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『明日の空』貫井徳郎さん
インタビュアー 青木千恵(ライター)
「新刊ニュース 2010年7月号」より抜粋

貫井徳郎(ぬくい・とくろう)
1968年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業。93年『慟哭』でデビュー。同作は第4回鮎川哲也賞の最終候補となり、受賞は逃したが予選委員だった北村薫の激賞を受けて刊行された。以後、本格ミステリのトリックを作品の中心に据えながら、さまざまな分野や手法に挑んだ意欲的な作品を次々と発表。2006年『愚行録』で第135回直木賞候補。09年『乱反射』で第141回直木賞候補。10年『乱反射』で第63回日本推理作家協会賞受賞、『後悔と真実の色』で第23回山本周五郎賞受賞。この度『明日の空』(集英社)を上梓。


『明日の空』
上・下
貫井徳郎著
集英社


『後悔と真実の色』
貫井徳郎著
幻冬舎

『乱反射』
貫井徳郎著
朝日新聞出版

『ミハスの落日』
貫井徳郎著
新潮社(新潮文庫)
『夜想』
貫井徳郎著
文藝春秋(文春文庫)
『愚行録』
貫井徳郎著
東京創元社
(創元推理文庫)
『慟哭』
貫井徳郎著
東京創元社
(創元推理文庫)

── 『明日の空』は、明るい筆致で描かれた青春ミステリーです。作品を一つボツにして、新たに書き下ろされたそうですね。

貫井 僕は、事前にかっちりと構想をかためて書くタイプではなく、ストーリーがどうなるか自分でも分からないで書き始めるものですから、うまくいく場合といかない場合があります。滅多に起こらない、うまくいかない事態が『小説すばる』の連載で起きてしまい、連載終了後、本にしませんでした。出版社の方から「謝れ」と言われたわけではないですが(笑)、原稿料を頂戴しておいて出版に到らないのはよくないので、全く別のストーリーを書き下ろしました。

── 主人公は、十七歳までアメリカで生まれ育ったエイミー≠アと真辺栄美。高校三年で帰国、日本の風習になじめるかドキドキしながら高校に編入し、いろんな出来事に遭遇していく。

貫井 編集者の求めているものと僕が書きたいものとの不一致を避けるために、どんなものを書いてほしいか、あらかじめ聞くことにしています。この作品のときは、「どんでん返しがあるもの」と言われました。テーマ性、ドラマ性が強いもの、むしろミステリーじゃなくてもいいとの依頼が増えている中、「どんでん返し」の注文は珍しく、面白いなと思って、じゃあ、どんなどんでん返しにしようかと。人がいちばん驚くのは、どんなときだろう。人は、自分が先入観を無意識に持っていたと気づかされたとき、非常に驚く。それで、人間の先入観をクローズアップする仕掛けを理詰めで考えていきました。

── 執筆に時間がかかりましたか?

貫井 そもそも、女子高生の一人称をベースにしたのが無謀だった(笑)。部分的に女性の一人称を使ったことはあっても、ベースにしたのは初の試みで、男の作家が十代の女の子になりきって書く、その難易度はかなり高いものでした。きのう、「女子高生の一人称で長編を書いたよ」と妻に言ったら、「えっ、大丈夫なの?」と心配されました(笑)。それと、伏線≠いかに自然に物語に溶け込ませるかでも悩んで、筆がよく止まりました。今の高校生を書いて、何年後かに文庫になるとき、古い感じを与えないよう、自分の高校時代の経験で、普遍的なところを思い出して書きました。

── かっこいい男の子に惹かれるなど、女の子の感情がしっくり書けていると思いました。「おれのプラスにはならない」と、十代にして打算むき出しの台詞はリアルです。

貫井 そういう発想をする人が増えている実感はあります。一人ひとりのわがままが積み重なっていく『乱反射』という作品を昨年出しましたが、一人ひとりのガツガツ度が高まっているのは、情報が凄く増えたことが原因だと思います。昔は、ごく近くにいる生活レベルの似たもの同士でつきあい、それぞれ八割くらい満たされれば満足し、残りの二割を譲り合って社会がうまくいっていた。今は情報が溢れかえり、世の中には十割を手にしている人がいると知って、おれだって十割ほしいと主張し合っている。自己主張のぶつかり合いを『乱反射』で書き、じゃあどうすれば衝突を緩和できるのかという先の部分が『明日の空』に書かれることになりました。あくまでも「どんでん返し」のトリック優先で、読後感のいい青春小説を目指した書き下ろしが、『乱反射』とネガとポジの関係になると思っていなかった。昨年末、最終章の一歩手前まで書いて、結末をどうすればいいか止まってしまい、年末年始ずっと考えて、『乱反射』の後で書かれるべくして書かれた作品だったと気づき、『明日の空』というタイトルも決まりました。

── 『乱反射』は群像劇ですが、この作品は登場人物の人数が搾られていますね

貫井 僕は、人数が多いほうが書きやすいです。登場人物が少ないのは物理的に世界が狭いことでもあり、狭い世界で話を転がすのは難しい。高校の中で劇的なことなんてそうないですし、主人公が課外授業で鎌倉に行ったり、友だちと豊島園の遊園地に行く場面を書いて、果たして読者は面白いのか、僕自身がよく分からず、不安でした。逆に、僕の本を読んだことがなかった人に読んでもらえる作品かもしれない。これで僕の作品を気に入ってくれた人が、ほかの作品を読んで、あまりの作風の違いに驚愕するかもしれませんが(笑)。

── ところでこのほど、『乱反射』で日本推理作家協会賞を受賞、『後悔と真実の色』は山本周五郎賞の候補となっています(※)。デビューして十八年。話題作を次々書きながら、賞と無縁だったのが不思議なほどですが、受賞の感想はいかがでしょうか。

貫井 デビュー作の『慟哭』も鮎川哲也賞の最終候補でしたから、初めての賞です。なんというか、自分の状況を客観的に眺められるほどすれてしまって(笑)、今度はいただけるのではないかと思っていました。推協賞受賞の連絡を受けたときは、推理作家協会のホームページ担当として、作家と作品名を更新しなくてはいけないなと、とても客観的でした(笑)。けれども、記者会見に行き、選考委員の北村薫さんが授賞理由を熱く語って下さったのを聞いて感動し、「書いてよかった」と心の底から嬉しさがこみ上げてきました。

── ミステリーに対するこだわりは

貫井 ミステリーを書いてなかなか評価されない諦め≠烽りますが、僕の小説のどこが評価されているかというと、謎がどう解かれるかより、テーマ性、ドラマ性の部分のようです。スピードスケートの選手がフィギュアの大会に出ていたような(笑)、向かないものを書いていたと自覚させられてきたので、これからは自分のストロングポイントを生かした作品をやっていこうと。僕は同時平行で三本の小説を書くリズムがあっていて、今手がけている連載は、二本はトリックがない話、一本はミステリーです。このうち、四、五月にスタートさせた連載二本は、一つは親子の情、もう一つは男女の愛情と、両方とも「情」がテーマ。テーマ設定はその時々で変わりますが、親子の情でいうと、僕には中学生になる子供がいて、もう少し大きくなってからだと、書くと嫌がられるかもしれない(笑)。小さい頃は今の状況が想像できませんでしたから、子育ての経験を踏まえて、今書くことにしました。

── 『明日の空』は貫井作品の中で異色作といえますが、テーマに普遍性があり、仕掛けに驚いた後、胸がじんわりとしました。今後はどのような小説を目指していらっしゃいますか。

貫井 普遍性は意識していて、人間の心の奥深くまでずっと潜っていくような小説が自分にあっているかなと思います。トリックがない方向を目指すのではなく、いろいろ書いていきたい気持ちが強く、社会問題を扱わないものも書いていく。社会問題を重石にしたほうが潜っていける場合もあるし、一個人の問題を深く掘り下げたものもやっていく。人の心は分からないものだから、分からないことに興味があり、分からずに始めて、思いがけないところまで到達できたりするともの凄く面白い。僕は、書くこと自体が好きで、最大の趣味ですが、自分の中の基準というのがある。今回の山本周五郎賞候補作『後悔と真実の色』は連載の時点で満足がいかず、どう直したらいいか考えて、連載終了後一年半がかりで本にしました。ひとつ突出したものがあって、だからこそ世の中に出す意味がある作品を出したいと思っています。


※収録後、『後悔と真実の色』は第23回山本周五郎賞を受賞しました。

(五月十日収録)


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