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『特別インタビュー 作家という職人 池波正太郎」
「池波正太郎記念文庫」指導員 鶴松房治氏
インタビュアー 石川 淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2010年5月号」より抜粋

人間・池波正太郎、そして池波作品の魅力とは。生前の池波氏のアシスタントを務め、現在は東京・浅草にある池波氏の記念施設「池波正太郎記念文庫」の指導員を務めている鶴松房治氏にお話をうかがいました。
(インタビュー:編集部)

鶴松房治(つるまつ・ふさはる)
昭和22年生まれ。明治大学文学部・演劇学専攻卒業後、劇団新国劇に入団。制作部在籍中に池波正太郎作品の演出助手等を務める。退団後S日本舞踊協会、厚木市文化会館での舞台制作の仕事と並行して、池波正太郎の私的なアシスタントを15年間にわたって務める。池波氏没後は資料の整理や作品の管理にあたる一方で、池波正太郎記念文庫(東京都台東区)、池波正太郎真田太平記館(長野県上田市)の設立準備を進め、開館後は両館の指導員、また池波作品に関する講座の講師として、各地で作品紹介等を行っている。
著書に『江戸切絵図にひろがる剣客商売 仕掛人・藤枝梅安』『江戸切絵図にひろがる鬼平犯科帳 雲霧仁左衛門』『古地図で散策する池波正太郎 真田太平記』(人文社)がある。


『江戸切絵図にひろがる 剣客商売 仕掛人 藤枝梅安』
鶴松房治解説
人文社


『江戸切絵図にひろがる 鬼平犯科帳
雲霧仁左衛門』

鶴松房治解説
人文社

『古地図で散策する
池波正太郎 真田太平記』上・中・下
鶴松房治解説
人文社

『デセプション・ポイント』上・下
ダン・ブラウン著、
越前敏弥訳
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
(角川文庫)
『パズル・パレス』上・下
ダン・ブラウン著、越前敏弥、熊谷千寿訳
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
(角川文庫)
『運命の書』
上・下
ブラッド・メルツァー著、
越前敏弥訳
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
(角川文庫)
『Xの悲劇』
エラリー・クイーン著、
越前敏弥訳
角川書店発行/角川グループパブリッシング発売
(角川文庫)

感覚と勘働きで
小説を書く


── 池波先生の側で15年を過ごした鶴松さんから見た、生の「池波正太郎」とは、どのような人だったのでしょうか。


鶴松 池波先生は浅草と上野の中間ぐらい、今の地下鉄銀座線・稲荷町駅そばの「永住町」と呼ばれた下町で少年時代を、青年時代は兜町の株式仲買店という東京の中心地で過ごしました。その生い立ちから、池波正太郎は 生粋の東京下町っ子≠ニいう性格でした。
 非常に律義、用意周到で、原稿執筆を含めたスケジュールを早め早めに計画、実行する。今でも編集者の間で語り種になっているんですが、先生は生涯原稿が遅れたことがなかったんですよ。

──あんなにお書きになっているのに?

鶴松 そう、昭和40年代後半には週刊誌、新聞の連載など小説だけで月に6〜7本、その他にエッセイと、大変な量を書いていたのに、通常は締切2〜3日前、遅くとも締切前日の夕方には出来上がっていました。
それに先生は整理整頓の達人でもありました。作家の書斎というと乱雑な部屋というイメージがあったのですが、初めて池波先生の書斎に入れていただいたとき、想像と全く違って驚いたんです。忙しい中でも身の回りの片づけはきちんとされていた。雑誌は自分の作品の掲載部分だけ切り取り、画用紙で表紙を作ってホッチキスで留めて保存。取材時に撮った写真も私が写真屋から持って帰るなり、すぐに整理にとりかかる。そんなイメージありませんよね(笑)

── 原稿を待つ編集者も楽だったでしょうね。

鶴松 ただ短気で怒りっぽい気質でしたから、編集者の方は非常に苦労したと思います。「原稿はいかがでしょうか」という電話も締切1週間前に入れると「お前、いいかげんにしろよ!」と怒り出す。待っていると、前日に先生の方から「いらないんだったら破いちまうぞ!」と電話がきたとか(笑)。どんなベテラン編集者でも、最初はタイミングを合わせるのが難しかったそうです。

── 実際にはどのようにご執筆されていたのですか?

鶴松 先生の両方の祖父が宮大工と飾り職人という職人であったため、よく自分は作家という職人である≠ニ言っていました。職人は修錬して身体に染みこんだ感覚でものを作っていく。自分も作品を書く時に一番大切にしているのはそのような感性・感覚なのだと。それと、「鬼平犯科帳」の主人公・長谷川平蔵が泥棒を見定めるときに使う「勘働き」。先生自身も勘を頼りにして書いていらっしゃいました。書き出しが閃いたらストーリーも決めずにどんどん書いていく。だから自分でも結末がわからない。「鬼平犯科帳」の人気登場人物・密偵の伊三次の身に起こる「五月闇」(文春文庫・14巻収録)のエピソードは、発表後に読者から抗議が殺到したのですが、先生にしてみれば「書き進んでいくうちに、そうならざるを得なかった」のだと。先生は亡くなる直前まで書き続けていましたが、身体に染み込んだ職人的感覚と勘があったからこそできたのでしょうね。もっと長生きしていたらずっと書いていたと思います。

── 池波作品といえば、美味しそうな食べ物の描写も魅力の一つですね。

鶴松 先生の時代小説第一作『真田騒動 恩田木工』で、すでに「辛味大根で食べる信州蕎麦」という描写が出てくる。これは四季折々の食べ物を描くことで季節感を表したかったからなんです。実際に小説に出てくる料理を作る方もいますが、実は全てが美味しいというわけではないんですよ。先生の書く食べ物は「読んだ方が美味しい」とも言われます。昔と味覚が違うこともありますが、やはり食べ物が持つ季節感が小説の雰囲気を作っていたのだと思います。

普遍的な
人の営み≠描く


── 池波先生が作品を通して伝えたかったことは何だったのでしょうか。

鶴松 池波作品の普遍的テーマは人の営み≠ナす。食べて、寝て、仕事をして、家族を作って、死を迎える。生まれたときから死に向かっていく運命でありながら、朝起きて美味しいお味噌汁を一杯いただくことに生きがいを感じる──これが人の営みなんだとおっしゃりたかったのではないでしょうか。平蔵が「人はいいことをしながら悪いことをして、悪いことをしながらまたいいことをする」と言いますが、矛盾を抱えながらも生きていく人間の自然な様を根底に据えているのが、池波作品の特徴なんです。だから現代の私たちにとっても非常に受け入れやすい

── 没後20年が経った今も読み継がれ、新たな読者も増えています。

鶴松 池波作品は、読みやすくて、わかりやすくて、面白い! 時代小説を初めて読む方も読みやすいと思います。「鬼平犯科帳」の構想は昭和30年代にすでにあったのですが、先生は「この話を書くのはもっと柔らかい文章を書けるようになってから」と考え、文章が熟した昭和42年に第一作「浅草・御厩河岸」を発表した。それくらい、読者の読みやすさを常に意識されていました。セリフや改行、平仮名やルビを多く使い、途中から読んでもわかるように、登場人物の生い立ちなども繰り返し書いています。
 これから池波作品を手に取る方は、やはり王道で「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」、この3つの人気シリーズと長編『真田太平記』からお読みになるといいですね。『真田騒動』をはじめとする【真田もの】、『忍者丹波大介』などの【忍者もの】、『人斬り半次郎』『幕末新選組』の【幕末もの】も面白い。挙げればきりがありません。何回も読んでいる読者も多いと思いますが、その度にまた違う感動があるのが池波作品の素晴らしさです。

── 記念施設である「池波正太郎記念文庫」は、池波先生の生涯、魅力を知ることができる場所ですね。

鶴松 池波先生が亡くなられた2年後の平成4年に、ご遺族から「池波正太郎の原点・故郷である上野・浅草に永久保存を」と、全ての資料、遺品が台東区へ寄贈されました。新築された台東区立中央図書館に併設して公開スペースを作り、平成13年9月に「池波正太郎記念文庫」ができました。池波先生はおおげさなことが嫌いでしたので記念館≠ナはなく記念文庫≠ノしたわけです。先生の書斎の復元や著作・自筆原稿・絵画・遺品などを展示しています。また「時代小説コーナー」には戦前の貴重本から現代の人気作品まで、八千冊を超える時代小説に関する資料があります。これも池波家のご要望で「時代小説愛好家や研究家のために、池波作品だけではなく、多くの時代小説の名作を集めた場所にしてほしい」と基金を頂いて収集したものです。中には『大菩薩峠』『銭形平次』『宮本武蔵捕物控』の初版本など、大変貴重な本が展示されています。ぜひ来館して池波正太郎と時代小説の新たな魅力を発見していただければ嬉しく思います。

(3月13日、東京都・台東区立中央図書館にて収録)


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