本、雑誌、CD・DVDをお近くの本屋さんに送料無料でお届け!

紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

現代との奇妙な「共鳴」

――サボタージュ・マニュアルは、私たちにとってはもはや「公然の知識」である
評者:若森みどり(大阪市立大学大学院准教授)

 本書は、第二次世界大戦末期の1944年1月にアメリカ軍の諜報機関によって作成された「サボタージュ・マニュアル」と呼ばれる資料の翻訳と解説である。

 第一次世界大戦以降、戦争の局面において諜報活動やメディア戦略を駆使した「心理戦争」が重要になり、それを担う諜報機関が各国で組織化された。第二次世界大戦中のアメリカ軍では、1942年にルーズヴェルト大統領によって「情報調整局」(COI)が改組され、「戦時情報局」(OWI)と「戦略諜報局」(OSS)という二つの組織ができた。前者はアメリカ本土から発信する公式な「ホワイト・プロパガンダ」を、後者はアメリカが発信源であると気づかれないように「偽装した」プロパガンダやスパイによる諜報活動、枢軸国の支配領域におけるレジスタンスの組織化や活動支援などの「ブラック・プロパガンダ」を担ったが、両組織とも戦後の45年に解散した。

 OSSが作成した膨大な機密資料は、東西冷戦の文脈に対応する新たな諜報組織として47年に設置された中央情報局(CIA)がOSSの活動内容を継承したものとして位置づけられることもあってか、戦後も長らく非公開とされてきた。だが、情報自由法(FOIA)に則って公文書を公開するよう求める世論の高まりを受けて、80年代後半から徐々に開示され、90年代に一挙に公開されることになったという(山本武利『ブラック・プロパガンダ』岩波書店、2002年参照)。

 ここで示されるのは、枢軸国内やそれらの占領地における「市民サボタージュ活動」、あるいは「誰でもできるサボタージュ活動」の具体例である。例えば、敵陣営内で「タイヤに切り込みを入れる、燃料タンクに穴をあける、出火させる、口論を始める、変な振る舞いをする、電気回路をショートさせる、機械部品を摩耗させること」などを広範囲に実施すれば、「敵の戦争遂行努力に対する持続的かつ効果的な障害となるだろう」、と同マニュアルは説く(本書67―68頁)。

 以下、本書に付された「解説」が現代的な観点から注目している事例を紹介してみよう。それらの指針の筆頭に挙げられるのは、(1)「何事をするにも『決められた手順』を踏んでしなければならないと主張せよ」、(2)文書主義を徹底させて「ペーパーワークを増大させよ」、(3)「重要な局面では大人数の会議をどんどん開き、議論して決定せよ(けっして5人以下の会議にしてはならない)」、(4)「あらゆる決断に対する妥当性について懸念を示せ」、(5)「不相応な昇進をさせよ」、というものである。

 現代の私たちが所属している会社、学校、サークル、地域、あるいは報道機関、行政や国会などのいたるところで行われているこうしたことが、なぜ戦時中の組織破壊活動に結びつくのか。この問いに対する解答を同マニュアルは明快に記す。

 (1)の、手順を形式的に守ることが徹底されると、組織は次第に融通が利かなくなって硬直化し、大災害などの想定外のことがあっても、まず通常の手順に従って問題を解決しようとするか、手順が定められていない場合にはまったく動けなくなってしまう。(2)によって最大に発揮される効果は、文書を作成することに伴う膨大な労力と時間の浪費であり、達成されるべき仕事の停滞である。「文書を間違えよ(材料の量、人物名、住所などを汚い字で、あるいは誤って記載せよ)」とまで指示しているのである。

 同マニュアルによれば、(3)は、労力や時間を浪費させるばかりか、組織の士気を効果的に挫くことができる。ここで注意すべきは、けっして5人以下で会議をしてはいけない、という但し書きである。なぜなら、大人数の会議では参加者全員が議論することはあり得ず、もっとも発言する2割によって議論の8割が決まり、反対意見や少数派の指摘が封殺されるからだ。(4)も同様に労力と時間を浪費させるが、この最大の狙いは、組織にとって適切なタイミングで意思決定を行うことを不可能にするところにある。

 (1)〜(4)を実施したうえで(5)を行えば、組織の活力源が効果的に断たれることになる。同マニュアルは言う。「非効率的な作業員に……不相応な昇進をさせよ。効率的な作業員を冷遇し、その仕事に対して不条理な文句をつけろ」。

 以上の指示内容は、先の大戦で枢軸国の戦争遂行能力を破壊するための工作活動の一環であるが、これは「かつて」のことなのかと戸惑わざるを得ない。なぜなら、増えつづける会議とペーパーワークに膨大な労力を注ぎ込むことによって疲弊し、生産性が破壊され、うっかりミスから重大な事故をひきおこすような現場は、まさに現代の私たちが働く場ではないか、と思われるからだ。

 公開されたOSSの資料のなかで、同マニュアルがとりわけ注目され邦訳されるまでに至ったのは、こうしたなんとも奇妙な「共鳴」からである、ということは間違いないだろう。受け入れがたい皮肉であるこの「共鳴」から一歩進んで、現代を生きる私たちにとって同マニュアルがどのような意義を持つのか考えることが問われている。組織を活力に満ちたものにするための取り組みや働くことの意味について根源的に問い直すことも重要だろう。

 『負債』(2011)の著者で人類学者のD・グレーバーによれば、社会的創造性の源泉は意思決定が柔軟な組織、あるいは水平的で開かれた個人間の協力関係にあり、現代の階層的に構造化された資本主義においても生産的で創造的な組織のパーツだけは、それによって編成されている。だが、何が創造性の源泉なのかは組織全体で共有されておらず、いわば「公然の秘密」だ。対して、長らく「機密」であったサボタージュ・マニュアルは、現代の私たちにとってはもはや「公然の知識」である。活用したい。(大阪市立大学大学院准教授)