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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

『沖縄の〈怒〉 日米への抵抗』

ガバン・マコーマック/著
乗松聡子/著

法律文化社

◆誰かが誰かの犠牲の上に利益を得ることは正当化できない
高橋哲哉(東京大学教授)

高橋哲哉 私が申し上げたいことは、『沖縄の〈怒〉』の帯文に寄せた文章に尽きます。「日本人よ、今こそ沖縄の基地を引き取れ――この高まる怒りの声にどう応えるか。」このアピールは私が作ったのではなく、國吉和夫さんという写真家が最近出した『STAND!』という写真集の冒頭を飾る写真に写っている、沖縄の人たちの横断幕に書かれた訴えなんです。私はこの言葉は、本土の人間=ヤマトンチュに対する根源的な問いかけだと感じ、これに応答しなければいけないとずっと思ってきました。

 原発もそうなのですが、ある人びとを犠牲にして、そこから別の人びとが利益を得るシステムなのです。被害と加害の関係は必ずしも単純ではありませんが、基本的にはそういう構造であることを否定できない。そういう犠牲のシステムをこれからも維持するのかどうか。日本国憲法に照らし合わせても、誰かが誰かの犠牲の上に利益を得ることは正当化できないと思います。憲法を持ち出すまでもなく、誰かの犠牲の上で自分が利益を得るということは、人として正当化できない。にもかかわらず、日米安保をこれからも維持する、原発を維持するというのであれば、誰を犠牲にするのかをはっきりさせなければいけない。今の日本でそういうことを言える人がいるでしょうか。

 最終目標は安保をやめること、在日米軍基地をなくすことです。憲法9条実現を志向する者としてそれは変わらないのですが、いま現在、沖縄に4分の3の基地が集中しているという明らかに異常な不公正があって、これをなんとかしなければならない。そのためにはヤマトゥの側がこの基地を自らの責任として、撤去するなら撤去する、(安保を)破棄するなら破棄すると決断する。犠牲は自ら引き受ける以外に正当化できない。日米安保体制を維持したいのであれば、在日米軍基地の負担を自ら引き受ける。原発であれば、そこから生じる犠牲を自ら引き受ける。そういう覚悟がなければ、犠牲のシステムを維持すると言う権利は誰にもないと思うのです。

 5月3日に沖縄の憲法集会に参加して、「本土移設論に賛成する」「日本人の責任として基地を引き取らなければならない」と話しました。もちろん大前提として戦争は反対、軍も反対、安保はやめたいということなのですが、その責任をヤマトンチュが負わないというわけにはいかないのではないか。講演の3分の2は本土移設論、3分の1を安倍政権の改憲論に充てました。

 講演後に回収された150枚のアンケートの感想のほとんどは改憲論批判に共鳴する声で、なかに30枚くらい「本土移設論を言うなんてあきれた」という反応がありました。20枚くらい「本土の人で本土移設論を言う人が出てきて驚いた」という声もありました。沖縄全体でどういう割合になるかわかりませんが、知念ウシさんや野村浩也さんなどが切り開いた本土移設論は、もはや少数派ではなく、沖縄全体に深く広がっているような印象があります。この問いかけが日本政府だけでなく本土の人間に向けられたものだということを知る必要があります。(了)


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