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連作短編小説『幸福な生活』の百田尚樹さん
インタビュアー 青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2009年12月号」より抜粋

百田尚樹(ひゃくた・なおき)
1956年大阪府生まれ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」など多数の人気番組を構成。2006年『永遠の0(ゼロ)』で作家デビュー。高校ボクシングの世界を感動的に描いて2008年に発表した小説『ボックス!』で圧倒的な支持を集め、第7回王様のブランチBOOK大賞新人賞受賞、第30回吉川英治文学新人賞候補、2009年本屋大賞5位に選出されるなど一躍読書界注目の存在となる。なお『ボックス!』は2010年初夏映画公開決定。
このたび本誌40ページより連作短編小説「幸福な生活」の連載を開始。


『永遠の0(ゼロ)』
百田尚樹著
太田出版


『永遠の0(ゼロ)』
(文庫版)
講談社(講談社文庫)

『聖夜の贈り物』
百田尚樹著
太田出版

2010年映画化決定
『ボックス!』

百田尚樹著
太田出版

『風の中のマリア』
百田尚樹著
講談社

新連載!連作短編小説『幸福な生活』
スタート記念インタビュー


── 本誌で今月号から連作短編小説「幸福な生活」の連載が始まります。構想をまず教えて下さい。


百田 原稿用紙二十枚以内の短編を毎月読み切りで書いていく仕事は初めてで、ぜひやってみたいと思いました。短編を脈絡なく書いていくだけでは面白くないから、何かテーマでくくろうと考えました。人間はいろいろ秘密を持っていますよね。凄く好きな人がいて、その人の全てを知りたくても、全部を知ったら、えらいことになりますよね(笑)。長い間生活する中で、秘密がひょいっと顔を出すときの怖さってあると思います。夫婦や親子の間の一見平和な暮らしの中にずっと隠されていたものがあって、ふとした瞬間に顔を出す、その怖さを書いていこうと思っています。

── たしかに一話目も怖いですね。短編はアイデアが勝負なのではありませんか。

百田 アイデアと一瞬のキレが勝負かと。アイデアを考えるのが楽しいです。一話目を書きながら、テレビのコントに似ていると思いました。一話ずつ規定の枚数で収める制約を面白がって、毎回いろんな仕掛けをしていきますから、楽しみにしてください。

── ずっと放送作家をしてこられて、小説を書き始めたのはなぜですか。

百田 誕生日が二月なんですが、四十九歳の秋にふっと、年明けたら五十なんやな、「人生五十年」の昔やったら人生終わってるのかと半世紀を初めて振り返って、自分が百パーセント作ったというものを残したい気になりました。テレビは、放送作家、ディレクター、役者ら大勢で作って、そこが楽しいところでもあるんですが、何パーセントが自分の手によるものかは曖昧なんです。放送作家をやってきて字だけは書けるから、小説にチャレンジしてみようと『永遠の0(ゼロ)』を書きました。ちょうどその頃に親父を亡くして、親父も三人の叔父も戦争に行っていましたから、戦争が完全に過去になる直前、鎮魂の意味もこめて、書くなら今しかないと思いました。出版するあてがなくて旧知の太田出版の人に読んでもらったら、「うちで出しましょう」と言ってくださって、出版できました。

──私は物語に感動して、最後のほうは涙が止まりませんでした。昭和三十年の運動会を楽しんでいる父親たちは、かつては銃を持った兵士だったとの叙述が印象的でした。

百田 十数年前、息子の小学校の運動会に行ったとき、親父のことを思ったんですよ。僕が子供のときの運動会、親父が見に来てくれたなあ、どんな気持ちで見ていたんだろうと。あの運動会に来ていた父親たちは、戦争に行った人たちだったんだなと強烈に思ったことが、小説の中に入ってきました。主人公の宮部久蔵は、当時の日本人の最も美しいものを集めたような人物で、彼に引っ張られるようにして書くうちに、彼の死ぬ状況がどうにも書けなくなり、ラストは苦労しました。

──『永遠の0(ゼロ)』以降、一作ごとに題材をがらりと変えているのはなぜですか。

百田 一作目を書いたとき、次も戦争がテーマですかと聞かれましたが、僕は書こうと思ったことを書き尽くして、もう戦争を書く気持ちはありませんでした。次に書いた六百枚の長編は書き終えたものの、出版する気持ちがなくなり、心のリハビリのつもりで女の子の夢のあるファンタジー『聖夜の贈り物』を書きました。でも無名の小説家がこのような短編集を書いても売れるはずない、がっちりした長編を書こうと、今度は男の子の力と勇気のあふれる『ボックス!』を出しました。すると「次のスポーツ小説は」と聞かれ(笑)、いや、青春スポーツ小説はもう書いたのでこのあたりで思い切って冒険してみたい、人間以外の主人公をテーマに小説ができるだろうかと、オオスズメバチを主人公に『風の中のマリア』を書きました。性分としか言いようがないんですが、ひとつの仕事を手がけたら、同じことはしたくない。テレビの世界でも、お笑いを基点に、ドキュメンタリー、クイズ番組などありとあらゆることをしてきました。できるだけいろんな世界を書いてみたいんです。

──放送作家になったいきさつは。

百田 大学には入りましたが行かなくなり、これ以上おってもしょうがないなと中退しました。視聴者参加番組で知り合ったディレクターに、テレビの仕事を手伝ってみるかと言われて、アルバイト気分で飛び込みました。本業になり、気がついたらもう五十歳(笑)。放送作家としてやりたいことは全部やれたし、今は九割がた小説の世界にシフトしています。ただ、ひとつだけやめたくない「探偵!ナイトスクープ(※1)」という番組があります。始まったときからチーフ構成をしていますが、二十二年間の平均視聴率が二〇%を超えている、最高にいい番組です。素人の視聴者がたくさん出る番組なので、こう来たらこう出るだろうと、面白い答えを引き出す想定問答をこしらえて、それを撮ろうと町に出ますが、大阪人はどう出るかわからない。僕らの想像を超えた答えが飛び出すことがしょっちゅうです。人間は面白いですね。毎週四百通くらいの依頼が来ます。十年前の恨みが書かれていることもあれば(笑)、五十年間夢みていたこと、会いたい人、やれなかった後悔、その人が持つさまざまなことが書いてあって、小説を読むより楽しい(笑)。この番組だけは終わるまで続けて、終わったら放送作家を引退するつもりです。

──放送作家と小説家の違いはどのような部分でしょうか。


百田 いっぱいありますね。ロケ台本などを書く場合は映像を想定して、カメラはどこにある、どういうショットで撮るかをディレクターと相談しますが、小説は映像を自分で描く。一人称で書く場合は、主人公の中にカメラがあり、主人公の目に入らない絵は描けない。大音響も静寂も字で表現するから、小説家って大変やな、でも面白いなと思いました。映像は八十で撮ったものは八十ですが、小説は文章表現ひとつで八十が三にも、百にも百六十にもなる。自分の好きなところで終われたり、書き込めたり。制約がある一方で、凄く自由度が高いと思いました。

──一作ごと題材は違っても、ハートウォーミング、胸を打つ、熱血、宿命といった点が、作品に共通していると思います。


百田 テレビの世界で最初に考えるのは「つかみをどうするか」です。視聴者がチャンネルを変えた短い間に心をつかまないと視聴率を持って行かれてしまうから、どのシーンも一瞬で心をつかむように作るんです。チャンネルを変える指を止めさせて視聴者を釘づけにしたい意識は、僕の身体にしみついています。本も買ってもらえばいいのではなく、中味が大事で、買ってくれた読者が読んで儲かった、ええこと知れた、この作家の次のも読みたいと思ってもらいたいですよね。僕自身は、暗いだけ、悲しいだけの物語を買う気がしない。映画も小説も、人生を肯定するもの、生きる勇気、生きる喜びを受け手に感じてもらうものでなければ意味がないと思っています。人が苦しんだり、おぞましい目にあったりするのを読みたがる読者が増えるのは、社会が病んでいる証拠だと思います。

──今後の執筆予定を教えてください。


百田 現在、「小説現代」(講談社)で時代小説、「文蔵」(PHP研究所)でボクシングのノンフィクションを連載しています。大学時代にはボクシングをしていて、闘うことが好きなのかもしれない。今までの作品、キャラクターも結構闘っていて、困難に負けずに運命に立ち向かう姿が好きですね。若いときは映画ばかり見ていて、物語づくりは映画から学んだほうが大きいくらいです。映像の世界で教えられたことはたくさんあります。僕がメインにしてきたお笑いは一瞬の間が勝負で、間とタイミングが一秒ずれると笑えないし感動できないから、小説を書いていても急所のところは本当に気合いが入ります。これからもとにかく面白いもの、生きているのは素晴らしいなあ、明日も頑張っていこうと、読んだ人が思う作品を書いていきたいですね。

(十月十七日、大阪市北区にて収録)


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