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『美しい魂』『エトロフの恋』の島田雅彦さん
インタビュアー 鈴木健次(大正大学教授)

島田雅彦(しまだ・まさひこ)
1961年東京生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。在学中の83年、『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビュー、以後、小説、戯曲、状況への提言など多岐にわたる執筆活動をフロントランナーとして展開している。著作に『夢遊王国のための音楽』(野間文芸新人賞)、『彼岸先生』(泉鏡花文学賞)、『天国が降ってくる』、『僕は模造人間』、『夢使い』、『忘れられた帝国』、『内乱の予感』、『自由死刑』など多数。『彗星の住人』から2年、『美しい魂』『エトロフの恋』の発表により、「無限カノン」三部作が完結した。




『美しい魂』
新潮社



『エトロフの恋』
新潮社



『彗星の住人』
新潮社



『楽しいナショナリズム』
毎日新聞社



『自由人の祈り 島田雅彦詩集』
思潮社



鈴木 大作ですね。実を言いますと、ここに来る車中でようやく無限カノンと名付けられた三部作を読み終わったばかりです。あとがきにどういう順序で読んでもいいとあったので、第三部の『エトロフの恋』から始めて、第一部の『彗星の住人』、第二部の『美しい魂』と読みました。
島田 ほう、大丈夫でしたか、あとがきにはあのように書きましたが、実際にそう読まれて。
鈴木 ええ。まず第三部を読むと、もちろんよくわからないところもありますが、前と重なる記述があるので大体の想像はつきます。三、一、二と読んで、だんだん三がよくわかってくるという面白さもありました。本当はもう一回、第三部に戻って読めれば理想的だったんですが、時間切れでした。なにしろ時間的にも空間的にも大ロマンで・・・・・・。
島田 大風呂敷を広げました(笑)。
鈴木 いや、いや(笑)。起点は一八九四年。
島田 ええ。蝶々夫人死の年です。
鈴木 それから二〇一五年まで。この年は?
島田 未来完了という不安定な形になりますが、それをやってみたいと思ったんです。一八九四年なんて私にとっては遠い過去なわけで、その遠い過去から書く方法があるのなら、私の知らない未来から書いてもいいじゃないかという、まあ、ちょっとした気まぐれです。
鈴木 長崎で蝶々夫人がピンカートンに寄せた愛に始まって、その落とし子が日米関係の狭間でもまれ、諜報活動に従事して満州に行く。その息子・蔵人は音楽家になって、占領時代にマッカーサーの相手になった日本一美しい女優を寝取り、そのまた息子のカヲルは皇太子妃に思いを寄せる。
島田 いや、先にカヲルが愛したんですよ。
鈴木 幼友達でしたね。カヲルと別な女性とのあいだに生まれた娘・椿文緒が、行方不明になっている父を求めてカヲルの義理の姉・アンジュからカヲルのことを聞き出し、それが糸口になって次々と五代前までの祖先の恋の歴史が明らかになってくるという話ですが、舞台は長崎、東京と日本の中を移動するだけではなく、ニューヨークあり、満州あり、最後はエトロフと実に壮大です。エトロフには実際に行かれたんでしょう?
島田 十一年前に一週間ほど滞在しましたが、大変なところです。日本地図に入っているということで外務省はビザなし渡航を勧めるんですが、すごく難しいんです。船をチャーターしなくちゃいけないし、入管をスムーズにするために事前交渉しておかないといけない。入管は外務省の立場ではないんですよ。ピースボートに乗ったり里帰り墓参団に参加するのが現実的なんですが、私の場合は一人でしたからロシアのビザをとって、新潟からハバロフスク経由でユジノサハリンスクへ飛び、そこで入島許可証が出るのを待って天気のいい日に入る。東京を出てから三日かかりました。
鈴木 『エトロフの恋』を読むと、ずいぶん長く暮らしたような感じですが・・・・・・。
島田 ニューヨークには一年おりましたが、エトロフにはカヲルみたいに長くはいられませんね。私は仕事半分、興味半分で酔狂な観光に行ったわけですが、サバイバル技術が必要です。島の人々は漁労と狩猟、あとは庭でジャガイモをつくるなり豚を飼うなり、自給自足の生活を営んでいましてね、古代の狩猟生活の名残が今でもあるんです。
鈴木 この雄大なロマン、発想のきっかけは何ですか?
島田 いろんな言い方があるんですけれど、ひとつには四十歳を前にして充実した中年期を迎えるために、なにか大作を書いておかなきゃいけないような義務感というか、それを課したんです、自分に。フライング気味にデビューしましたので、先輩作家たちが何歳の時に何を書いたのか、すごく気になるんです。すでに構想の段階で芥川や太宰の死んだ年齢を越すか、近づいていたわけで、この二人の歳はわりに難なく過ごせたと思っていたんですが、次は三島由紀夫です。三島の晩年はご存知のとおり『豊饒の海』四部作を締めくくる原稿の末尾に記した日付に、市ヶ谷で腹を切っているわけですね。中上健次という私にとっては身近な先輩がやはり四十代で亡くなっておりますが、その時も三島の『豊饒の海』のことを考えたようです。私もいろいろ考えて、延命策といったら大げさですけども、中年期もそこそこに楽しく暮らしたいと思って、死なないための本として大きな長編を構成したんです。当初は『彗星の住人』と『美しい魂』の二部であの禁忌の恋を描ききろうと思いました。三島の場合も禁忌の恋から『豊饒の海』を始めていますが、その第一部『春の雪』というのは実に息苦しい作品で、あれは恋というよりは禁忌そのものですね。禁忌に恋する者は禁忌に引きずられるようにして死んでしまう。だから私は禁忌の恋という設定はつくりながら恋を書く。そうすればエロスに愛されて延命できるのではないかと考えたんです。三島の『春の雪』には、優雅とは至高の禁忌を犯すことだというテーゼがあって、まあ一種の審判の美学っていうことだと思うんですけれど、僕には、死んじまったらなかったことにされるぜ、という思いがあります。『豊饒の海』が不吉なのは、最後の巻になって全ての輪廻転生の元になった『春の雪』の恋が、なかったことにされていることです。本当に暗い終わり方だと思います。私の物語もどちらかが禁忌を犯し続けると、死に到達してしまう。恋の代償として死を選ばされれば、ロマンティックなストーリーとしてもうちょっと読者が増えたかも知れないけれど(笑)、死んだらなかったことにされる。私はともかく麻川不二子を皇太子妃にしたわけで、二人の絆は二〇一五年の未来まで続いていく。忘れられない恋、満たされない恋っていうのは未練もその分強いんです(笑)。
鈴木 どうして三部作に変わったんですか。
島田 『美しい魂』を書き終わる頃、問題が出てきたんです。まったく予期しませんでしたが、出版予定日と皇太子妃の出産予定日が見事に重なってしまった、まったくの偶然ですが。それでさまざまな配慮をせざるをえない状況になり、出版が延期になりました。その間にこのままでは終われないという思いが湧きあがって、『エトロフの恋』を書くことにしたんです。ただタイミングを待つより、待っている間に何かやっておきたいという焦りみたいなものもありました。しかし難航したんです。『エトロフの恋』がいちばん短くて、スッと書いたように思われるかもしれないですけれど、これがいちばん苦労しました。
鈴木 どういう点で?
島田 第二部までで物語の起承転結はついていたんですよ、終わろうと思えば。一つの恋を描き切り、その二人が別れるところで恋愛小説として完結し得る。ところが主人公は死ななかったんですね。カヲルを殺さないことにした。そうすると当然、二〇一五年という最初に決めた語りの手法もありましたので、この華麗なる恋を演じきった男もその年には五十歳になる。かつては歌手として恋人として栄光を見た者の末路を、是が非でも書いておかなければならないのではという気になりました。三島には五十歳という年齢はなかったわけですから、まあ、死なない三島由紀夫っていうか、死なないヒーローを書いてみようということですね。
鈴木 第三部を書かれたことによって第二部が変わったということはありますか?
島田 皇太子妃のプライバシーに触れるようなことは避けなければならない、身の安全のためにも。しかし配慮しすぎてはいけない。その辺の兼ね合いでずっと悩んだのです。『エトロフの恋』っていうのは、そういう大きな問題に触れるような部分を中和するというと変ですけれど、危険な恋を彼岸に位置付けた。『エトロフの恋』を書いたので逆に『美しい魂』の改稿をそれほどせずに済んだ、ということがあります。
鈴木 あえて禁忌に挑戦されたのは?
島田 一つは皇太子が私の一つ年上で、幼い頃から『王子と乞食』のパターンを当てはめられた(笑)。どうしても自分が乞食に見えるんですよ。まあ、それがきっかけになっていると言えば言えるでしょう。それからもう一つは、一九八九年の昭和天皇の崩御ですね。みんな誰に頼まれた訳でもないのに派手なことを自粛したりしてましたでしょ。あれは経済効果で換算したら相当のマイナスですよ。一人の老人が亡くなるということでこれほど大きな影響を政治、経済、文化に及ぼすということが信じられなかった。それ以降、なんとなく皇室がらみの言論が萎縮してしまった気がするんです。昭和天皇が健在の頃は新聞記者が記者会見で、戦争責任についてどう思うかと天皇に問うたんですからね。少なくとも昭和天皇存命の頃の言論状況に戻したいという思いが、一人のもの書きとしてふつふつと湧き上がってしまったんです。みんなが禁忌だと思っているものを、禁忌じゃありませんと宣言したかった。
鈴木 しかし、いろいろ配慮されていますね。
島田 それは皇室であろうと自分の奥さんであろうと誰であろうと、プライバシーは侵害してはならないという問題です。これは絶対にプライバシー裁判にはなりません。皇室との裁判というのはありえないけれど、それを抜きにしても裁判にならないように書いたつもりで、そういう配慮をしているから出版できたと思っています。
鈴木 モデル問題といえば、蔵人はマッカーサーの恋人になっている日本一美しい女優に恋しますね。
島田 作中の松原妙子。
鈴木 実名でいえば誰でも知っている人だと思いますが、あんな噂はあったんですか?
島田 ええ、占領時代からありました。原節子だけじゃなく、入江たか子にもありました。ただ調べれば調べるほど、これはただのデマにすぎないということがわかります。
鈴木 でも、あんなふうに書かれると本当じゃないかと思う(笑)。
島田 『大正天皇』を書いた原武史にも言われました。歴史家まで騙せて嬉しかった(笑)。
鈴木 島田さんは年齢的にフライング気味に世に出ただけでなく、作品も時代を先取りした前衛的な作家だというイメージを持っていたんですけれど、この三部作を読むとずっと読みやすくなっていて、より幅広い人に読んでもらおうとしているエンターテインメントを目指すといったサービス精神を感じました。
島田 ありがとうございます。まあ、そこがいちばん自分に欠けているという自覚がありましたので(笑)。この作品をきっかけにエンターテインメント作家のスタートラインに立ちたかった、と正直に申し上げます。
鈴木 ところで、この小説の語り手は誰なのか。文緒がアンジュを訪ねて父のことを聞き出すと、「君はアンジュに話を聞いた」といった語り手のコメントが出てきますね。あれは作者自身ですか。
島田 そう、「君」と語りかける人は誰かっていう謎解きなんですよね。
鈴木 どんな小説でも作者は語り手であるわけで、何故ああいう語り手が必要だったのか?その謎が解けるかと思って読んだんだけれど、わかりませんでした。
島田 私にもわかりません(笑)。
鈴木 えっ、そうなんですか(笑)。
島田 ただ、『オデュセイア』の書き出しは、言うなればミューズという詩の神に語りかけているんですね。叙事詩の語り部というのは、詩の神との関係の中で育てられていくものです。椿文緒は十八歳で初めて一人旅をやっているわけですから、当然語り手としては未熟すぎる。それで、こんなふうに考えてみたんです。例えば十八歳の女の子が自分のおじいさん、おばあさんから不意に戦争の話を聞かされたとする。優しい好々爺のおじいちゃんが実は昔、特務機関に勤めていて政治犯を拷問し、人もいっぱい殺したという事実を死ぬ間際に打ち明けたとすると、孫にとっておじいちゃんのイメージはガラッと変わるだろうと思うんですね。そして、自分はまったく歴史とか戦争に関わりがないと思っていたけれど、自分もまた歴史に繋がるっていうことを意識するという局面は誰にでもあり得るんですよ。それは皇太子や岸信介の孫である安倍晋三だけじゃなくて、誰にでもあり得る。だから文緒っていう女の子も突然、戦争とか占領とか歴史に接合されてしまったということです。歴史の認識もないまま無理やり聞き手にさせられることで文緒は歴史認識を獲得していく。そうやって語り手を育てていくのもまた、歴史を受け継いでいく営みだと思います。歴史の記述は歴史家が資料にあたり、語り手となって記述していきます。その人がもし国家権力の干渉を受けたら御用学者になってしまう。小説は国家権力と関係ないところで、国家権力にとってあまりありがたくないことでも他人事のように語ってしまうことができる。物語というのはエンターテインメントの要素も必要ですが、あったことをなかったことにしないという歴史記述の使命も果たしているんですよ。吉野に行けば南朝の伝説が残されている。谷崎潤一郎はそういうところに敏感に反応して、口承で伝えられた伝説をしっかりと自分の小説の中に取り込もうとした。中上健次もそうしました。逆に言えば、小説家がそれをやらなければ誰がやるのか。
鈴木 島田さんは、歴史は恋を嫌うけれども恋と無縁な歴史はない、と書かれていますね。もうちょっと普遍して言えば、人間の情感と無縁な歴史はない、ということでしょう。
島田 そうなんです。
鈴木 この小説は、ペリー来航以来の日米関係、長崎開港、日本の中国大陸への進出、日米戦争、敗戦、占領、そういう日本の近現代史を恋の物語で肉付けしている。
島田 実現できたかどうかは別として、それは狙いでした。戦争や占領をまったく実地には知らない世代が、それらを経験としてではなく、歴史として語る時代にもうきていますからね。
鈴木 島田さんは一九六一年生まれ?
島田 そうです。だから安保闘争は直接知りません。物心ついたとき首相は佐藤栄作、田中角栄に代わったのが小学校六年のときです。でも、トルストイの『戦争と平和』も彼自身はナポレオン戦争を知らない世代ですからね。しかし、だから書けたのかもしれないっていうこともあるわけです。戦争も占領も知らない世代が、どのようにその時代を語り続けるに至ったかということを、同時代として経験された世代の方に、とくに興味をもっていただきたいと願っています。

(10月22日 東京・市ヶ谷にて収録)

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