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『橘花抄』 葉室麟さん
インタビュアー 青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2011年1月号」より抜粋

葉室麟(はむろ・りん)
1951年、福岡県北九州市生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て、2005年『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。07年『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞し、絶賛を浴びる。09年『いのちなりけり』が第140回直木賞候補、同年『秋月記』が第22回山本周五郎賞候補、第141回直木賞候補、10年『花や散るらん』が第142回直木賞候補となる。この度、新潮社より『橘花抄』を上梓。

『橘花抄』
葉室 麟著
新潮社


『柚子の花咲く』
葉室 麟著
朝日新聞出版

『オランダ宿の娘』
葉室 麟著
早川書房

『花や散るらん』
葉室 麟著
文藝春秋
『秋月記』
葉室 麟著
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
『いのちなりけり』
葉室 麟著
文藝春秋
『銀漢の賦』
葉室 麟著
文藝春秋(文春文庫)

── 『橘花抄』は、江戸時代中期、筑前黒田藩のお家騒動を背景に、両親を亡くした孤独な女性と、自らの信じる道を歩む男たちの姿を描く長編時代小説です。この小説を書くに至った経緯を、まず教えてください。

葉室 僕は福岡在住で、昔、地元で起きた「黒田騒動」を書いてみようかなと思ったのが始まりでした。寛永九年(一六三二年)、二代藩主忠之に謀反の疑いありと、重臣の栗山大膳が幕府に上訴した事件ですが、暗愚な藩主が面目を潰し、大膳が忠臣として名を馳せた顛末で、ドラマとしてあまり面白くないかと思いました。ただ、史料を調べる中で、忠之の死後、藩政改革に取り組んだ三代藩主光之に取り立てられた立花一族の存在を知りました。家老職に上りつめた立花重種には四人の男子があり、次男の重根は実山と号して茶道の秘伝書『南方録』を編纂した人物、四男の峯均は、宮本武蔵が創出した二天流を筑前で継承した兵法家です。光之の死後、四代藩主綱政によって一族は粛清され、重根は幽閉されて間もなく死に、峯均は玄界灘の孤島へ流罪になります。なぜ、それほど重い処分を受けたのか、兄弟はどんな生き方をしたのかを書いてみたくなりました。

── 父を亡くした十四歳の卯乃が、重根に引き取られる場面で物語は始まります。卯乃の視点から、立花一族の興亡が語られていきますが、女性を主人公にした理由は?

葉室 重根・峯均兄弟を主人公にすると、それぞれ立派な人物が政治的に粛清されただけの話になる。道を究めた人物でも、悩んだり、女性を好きになったりが当然あっただろうから、ふたりに関わる女性の視点から描けば、それぞれがどう生きたのか、ドラマを描けるのではと考えました。

── 十八歳になった卯乃は、父の自害に重根が関わっていると聞かされ、懊悩のあまり失明してしまいます。

葉室 アメリカの女性作家が書いた探偵小説を読むと、ちょっとした人物についても詳細に書き込んでいて、女性は相手から受け取る情報量がもの凄く多いんだなと思います(笑)。女性を主役にすると、いろいろと書き込まなければいけない気がしたし、しんと静まり返っているような主人公にしたくて、どこか不自由さがある人物にしました。

── 葉室さんの作品には、詩歌など、昔の人のたしなみが巧みに織り込まれています。

葉室 歌を贈りあったり、茶をたてたり、相手との関係性を大事にする意識が、日本文化の根底に流れています。女性は香りに敏感だと思うので、今回は香の要素を入れました。目が不自由な卯乃は、香りや言葉の端々などから、相手の真実を見抜きます。

── 重根は非業の死を遂げますが、葉室さんの作品には、辛い状況に立たされた人物がよく登場します。

葉室 人間は、実は「負け組」の方が多いと思うんですよね。スポーツ選手も、勝てなくなるから引退するのだし、ずっと勝ち続ける人はごく稀です。しかし、負けたらもう価値がないかというとそうではない。どう生きたかを見つめ直し、人生の意味を深めることが重要だと思うから、この作品の重根や、廃嫡された黒田泰雲のような人物像を選んで描くのでしょうね。幽閉先で暗殺される運命に繋がっていったとしても、それまでの生き方の中に、その人の人生の意味や価値がある。誰だって辛い経験をしますが、そこで終わらずに生きていくことが大事です。むしろ、困難にぶつかるために生きているのかもしれないですよね。小説のラストで主人公が生き延びていても、その途中で友人など大切な人が死んでいたら、単純なハッピーエンドではない。困難や悲しみに出会ってもくじけず、悲哀を乗り越えて生きたとき、その人は輝き、人生の意味が深まっていると思います。

── 武士の生き方を描いているのは。

葉室 藩主に仕えて仕事をする、組織人としての武士の悩みや困難に共感があります。組織にいると、不条理や不公正とどう折り合いをつけて生きていくかという問題を、みんな抱えると思う。僕は、社会の根幹を支えているのは、自分の役割や生き方をきちんと果たしている普通の人たちで、そうした人が一番偉いと思っています。今は、フリーターになる選択肢もありますが、人間関係や時間に縛られて生きるのは同じで、戦う気持ちがあるかどうかの違いだと思うんですよ。

── 今回、執筆しながら、何か想定外のことはありましたか。

葉室 女性が登場する場面が、予想外に多くなったことです。書いていて一番楽しかったのは、女たちの場面でした。重根に引き取られた卯乃は、弟の峯均に惹かれていき、峯均の前妻のさえが卯乃に絡んでくる。女同士が対決する場面になると、書きながら「もっとやれ!」と、なぜか盛り上がってしまった(笑)。むしろ女性の方が、男よりも戦いが好きなんじゃないかと思いますし、この作品に関しては、卯乃にきちんと自分を主張する人間になってもらいたかったんですよね。人間は、向き合う相手がいないとなかなか成長しない。いい敵が出てきたら成長するきっかけになりますから、さえが繰り返し絡んだのだと思います。また、卯乃が自分なりに生きようと思い定める根拠として母親の存在があり、それで死んだ母の杉江を書き込むことになりました。杉江は、泰雲を救うためにも登場したと思います。

── これまでの作品も主に九州が舞台ですが、地方の歴史を掘り起こす面白さは。

葉室 通説として語られる歴史は、勝った側が構成したものです。勝った側が首都に収まっているから、地方にいること自体、基本的に負けていると言える(笑)。しかし、負けた時点で歴史は終わりではない。いろいろな可能性と選択肢は残り続けていて、地方にいると、そうした歴史の広がりがよく見えます。戦国時代、九州には島津、龍造寺、大友という三強がいて、毛利も加わった四者が貿易拠点の博多をめぐって争いました。『太閤記』の視点からは、毛利が退嬰的になって織田に敗れたと語られますが、実は毛利の目は九州に向いていて、天下統一に関心がなかっただけだと思います。また、四者のどこかが大勢力になっていたら、天下を獲っていたかもしれない。つまり、歴史はひとつの解釈に集約されるものではなく、僕はマイノリティの視点を大事にしたいと思っています。
 今だと、日本の政治は東京のことしか考えていないんじゃないかと思いますね。小泉改革の頃から地方は非常に疲弊して、東京以外は立ち枯れるのではという危機感を覚えます。明治維新以降、日本は近代化してきましたが、藩の経営を通して、能力的な下地が全国に行き渡っていたから、近代化や企業の設立と経営を実現できたのだと思う。逆に言うと、江戸時代に全国的に敷衍した日本人の教養と能力の高さが、失われていった過程が明治以降の歴史なのかもしれません。

── 五十歳を過ぎてから小説を書き始めたのはなぜでしょうか。

葉室 小説は昔から好きで、新聞の企画連載でヒューマン・ストーリーを書きながら、書く仕事の延長線上は小説になるのかなと思っていました。五十歳を過ぎると、人生の残り時間や死を意識して、自分の人生の意味を確認し、何か書いて残したい衝動が出てくるんですね。自分はどう生きて、どう考えているかを、今、歴史時代小説を通して表現していると思います。ただ、新聞記事と小説は、百八十度違いますね。書く際に使う筋肉が全く違う。僕は、小説でも文節を短く伝えていく書き方ですが、情報量が多い程よい新聞記事と違い、小説はテーマ性をどれだけずっと維持できるかが重要です。テーマに即した根拠が、隅々にまで行き渡った文章を書く必要があるんですね。

── どのような作家や作品に影響を受けましたか。

葉室 僕は貸本世代で、水木しげるや白土三平の漫画をずいぶん読みました。白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』には階級闘争的なテーマが入っていて、戦国時代をそうとらえるのかと、小学生で知ったのは大きかった。高校生で『竜馬がゆく』をリアルタイムで読み、歴史物の潮流にずっと触れていたと思います。作家では、藤沢周平、司馬遼太郎、石川淳ですね。石川淳の歴史物は理想像です。

── 今後の執筆予定を教えてください。

葉室 推古天皇からマッカーサーまで≠ェキャッチフレーズで(笑)、古代に遡ってずっと歴史を描きたい。どういうふうに題材と出会うか、その都度、手探りでやっていきます。近々取り上げる人物として、幕末の高杉晋作、戦国末期に筑前で勇名を馳せた立花宗茂らを考えています。二〇一一年四月号から「小説新潮」で連載を始める予定です。
(十月二十二日、東京都品川区にて収録)


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