか、では柱って何かと問えば人生をおもろく過ごすことなんじゃないか、というような、そんな部分を泉州侍に投影しています。歴史小説なので方言を出さなくてもよかったんですけど、そんな気分をしっかり出すためには泉州弁を活用しようと思い、朝の連続ドラマ「カーネーション」の泉州弁のレクチャーをされていた方に台詞を監修して貰いました。

── 物語の中盤、戦場に登場する織田信長は神秘的な描写がされていますね。

和田 切り取り方にもよります。信長って本当によく判らなくて、神秘的な部分だけを取り出せば本書に書いた人物になる。一方で生真面目な部分もあり、エッセイ集『戦国時代の余談のよだん。』に書いたように、平手政秀が信長の乱行を諌めるために自害したことを信長は後々まで悔いている。

── この長編小説の特長の一つに膨大な合戦の場面がありますね。

和田 言ってみれば合戦を書きたくて歴史小説を書いています(笑)。そもそも題材選びについて、何で僕は普通の歴史小説が描くような題材を選ばないのだろうかと考えると、元々は映画の脚本を書こうと思っていたので知らぬうちに、映画の題材としてどうか、という視点で題材を選んでいる。スペクタクルは映画の醍醐味で、今回も海戦が映画の中で描かれたらどんなに面白いのかということから題材を選んだのでしょう。「この人物の一生を描きたい」ではないんです。だからバトルシーンというものは力を入れて書いていて、自分でも読み直して驚いたのは作品の半分以上は戦っている(笑)。『のぼうの城』や『忍びの国』など、圧倒的な勢力に弱小勢力がどう向かい合うかを書くのは、易々と勝てる相手では単に面白くないからです。

── 合戦の場面は地理的状況や敵味方の位置関係が判り、それぞれがどう動いたかも目に見えるように描かれています。

和田 これまでの歴史小説は合戦ってあまり重視されなかった。合戦については書かれているけれど、合戦シーンの面白さは追求されていない。僕はそれを勿体ないと思っていた。合戦場面で地図を描くのかと時々訊かれるんですけど描きません。地図のような俯瞰的な絵よりも、現場でその人間がどのように見るのかが大切です。その登場人物から見た映像が大事です。こっちから見たらこう見える、逆から見たらこんなふうに見える、と場所場所を区別して考えながら合戦を把握しています。三人称多視点という話法を取っているのは映画の影響です。合戦の場面だけでなく、会話の場面でも主役ではない人物が写ればそのカットではその人物が主役なんです。つまりカットが変わるごとに主役が変わる。必ずしも主人公だけの視点で語る必要はない。だからこそドラマが重層的になっていく。それぞれの立場があり考えがあり、それを理解したうえで合戦に突入していくので、誰のシーンでも読者はどの人物の事情も判っていて興味を持って前のめりに読んで頂ける筈だという狙いがあります。

── 作品が立体的なのは武将だけではなく、農民がドラマに関わっている点ですね。

和田 作品ごとに意味合いが違います。『のぼうの城』では領民を巻き込んでの戦いだった。今回の農民は一向宗の門徒なんです。景が彼らを救いに行くことでドラマの盛り上がりになると思いました。

── 物語の後半、七五三兵衛が呟く「大なるものに靡き続ければ、確かに家は残るだろう。だが、それで家を保ったといえるのか。」これは重要なテーマではないですか。

和田 泉州侍は物語の始まりから家の存続というものに賭けている。そのために一所懸命働く。しかし心の部分がないと家を保ったと言えないのではないか。その意味で結局は自家保存を選ぶことになりますね。一方で景は本願寺の門徒のために戦っている。自家保存と他者のための戦い、その相反する考えが激突する構図にしているんです。

── なぜ歴史小説なのでしょうか。

和田 僕が戦国時代を扱う理由は、江戸時代のような抑圧感がないからです。それぞれの人物が爽快で、自分の個性がモロに出ちゃっている。そういう人たちが集まっていて時代を作っていった印象があります。だから今後も歴史小説を書くのでしょうけれど近々の予定は決まっていません。少し休みます(笑)。いつか楽しみにして下さい。

(十月十一日、東京都新宿区・新潮社にて収録)