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あさのあつこ
1954年岡山県生まれ。青山学院大学文学部卒業。小学校講師を経て、作家デビュー。『バッテリー』で野間児童文芸賞、『バッテリーU』で日本児童文学者協会賞、『バッテリー』全6巻で小学館児童出版文化賞を受賞。幅広いジャンルで精力的に執筆活動を続けている。主な著書に『福音の少年』、『ランナー』、『ラスト・イニング』、『ガールズ・ブルー』、『弥勒の月』、『NO.6』、『The
MANZAI』などがある。 |
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『晩夏のプレイボール』
毎日新聞社
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『ランナー』
幻冬舎
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『バッテリー』
角川文庫
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『ラスト・イニング』
角川書店発行
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―― 『晩夏のプレイボール』は甲子園を目指す球児、高校野球をめぐる大人や子どもたちのドラマ十編を収めた短編集です。「サンデー毎日」に一年にわたり連載された作品ですね。
あさの 編集部からひと月に三十枚前後の小説を一編、それを十編続けてほしいとの依頼がありました。私は長編小説をずっと書いてきたので、十編もの短編小説を書けるか戸惑いがありました。そんなとき、たまたま甲子園の高校野球を取材する機会があり、グラウンドで展開される試合だけでなく、まわりにもた くさんのドラマが存在することに気づきました。ユニフォーム姿でスタンドから応援する野球部員や、ダッグアウトから声を嗄らして叫んでいる少年を見ていたら、晴れの舞台なのに試合に出ることができない彼らは何を考え、どんなドラマを背負っているのかと興味が湧いてきました。野球にまつわるドラマの一場面を鮮やかに切り取ることができたらな、と考えて書き始めました。
―― 本書には、書名である「晩夏のプレイボール」という作品は存在しません。ということは、作者のメッセージとして、晩夏=「甲子園が終わった後」の「試合開始」という意味ではないかと考えられます。
あさの 優勝校が決まり夏の甲子園は終わります。でも、優勝したピッチャーであっても、地区予選で敗退した球児であっても、それを取り巻く大人たちであっても、何かが終わった時点から始まる、それぞれの物語があると考えました。
―― だからでしょうか、今回の作品集には『バッテリー』の主人公・原田巧のような天才は登場しません。
あさの 巧には巧の物語があるので、彼のような天才を登場させては、『晩夏のプレイボール』の物語は書けなかったと思います。弱かったり、脆かったり、愚かだったり、そんなごく普通の少年や大人のドラマを描きたかったんです。
―― それでは、個々の作品についてお聞きします。まず「練習球」は、中学時代はエースで四番だった主人公・真郷が、野手への転向を余儀なくされて退部を決意しますが、物静かな部員・律が、ぼろぼろの練習球を甲子園へ連れて行こうと努力していることを知り、再び野球への情熱を取り戻す物語です。真郷という少年に、過酷な運命を与えていますね。
あさの 彼のように中学では活躍していたのに、高校で挫折を味わう少年は多いと思います。甲子園に行き、テレビに映らない部員たちの嫉妬や悩みなどのドラマを想像すると、そのドラマこそが面白いし尊いなと感じました。連載の前に、ある高校の野球部を取材しました。取材のお礼を訊ねると、練習球がほしいと言われたのでプレゼントしました。彼らが使っていた練習球は、何度も繕った痕がありました。取材を終えて、ぼろぼろの練習球を一つもらい、自分で用意した試合球と合わせて二つを机に並べて、この作品を書きました。
―― 高校最後の夏、地区予選準決勝の最終回に真郷は代打として出場します。三遊間へのゴロを打ち、一塁に走りながら「まだ、終わりはしない」と信じます。この言葉は『晩夏のプレイボール』全作品に通じるテーマではないでしょうか。
あさの 「練習球」は真郷が一塁ベースを走り抜けて幕を下ろします。もしかすると真郷や律のチームは、この試合で負けてしまうかも知れません。でも試合で負けたとしても、彼らは野球に負けたわけではなくて、その後も彼らの野球人生は続いていきます。そんな思いを真郷の言葉に込めました。
―― 続く「驟雨の後に」という作品は、十八歳の加奈と同じ高校の野球部員・柳一の物語です。
あさの 恋愛小説を書きたかったんです。野球に関わるところにいる若者たちの小さな恋を書きたいと思ったとき、この作品の骨格が浮かびました。加奈は運動能力に秀でているし、勉強もできる清々しい女の子ですが、挫折の意味もよく知っています。こんな子なら、素敵な恋をするだろうなと思いました。
―― この作品に出てくる「闇溜まり」や「花芽雨」など、あさの作品の独創的な言語感覚に驚きました。
あさの 私は岡山県で暮らしていますが、夜の山には人工の光が入らない漆黒の闇がたくさん残っています。手を差し伸べると、そのまま沈んでしまいそうな重い闇があって、「闇溜まり」という言葉は自然に浮かんできました。耳で聞くのと違い、文字化して伝わる言葉は大切だと考えていて、作中で使ってみました。
―― 「このグラウンドで」は、部員が三人しかいない野球部の物語です。
あさの 私は小説を書くとき、あまり取材をしませんし、誰かをモデルにすることもありません。でも、この物語は私の周辺で起こった事実から発想しました。岡山県でも平成の大合併があ り、廃校を余儀なくされた高校がありました。学校がなくなるという現実の中で、子どもたちは何を思い、どんな野球をするのか考えました。たった三人でも、グラウンドで一生懸命に野球をする姿に、絶望ではなく希望を感じられたらいいなと思いました。
―― 「街の風景」では、「優流」の野球部は夏の甲子園で優勝します。
あさの 高校球界の頂点に立った投手はその先に何があるのか、私自身が知りたいと思っていました。私の場合、知りたいときは書くしかないんです。そして書いてみると、優流が疲労困憊していると同時に、これから先、何を目標にしたらいいのか、混乱していることがわかりました。
―― この作品では「優流」「健斗」「美里」の男二人と女一人が登場します。男女三人の構図は、他の作品「ランニング」や「東藤倉商店街」にも見られます。
あさの 今、気がつきました(笑)。高校球児は休みがないといっていいぐらい、野球漬けの毎日を送っています。きっと私の中に「ちゃんと恋愛をしろ!」という気持ちがあったんでしょうね。大人になってからはできない恋愛が、中学や高校時代にはありますから。
―― 「練習球U」は、「練習球」に登場した律が主役の物語です。
あさの 律という少年が寡黙なのは、彼が心の奥に何かを抱えているからだと思っていました。「練習球」を書き終えた時点で、いずれ律の過去を探ってみたいと考えていました。そして新しい作品を書いたところ、いじめや不登校の問題が出てきたんです。感情を表に出さない律ですが、小説のクライマックスでは「おれたちの夏はまだ終わっていない」と確信するようになるんです。
―― 真郷や律のその後の物語がありそうですね。
あさの あるかも知れませんね。あの二人は、これからも野球と深く関わっていくでしょう。もし、彼らの作品を書くとしたら、おそらく短編ではなく長編になると思います。
―― どの作品も、登場人物はフルネームが存在します。
あさの 私は長編でも短編でも、名前が浮かばないと物語が書けないんです。ですから、その人に一番相応しい名前を考えます。漢字ではなく音でポッと浮かんできて、それに漢字を当てはめます。
―― この作品集では、全ての登場人物が涙を流しません。これは、あさのさんが意図されたのでしょうか。
あさの どの作品も、涙を流せば簡単に物語を終わらせることができましたが、それぞれの登場人物は、泣いて浄化されて終わるような、そんな単純なドラマを背負ってはいないと感じていました。甲子園に涙は付き物ですが、そういうドラマは書いても意味がないと思っていました。
―― 少年少女を描く際に、あさのさんご自身が小学校の講師をなさっていた経験が活かされていますか。
あさの わずか三年でしたが、とても貴重な経験でした。たぶん児童書を書くときにも活かされています。子どもたちは、約三十人のクラス全員がみんな個性的でした。大人は子どもに対して、未完成で未熟な存在と考えがちですが、子どもはその年齢に応じた人格があり、社会にきちんと関わっているんです。
―― 小説を書く上で心がけていることは何でしょうか。
あさの 知らないことを、知っているかのように書いてはいけないと、いつも肝に銘じています。でも、野球の場面を書くときなどは、マウンドの暑さ、土の匂い、グラウンドに吹く風など、実際にそこにいる人しか感じられない皮膚感覚のようなものは、できうる限り想像を巡らせ、大事に描くようにしています。小説を書くとき、私は読者のことを意識してはいなくて、とにかく自分の書きたいものを書くようにしています。その結果、読者が共感してくれる作品をつくることができたら、これほど嬉しいことはないと思っています。
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