石川 NHK BSミ2で放映中の「週刊ブックレビュー」の司会として本の魅力を紹介し続けてきた中江有里さんが、小説『結婚写真』を上梓されました。本書には表題作の「結婚写真」と「納豆ウドン」の二作が収められています。 中江 「納豆ウドン」は私が初めて書いた作品です。これは「BKラジオドラマ脚本懸賞」に入選した脚本を小説化したものです。すでにラジオドラマとして完結した脚本を、改めて自分に引き寄せて小説にする作業は苦労しました。脚本で省略したディテールなどを書き加えていくうちに、これが自分の書きたかった小説なのか、わからなくなることもありました。「納豆ウドン」を四年がかりで完成させたときに小説を書く自信がつきまして、それからweb上での連載という形で、オリジナル作品「結婚写真」を執筆しました。 石川 「結婚写真」は中学二年の満とシングルマザーの和歌子の暮らしに、和歌子の若い恋人・林が登場する物語を軽やかな筆致で描いています。学校生活と家庭、または恋の話に終始するかとの予測を裏切り、最後に読者は二十九歳になった満を見届けることになります。 中江 「結婚写真」は、連載前に全二十一話分のプロットをつくり上げてから執筆しました。物語の中で満が二十九歳になることは、最初に決めていました。でも実際は、プロットからなるべくまわり道をして書こうと努力しました。例えば満は学校でいじめにあいますが、それは彼女のバックボーンに何か必要だと感じていて、書きながら浮かんできた設定です。 石川 満が受ける陰湿ないじめにしても、「納豆ウドン」で描かれた学級崩壊にしても、中江さんが小説を書く際には、アクチュアルな問題を意識しているように感じました。 中江 私の学生時代にもいじめはありました。子どもだからいじめがあるのではなく、大人にもいじめはあります。自分と他者の行き違いのしわ寄せが弱者に向かってしまうことは、どんな関係、どんな社会にも存在するのかもしれません。小説を書くときに、そういう現実を避けて通ることはできませんでした。 石川 満と和歌子を母子家庭という設定にしたのはなぜでしょうか。 中江 父親がいて、母親がいて、子どもがいる家庭が一般的だとしたら、そうではない家庭から生まれるドラマを描きたいという思いがあったのと、いびつな女を描きたいという狙いもありました。和歌子のいい加減さは、書いているうちにどんどん膨らんでいきました。一生懸命取り繕っているのに、だらしがなくなっていきますよね(笑)。その尻拭いを満がしているところなどは、親子の立場が逆転していて、書いていて楽しかったです。 石川 物語の中で父親を登場させて、満や和歌子とのドラマを描く方法もあったかと思いますが、別れた父親は一切登場しませんね。 中江 満は思い出のないものを追うことはしないんです。そういう割り切り方をする女の子です。基本的には母と娘、そして林の三人の物語を描くつもりでしたので、父親を登場させることは考えていませんでした。 石川 物語の特徴として、各章ごとに語りの視点が満や和歌子、ときには林にまでスライドします。 中江 私の中には、同じ物事でも、見る人が違えばまったく違う出来事としてとらえられてしまうという思いがありました。黒澤明監督の「羅生門」も人物によってそれぞれ事実が異なる物語でしたよね。「結婚写真」の話を考えたときに、この手法を使いましたが、書き始めたらとても難しかったです。でも、その手法を使って良かったと思うのは、「結婚写真」は満だけで終始する話ではないんですね。満にとっては母親の恋愛はウザいだけですが、和歌子はいい母親であるよりも、いい女でありたいという思いが強いんです。また、林という人物は、何度か満のピンチを救ってくれて、満から見れば白馬に乗った王子様なのですが、和歌子にとっては当然違う存在になるわけです。 石川 だけどその林は、結局は凡庸な人生の選択をします。 中江 私の中では、林が一番人間らしいと思っています。今回、初めて男性の目線も使って小説を書きました。想像力を目一杯働かせることになりましたが、担当編集者から「こういうことを書いてほしかったけど、ここまで描かれると同じ男性として身の置き場がない」と言われました(笑)。 石川 この作品は、細やかな状況設定が物語展開の呼び水になっている点が上手いと感じました。例えば、天ぷらの油切り用に渡した新聞の折込広告が、結婚写真を撮影するキャンペーンを知るきっかけになっています。 中江 物語をどうやって結婚写真に結びつけるかはずっと考えていて、脚本を書くときのように、流れを逆算していきました。深く考えたのではなく、私が今まで暮らしてきた生活の中から結びついた発想です。 石川 結婚写真を撮った満と和歌子ですが、二人の人生の選択には中江さんの強い意志を感じました。 中江 二人の結末は最初の段階から決めていました。結婚という幻想を抱き続けている女性自身に、そうではない選択や決意もあるんだよという考えがありました。それから、親子という関係を自然で当たり前のもののように考えるのは、思い込みなのかもしれません。和歌子と満の親子も、たまたま運命に添って育て、育てられた関係なんだと考えています。そして、二人は年月を経て、依存するわけでもなく、新たな親子関係を築いたのだと思います。 石川 中江さんの膨大な読書量と女優としての鋭利な観察眼が、小説を書かれる上で有利に働いたのではありませんか。 中江 自分が役を演じる立場であるというのは、小説を書くことにおいて重要なことだと思っています。今まで女優をしてきた中で、奇跡の瞬間とも思えるような、役柄の魂と同化する瞬間がありました。小説を書く上でも、物語中の人物の魂が自分に宿るものだと信じて書いています。 石川 いつ頃から作家を目指したのでしょうか。 中江 物を書く仕事に憧れたのは小学生からです。当時読んでいた本では、エクトール・マロの『家なき子』が強く印象に残っています。中学生になってからは、脚本家になりたいと思っていました。そんな中、親戚が勝手にオーディションに応募してしまい、女優の仕事をすることになりました。 石川 中江さんの脚本家デビュー作「納豆ウドン」は、懸賞に応募して入選された作品ですね。 中江 脚本を書きたいという夢を持っていましたので、何の迷いもなく楽しんで書くことができました。もし、賞をいただけなかったとしても、この作品を書けたことで幸せだと思っていました。懸賞に応募したのは、自分が面白いと思って書いたものが、どのように人に評価されるのか、正々堂々と試してみたかったからです。知り合いの方に読んでもらう方法もありましたが、脚本家を目指す卵として、他の方と同じラインに立ちたかったので応募という方法を選びました。 石川 「納豆ウドン」では、主人公・由実の母親は言葉が喋れない病気にかかっています。ラジオドラマの脚本において、沈黙する登場人物に仮託した思いとは何でしょうか。 中江 私の中には、その場に存在しないからといって、無視をするものではないという思いがあります。私の両親は離婚していて、長い間父とは会っていませんが、今まで忘れたことはなくて、父親に影響され続けています。また、「あとがき」にも書きましたが、私の祖母と叔父は亡くなっていて、もうこの世にはいないのですが、私の中には二人とも存在していて、何かを訊くと言葉を返してくれるのを感じています。私は、その場にいなかったり、この世にいない人を無視することができないんです。 石川 「あとがき」には《「人を(自分を)そんな簡単に分類されてたまるか」という気持だけははっきりとしている。》と毅然と書いています。 中江 私は物を表現することが好きで、その表現の分野はどんどん広がっています。だけど、私は専業の女優でも、専業の作家でもなくて、ましてやそれぞれを片手間でしているわけでもありません。そういう考えから、簡単に女優、作家と分類されたくないと思っています。私自身、ひとつのカテゴリーにくくられるのが好きではないんですね。 石川 二作目の構想はいかがですか。 中江 次は、同世代の女性の話を書きたいです。自分自身で縛りつけた価値観、結婚や出産や仕事に対して、どう苦しんで選択していくのかを考えて、小説にしてみたいと思っています。