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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

今井正の「心のなか」を探る

――語られざる今井正の戦時下の作品を検証・分析した労作
評者:上野昂志(映画評論家)

 今井正は、いまではなかば忘れられた監督なのではないか。
 だが、もちろん、一九五〇年代に映画をよく見ていた人たちにとっては、忘れるどころか、忘れがたい名監督だったはずである。『青い山脈』(1949)や『また逢う日まで』(1950)をはじめとして、一九五九年までは黒澤明や木下恵介と並んで、毎年のように「キネマ旬報」ベストテンの上位を占める監督だったからだ。戦火による被害の記憶が生々しく、戦後民主主義が目覚ましく映った時代の風を受けて、「人道的リアリズム作家」(佐藤忠男)としての今井正の映画も、ひときわ輝いて見えたのである。

 ただ、そのときはむろん、その後も、今井正が、戦時下で撮った『望楼の決死隊』(1943)に代表される「戦意昂揚映画」に関しては、映画ジャーナリズムは、一貫して黙秘してきたのである。これには、今井の戦時下の作品に言及すると、当時、新聞などで、挙国一致体制を推進する旗振り役として映画界を「指導」してきた彼ら自身の言動が明るみに出てしまうのを忌避したという面もあるだろう。

 その、語られざる今井正の戦時下の作品を検証したのが本書である。デビュー作の『沼津兵学校』(1939)に始まり、『われ等が教官』(同)、『多甚古村』(1940)、『女の街』(同)、『閣下』(同)、『結婚の生態』(1941)、『望楼の決死隊』、『怒りの海』(1944)、そして朝鮮人映画監督の崔寅奎との共同監督作品『愛と誓ひ』(1945)に至る今井の戦時下に撮った全作品を分析した労作である。おそらく、このような手間暇のかかる研究に著者を向かわせたのには、彼の師たる四方田犬彦の指導もあったのであろう。

 なお、著者の分析に当たる姿勢は、『帝国の銀幕――十五年戦争と日本映画』のピーター・B・ハーイに見られるような、今井を「戦時中は政府の戦意昂揚」の「協力者」、戦後は「全身全霊を捧げた平和主義者」、しかも「戦時中の活動について沈黙を守っ」て「平和主義者としての地位を確立」した偽善者として否定するというスタンスではない。むしろ、それとは逆に、戦前に左翼運動を経験し、戦中に、大庭秀雄に「こんなバカな時代がいつまでも続く筈はありませんよ」といった今井正の心情を踏まえて、国策の「戦意昂揚映画」と目される作品のなかに、いかに「反軍国的」な「心のなか」を埋め込んだかを見出そうとするのだ。

 たとえば、『多甚古村』では、戦地からの孫の手紙を親切な巡査に読んでもらった老婆が、巡査が立ち去ったあと、手紙を手に握ったまま、表情を崩しながら、ゆっくり頭を下げるシーンに、巡査には見せなかった彼女の「悲しみ」が滲み出る、と読む。あるいは、『女の街』では、出征中の夫の留守を守って、周りの中傷や嫌がらせにもめげずにおでん屋をやっていた妻が、帰還した夫と楽しく語り合うシーンで、重慶爆撃のニュースを伝えるラジオを切る「演出」に、「『軍国の声』を切る」今井正の「心情」を見出す。また、「内鮮一体」での「戦意昂揚」を目指す『望楼の決死隊』では、朝鮮民謡のトラジを延々と流したり、攻撃してくる「匪賊」を「緊迫感あふれる映像で」見せるところに、「『帝国の視線』(匪賊)が『植民地の凝視』(英雄)によって分裂する、『植民地のハイブリッド性』を投影している」と読み取るというように。

 これらは、いずれも個々の映画を丁寧に見直したうえでの分析として説得力があるが、当の植民地を歴史として背負う著者ならではの発見と感じ入ったのは、『愛と誓ひ』で、朝鮮人ながら海軍特別攻撃隊員としてアメリカの戦艦に体当たりして戦死した「半島の神鷲」の実家の柱に書かれた文字の一部が削られていることに注目し、詳細に分析したくだりである。そのうえで、著者はいう、「国策映画でありながらも、『創氏改名』に対する撮る側の『懸念』を反映した、国策(=帝国の視線)と懸念(=植民地の凝視)の『間』に位置する『テクスト』である」と。

 このように、今井正の戦時下の映画を分析したうえで、著者は、戦後の『また逢う日まで』(1950)や『ひめゆりの塔』(1953)などを検証するのだが、注目すべきは、『また逢う日まで』について、これが「今井正の抑圧されたものが現れる『症状』でもあり、現れた症状が『解き放たれる』治癒でもある」といい、「この『治癒』があったからこそ、欠落感を抱きながらも、今井正は戦後の反戦への道を歩むことができたのだといえるのではないだろうか」と分析した点である。

 ただ、わたしは、著者がそれを肯定的に捉えているのとは逆に、まさにそれ故に、今井正の反戦映画も、それを称揚した戦後の「反戦」も、きわめて脆弱なものでしかなかったと考えるのだ。

 著者も正確に書いているように、日本人の軍国主義に抵抗できなかった「後ろめたさを『消したい』、あるいは『なかったことにしたい』。この集団的欲望に、このフィルムが見事なまでの『ファンタジー』の場を与えたかもしれない」とすれば、自分たちは被害者で、悪いのは「軍国主義者」だった、ということになるからだ。これが戦後の、少なくとも一九六〇年代初めまでの日本人の「反戦」だったのではないか。

 ところで、本書を読んでいて、わたしが一番痛いと感じたのは、筈見恒夫、北川冬彦、津村秀夫ら映画ジャーナリストたちの戦後における態度を指摘した個所である。彼らは、戦時下にあっては、臨戦態勢を呼号し、国策映画の使命感をわかってない! などと映画作家を叱りつけていながら、敗戦後は、それまでの自身の言動を、それこそ「なかったこと」にして、民主主義や平和主義の旗を振るのだ。相も変わらぬ指導者面をして。

 これは、まさしく敗戦をなかったことにする(否認する↓白井聡『永続敗戦論』)現在の破廉恥な政治家どもと表裏をなす心性というべきではないか。(映画評論家)

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