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「鷺と雪」の北村薫さん
インタビュアー 青木 千恵(ライター)
「新刊ニュース 2009年10月号」より抜粋

北村薫(きたむら・かおる)
1949年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。卒業後、母校埼玉県立春日部高校で国語を教えるかたわら、1989年“覆面作家”として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で第44回日本推理作家協会賞を、2006年『ニッポン硬貨の謎』で第6回本格ミステリ大賞を受賞。代表作『スキップ』等で、直木賞最終候補作に6度選出され、本年『鷺と雪』で第141回直木賞を受賞。また、本格ミステリ作家クラブ設立発起人で、初代事務局長を務める。推理小説の執筆だけではなく評論やエッセイも多く、また他著者のアンソロジーを編むなど編集者としても活動している。


第141回 直木賞受賞作
『鷺と雪』

北村 薫著
文藝春秋

『街の灯』
(わたしのベッキー
シリーズ第1作)
北村 薫著
文藝春秋
(文春文庫)

『玻璃の天』
(わたしのベッキー
シリーズ第2作)
北村 薫著
文藝春秋

受賞後第一作
『元気でいてよ、R2-D2。』

北村 薫著
集英社

『リセット』
北村 薫著
新潮社
(新潮文庫)

『ひとがた流し』
北村 薫著
新潮社
(新潮文庫)
580円

『9の扉 リレー短編集』
北村 薫、
法月綸太郎、
殊能将之他計9名著
マガジンハウス
1,575円
『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン 最後の事件』
北村 薫著
東京創元社
(創元推理文庫)
777円
『空飛ぶ馬』
北村 薫著
東京創元社
(創元推理文庫)
714円
『夜の蝉』
北村 薫著
東京創元社
(創元推理文庫)
609円
『きみが見つける物語 十代のための新名作 スクール編』
北村 薫、あさのあつこ、恩田 陸他著
角川書店発行/
角川グループパブリッシング発売
(角川文庫)
500円
『読んで、「半七」!半七捕物帳傑作選 1』
岡本綺堂著
北村 薫、
宮部みゆき編
筑摩書房
(ちくま文庫)
924円

── 直木賞受賞おめでとうございます。改めて、感想はいかがですか。

北村 (一九九五年に)初めて候補になった頃は、結果を待っているのが楽しかったんですが、だんだん、受賞を待つ周りの人をがっかりさせるのは辛いなと思うようになりました。ただ、候補になるのは作品を評価していただけたからで、長い間候補になり続けたのは、その間、作品を書き続けられたということ。それは非常に有難いと思っていました。受賞できて、ずっと期待して下さった方の心に応えることができました。ああ、良かったなと、ほっとしています。

── 受賞作『鷺と雪』は、昭和初期が舞台です。士族出身の上流家庭、花村家令嬢の英子と、ベッキーさん≠アと女性運転手の別宮みつ子が活躍する「わたしのベッキー」シリーズの完結編となります。三冊、九編で終わるのがもったいないシリーズですね。

北村 みなさん、そう言って下さるんですが、最終話「鷺と雪」のラストは、最初からそこに行くつもりで書き始めた唯一無二のラストですから。歴史を激変させる非日常的な出来事というものは日常と地続きにあって、そうした出来事を、日常の中でふと垣間見る構想は、最初から頭の中にありました。通して読むと、あらかじめ筋道を立てて作られたように見えるでしょう?(笑) 実際は、大まかなアウトラインだけで書き進めていきました。戦前、女性の地位は今より低く見られていた。その中で運転手という特殊な職業を選び、決然と生きていくベッキーさんと、彼女を人生の師とする英子さんの人物像が固まり、そこから先は徐々に浮かんで、物語を見いだしていく感じでした。

── 昭和初期を舞台にしたのは?

北村 過去を舞台にするのは、現代を書く方法として有効なんです。現代に通じる普遍的なテーマをよりクリアに書けます。もう一つは、自分たちの父親の世代の出来事で、戦後と地続きでありながらちょっとした距離感がある、懐かしい時代を掘り起こして書くのは面白いなと。街中を行くがごとく、見るがごとく、昭和初期の風物を味わっていただけたら、物語の目的をひとつ果たせたわけですね。銀座の夜店はもうありませんが、資生堂パーラーの「ミートクロケット」は今もメニューにありますし、取り混ぜて書いているとひとつの世界が現われる。

── 日本が戦争へ突き進んでいく時代でもあります。現代の読者は、人物たちの生活がこの先どうなるかが分かっている。

北村 今の我々が分かっていても、当時の人には見えない。進行中の歴史を見ることができない怖さ、切なさ、悲しさ、時代に翻弄される人間というものを書こうとする気持ちはありました。大義のために人が人を犠牲にする非情さは是か非か、ごく当たり前の感覚があります。歴史観や主義主張といった大げさなものではなくて、当たり前のことを当たり前に考えられるようでありたいと。
── ベッキーさんは、胆力があり、博識で、あらゆることが見えている女性ですね。語り手の英子は、ベッキーさんに促されるようにして成長していく。

北村 ベッキーさんは、「預言者」のような存在。太宰治も女性の一人称小説を書いていますが、男が女の仮面をかぶることで創作に繋がり、女性の語りはフィクションが作りやすい気がします。私は男兄弟、男子校で育ったせいか、女性とは純粋で、高潔で、立派で、思いやりがあって、優しくて……と理想を抱いているところがあって、そうではないんだよと忠告されますが(笑)、固定観念として女性は善きものであると。それで、善き人を書くときは女性が書きやすいですね。ベッキーさんはスーパーヒロインで何でもできる人だけれど、スーパーマンが一人いれば世界は盤石だろうか。現実を見てどうだろうと、このシリーズに関しては、ベッキーさんという人を物語が要求していましたね。

── 「時と人」三部作もありますが、今回昭和初期を書かれて、時間、歴史について何か感慨を持たれましたか。

北村 決して取り返しがつかない恐さでしょうか。時の中にいる悲しみ、いずれは消えて行かなくてはならない定めを誰もが抱えている。だから一瞬がかけがえないとか、さまざまな言葉がありますが、あんまり簡単にはね、思いを痛痒にして言えないから、物語に込めて書いているところがあります。小説を読むのは時を共にすることだから、込めた感慨も共にしていただけるのではないかなと。

── 北村さんは、読むことが好きで書くことになり、小説家で、読書家で、アンソロジーのシリーズでも腕を振るって、《本の達人》と言われていますね。

北村 ふと書いちゃったんですね(笑)。本は、書くのが半分の創作、読むのが半分の創作です。同じ本を読んで、他の人と感想が違ってもがっかりする必要はないし、同じ人でも、さまざまな読書、人生経験を重ねていけば、例えば失恋する前に読む小説と、失恋して読む小説では読み方が違ってくる。人によって読まれ方が違うことこそ、物語の冥利です。アンソロジーも、一つの創作だと思います。最近、岡本綺堂『半七捕物帳』のアンソロジーを作りましたが、従来のアンソロジーに採られてこなかった「槍突き」が、非常に現代的な素材を扱っていると気づいて、収録しました。自己実現できない鬱屈が「誰でもいい」という動機に繋がる、人間の普遍的な苦しみを岡本綺堂はずっと昔にとらえていて、それを収めることで、古い作品が現代的な輝きを持って見えてくる。選ぶ人によって、作品の輝きが変わってくるわけです。

── 受賞作では、山村暮鳥の詩や謡曲、芥川龍之介の短文など、さまざまな文学作品が盛り込まれています。

北村 ある一行が未来の出来事を言い当てていることはある。そういう時、言葉に事実がすり寄っていくような不思議な感覚を持ちます。この物語で、詩句は物語を動かすエンジンの一つになります。山村暮鳥という詩人がいるんだとか、サッカレーの『虚栄の市』を読んでみようかと、読者の関心の幅が広がってくれたらいいなとも思っていますね。

── 仕事の幅を広げて来られましたが、ミステリへのこだわりはいかがですか。

北村 中心にあるのは私という人間で、いろんなタイプのものを書いていてもぶれはないと思います。シリアスなもの、ユーモラスなもの、アンソロジーもエッセイも、総体として現れるのは「北村薫」という世界なんですね。小説でないものも小説──と言えるほど豊穣であるのが小説で、本格ミステリはその中の一つのジャンルであり、昔から大好きでしたから、大切にしたいと思っています。小説の一番の役割は、楽しいことでしょうね。娯楽の楽しさ、知らなかったことを知る「知」の楽しさもあるでしょうが、本好きの人間というのは、本を手に取ると心が躍る。理屈を超えていて、繰り返し繰り返し本に接するのは、好きな人といると自分が楽しい、喜びを喜びとするのと一緒で、それができるのが本であると。

── 今後の執筆予定を教えてください。

北村 興味は多様で、今『小説新潮』で書いているのは、打って変わって、酒飲みの女性編集者の群像です(笑)。八月下旬には『元気でいてよ、R2-D2。』(集英社)という陰のある作品を集めた短編集が刊行されました。七月には私が第一走者になり、次の作家にお題を渡して計九人のミステリ作家で連作した『9の扉 リレー短編集』(マガジンハウス)を刊行しました。時代小説を書くかどうかはたびたび聞かれますが、江戸時代は風俗などをかなり研究しないと書ききれないかと思います。ですから、まだ具体的な予定はありません。


(七月二十五日 東京・銀座にて収録)

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