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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

新たな社会科学へ

――「空間」に関するパラダイム・チェンジが行われている
対談:吉原直樹×吉見俊哉

■ジョン・アーリの重厚な『モビリティーズ――移動の社会学』(作品社)が刊行された。携帯電話、国境を越えた移動、動員……。古くて新しい「移動」の社会学の集大成が邦訳となった。これを機に、訳者の吉原直樹氏と、社会学者・東京大学教授の吉見俊哉氏に対談していただいた。(対談日・4月15日、東京大学・本郷キャンパスにて。須藤巧・本紙編集)

■「Uber」という「移動システムの現在」

吉見 ちょうど先週、本書に書かれていることを想起させる経験をしました。アメリカのロサンゼルスでのことです。いまアメリカの大都市では、「Uber(ウーバー)」というハイヤーもどきの移動システムが大ブレイクをしています。多くの人がiPhoneなどの携帯端末を持っていて、そこにはGPS機能がついていますから、持ち主がどこにいるのか、GPSでかなり精密に把握できます。Uberは携帯端末上のアプリの名前ですが、どう使うかというと、いまいる場所から「ここに行きたい」という目的地点をgoogle map上で示す。そうすると、「五分後に車が向かいます」などと、google mapの上にこちらに向かう車がアイコンであらわれ、そのアイコンの車がだんだんこちらに近づいてくるのが見えます。「この車を使いますか? 使いませんか? 目的地までの料金はだいたいいくらです」と最初から予告されます。「使います」と答えると、運転手はこの人で、車種はこれで、あと何分で車が行きますと表示されます。「あと何分」というのがゼロになると、自分の目の前にその車が現われます。その車はタクシーではなく、その運転手の持っている車をUberのクラウドに登録しているわけです。クラウドの情報で、運転手のほうも客がどこにいるか把握しています。iPhoneに従ってお客さんがいるところまで車を運転していく。その車に客が乗り込むと、目的地までの行き方はiPhoneが指示してくれます。目的地に着いたら客は降りればいいだけです。

 タクシーと違って、代金の直接の授受は一切ありません。利用者も運転手も、クレジットカード番号がUberのシステムに登録されていますので、Uberが必要な金額を利用者の口座から引き落とし、相手に報酬が渡されるという仕組みです。料金は普通のタクシーよりもはるかに安い。しかもタクシーと同じ程度には安全です。アメリカのタクシーはあまりよろしくないというか、日本のタクシーのように親切ではないし、あまり道を知らなかったりするし、必ずチップを要求してきます。Uberにはそれが一切ない。安価で安全で便利だということで、みんなが使い始め、既存のタクシー業界から猛反発を浴びながらも、すでに世界五十五ヵ国、二百の都市に普及し、そのあまりの成長の速さに、「ウーバーフィケーション」という言葉も登場しています。

 このシステムにはいくつか新しい点があると思います。一つには、職業的なタクシー運転手ではなく、ごく普通の大学生や、他に仕事を持っている人が自分の車を使ってやっている点です。資格審査はあるでしょうが、それに合格してUberのシステムに登録し、あるところでお客さんを乗せて目的地できちんと降ろすとお金が振り込まれるシステムですから、誰でも気軽にUberの運転手になれる。しかし、誰と誰が出会うかわからないので、お互いにとって危険なのではないかという意見があるかもしれませんが、乗客も運転手も自分のクレジットカード番号の情報がUberに登録されていますし、Uberのシステムでは、いまどの運転手が誰を乗せたかを常に確認しています。よほどのことがない限り変なことはできないわけで、私が乗った印象でもとても安全です。

 タクシーは極めて都市的なシステムだったと思います。巨大な都市に匿名的な大衆が住むようになり、お互いの顔が見えない。行きたいところがあっても自家用車を持っているとは限らないし、公共交通機関ですぐ行けるとは限らない。タクシーは、匿名的な消費者が大都市圏で移動を可能にするための自動車交通のシステムだったと思います。しかし、このまま政治的介入がなければ、Uberは世界中でタクシーのシステムを駆逐すると思います。もはや、都市での自由な移動のために、「タクシー」が存在する必要がなくなりつつある。Uberというクラウドに情報的にコントロールされた移動システムで誰もが目的地に行けるし、その行動はデジタルな情報空間のなかですべてコントロールされている。フーコー的な究極の監視システムであるとも言えるし、しかしそのなかでみんなが快適に動けるし、これまでよりもかなり安く確実に目的地まで行ける移動のシステムが確立しつつあると言えます。GPS機能と携帯端末と情報ネットワークの発達によって、いままでの移動のシステムとはすっかり構造的に違うものが世界中の大都市で劇的なスピードで発達しつつあることを私は目撃してきたように思います。「移動システムの現在」とはそのようなものですが、これをアーリ的なフレームでどのように理解したらいいのでしょうか。

吉原 その話は衝撃的ですね。モバイル社会が一つの臨界局面に達しているのかなと思います。アーリが言うには、モバイル社会には特有の時間観念(=進化的時間)があると。H・ルフェーヴルの言う「生きられた時間」をアーリは「カイロス的時間」と言っていますが、アーリによると、それはクロック・タイムによって凌駕されると。アーリには市民社会についての認識が最初からありますが、その市民社会を根こそぎにしてしまうような時間管理システムが広がっているというわけです。ただ、彼はその先に、進化的時間の両義性に目を向けています。根こそぎにされてしまうかもしれないけれども、それをまた反転させるような可能性を持った時間があらわれていると。

 Uberについて吉見さんは二つ重要なことをおっしゃったと思います。一つは普通の市民が受動的な消費者として利用するだけでなく、運転手として積極的に参画できるということ。もう一つは、より高度な管理システム(情報ネットワーク)によって安全性が担保されるということです。監視するその高度なシステムをどう意味づけるかは大きい問題としてあると思います。