本、雑誌、CD・DVDをお近くの本屋さんに送料無料でお届け!

紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

ウェルズの真の革新性を明らかにする

――批評家としてのバザンの懐の深さも見えてくる
評者:谷 昌親(早稲田大学教授)

 二〇一五年がオーソン・ウェルズ生誕百年だったことを意識していた人はどれだけいたのだろうか。さすがにアメリカではいくつもの催しが開かれたようだが、ウェルズの未完の遺作を編集しなおして完成させ、生誕百年にあわせて公開するという計画はどうやら頓挫したようだし、日本も含め、各地で回顧上映などが開かれはしたものの、なにかいまひとつ熱量に欠けていたように思えてならない。そのどこか物足りないままに終わりかけていた生誕百年にすべりこみで出版され、それこそ花を添えるかたちになったのが、フランスの映画批評家アンドレ・バザンにとっての最初の単行本『オーソン・ウェルズ』の邦訳である。小著ではあるが、オーソン・ウェルズを正面から取り上げた書物としては最初期のものであり、とくにヨーロッパにおけるオーソン・ウェルズをめぐる批評の基盤を作っただけに、この著作を日本語で読める意味は大きい。しかも今回の翻訳は、訳者あとがきで詳しく説明されているように、作家論・作品論というよりはむしろ評伝風に書き直されたバザンの遺稿をもとに再編纂され、現在一般に流布している一九七二年版ではなく、最初の一九五〇年版のほうをあえて原テキストとして取り上げている。それは、一九五〇年版のほうがバザンの理論的構築を明確に示しているからという実に正当な判断に基づくものである。そしてその選択は、ウェルズの真の革新性を明らかにするという意味でも望ましいものだった。

 一九五〇年版の『オーソン・ウェルズ』が出版された時点で、フランス国内では、ウェルズの評価は必ずしも高くなかった。特に、いち早くアメリカで『市民ケーン』を観てきていたジャン=ポール・サルトルが、回想形式という過去時制での物語提示をとりわけ槍玉に挙げ、酷評を加えた。実存主義の思想家にとっては、定かならぬ未来に向けて自己を投げ込む「投企」の試みこそが大事なのであり、『市民ケーン』は、それに逆行し、すべてがあらかじめ決定された世界を再構成するにすぎない作品だったのである。サルトルの思想からすれば当然の批評とも言えるのだが、その影響力は大きく、ジョルジュ・サドゥールをはじめとして、『市民ケーン』に否定的な意見がフランスでは相次ぐことになったのである。

 このあたりの事情については、邦訳『オーソン・ウェルズ』の訳者解説で堀潤之が詳しく説明してくれているし、今回の翻訳には、「資料」として、『市民ケーン』について批判的な立場をとったサルトルやジョルジュ・サドゥールの文章、そしてむしろオーソン・ウェルズを擁護したロジェ・レーナルト、そしてサルトルやサドゥールに対する反論として雑誌『レ・タン・モデルヌ』にバザンが発表した文章もあわせて訳出されているため、第二次世界大戦直後にフランスでウェルズをめぐっておこなわれた論争の流れをたどることができる。当然ながらそれは、映画史や思想史の観点からはきわめて興味深い資料だが、それだけではなく、現在につながる映画批評の基礎がどのように築かれたかを確認するためのひとつの繋留点を提供してくれるのだ。

 まずはこの論争が、映画批評史においてバザンが占める位置の確認にもつながっていく一方で、オーソン・ウェルズという映画作家の特異性をはからずも浮き彫りにした点に注目しておくべきだろう。本国アメリカにおいて『市民ケーン』は大きな反響を呼んだが、それはむしろ新聞王ハーストをモデルにした物語を映画化したという挑発性に拠っていた。その結果としてウェルズは一種のトリックスターと化したが、それはあくまでアメリカ社会のなかでの彼の位置づけだった。ところがフランスでは、ケーンのモデルが誰かといったことは当然ながらあまり問題にされず、映画史におけるその異端児的なあり方が注視されたのである。ウェルズを批判する側も擁護する側も、その技法の大胆さや美学的な斬新さは認めていた。問題は、それを映画史のなかに、さらには思想的な枠組みのなかにどう位置づけるか、だったのである(あるいは、より今日的な言い方をするなら、オーソン・ウェルズ作品の表象文化論的な捉え方が問題になった、ということになろうか)。サルトルは、『市民ケーン』の物語構造だけでなく、その表現面に対しても否定的で、「文体がつねに前面に出てきて、何かにつけて私たちが登場人物たちを忘れてしまう小説」のようだとして、その「抽象的で、知的で、宙に浮いた」映画のあり方を批判した。そのように大衆から切り離された映画は、実存的な問題意識を観客に持たせてはくれないからだ。

 一方のバザンは、ウェルズがまさに「映画言語の革命」を成し遂げた点を評価する。とりわけシークェンス・ショットや奥行きの深い画面に注目するバザンは、サイレントの「モンタージュ」とトーキーの「デクパージュ」を経て、ウェルズとともに、映画言語は進化の決定的な一段階に達したと断言するのだ。むろん、今から見れば、こうした進化論的な考え方はあまりに単純すぎるとの非難もできようが、バザンは、それまでデクパージュによって獲得されたものがウェルズのシークェンス・ショットのうちに組み込まれることで生じる「弁証法的な進歩」を考えていたのであり、第二次世界大戦直後の混乱と希望が渦を巻く時代にあって、新しい映画のあり方を模索していた彼だからこそ、当時としては型破りの映画であったウェルズの作品をそのように映画史の最先端に位置づけることができたのである。

 しかもバザンは、ただ技法の問題のみを論じたのではなかった。ウェルズには「自分に固有の世界を作り出す力」があったからこそ、映画の形式を転覆させることができたのであり、「手法の新しさがこれ以上に厳密なかたちで、主題が要求するものと不可分だったことは滅多にない」と彼は述べるのだ。ではその「主題が要求するもの」が何かということになれば、議論の道筋を省略して結論だけを言った場合、「両義性」あるいは「曖昧さ」によって特徴づけられる世界の提示とでも言えよう。善悪二元論に代表されるような決定論的世界観とは対極の世界、そしてそれを眼にする観客にとっては、ただ何らかの主張の提示を受け取るのではなく、自分自身で態度を選び取らねばいけないような世界、それがオーソン・ウェルズの作品で描かれる世界なのだ。それをバザンは「リアリズム」という言葉で説明してもいる。たしかに、彼の求める「両義性」や「曖昧さ」は、本来、現実そのものに胚胎しているものなのだから。だがそれはごく単純なリアリズムではなく、たとえば演劇において「全体演劇」といった言い方で示されていた一種の理想形の映画版、言ってみれば「全体映画」とでも呼ぶべきものなのである。バザンはそうした「リアリズム」を、「物体や舞台背景にその本来の存在の密度、重みのある存在感を復元するような」ものとしての「存在論的リアリズム」、そしてまた、「俳優と舞台背景、前景と後景を分け隔てることを拒む」という点では「劇的なリアリズム」、さらには、「観客を知覚の真の条件――知覚は決して完全に先験的に決められることはない――の中に置き直す」という意味では「心理的リアリズム」であると述べているが、このなかでも最も重要なのは「存在論的リアリズム」と称される側面だろう。「劇的なリアリズム」は「存在論的リアリズム」が生じるための前提のごときものだし、「心理的リアリズム」は「存在論的リアリズム」が観客に及ぼす効果と考えられるからだ。そしてその「存在論的リアリズム」を成り立たせているのが「両義性」や「曖昧さ」なのである。たとえば、古典的デクパージュでは、作中人物がなにか重要なシーンにおいて扉を開けるという場合に、ドアノブのクローズアップのショットを挿入する。それは観客の視線をドアノブに引きつけるだけでなく、物語のなかでドアノブが持つ意味を明示するという機能を果たす。そうなると、ドアノブをそのまま映像としてとらえているという意味では一見するとリアリズムでありながらも、そうしたデクパージュは、「ある抽象化のシステム全体」を作動させているのだ。つまり、「現実をアクションの『意味』に全面的に従属させ、知らず知らずのうちに現実を一連の抽象的な『記号』に変化させて」いるのである。そうなると、もはやそこに映っているのは、「琺瑯引きにひびが入り、くすんだ銅性の、触ったときの冷たさを想像してしまうようなドアノブ」ではなくなってしまう。そうした抽象化に陥るのではなく、ドアノブならドアノブの存在感を、その手触りも含めて観客に感じ取らせるのが「存在論的リアリズム」であろう。そしてそれは、オーソン・ウェルズの場合のように、画面の奥行を利用して、現実を一義的に限定せず、多義性に向けて開かれた世界としてとらえる演出によって可能になるとバザンは考えたのである。

 さて、これまで見てきて明らかなとおり、サルトルとバザンではそもそも論点の置き方が異なる。サルトルの実存主義とバザンの存在論的リアリズムが噛み合わないのは言うまでもないが、サルトルがあくまで物語の提示の仕方にこだわるのに対し、バザンは映画としての表現を見ようとしている。つまり、たとえ物語の提示の仕方においてベクトルが過去に向かっているにしても、表現のレベルにおいてウェルズの映画は、その独特の演出によって可能となる「両義性」や「曖昧さ」を前面に押し出すことで現在形であり、むしろ未来を向いているとバザンは考えるのだ。決定論的なあり方から解放されているという意味では、バザンはサルトル的な実存のあり方の問題を、フィルムにイメージが定着される際の選択、要するに演出の問題に転換しているとも考えられるだろう。

 さらに重要なのは、そうしたウェルズの演出が観客に自由を与えるとバザンが主張している点である。奥行きのある画面は、「現実の曖昧さ」を感じ取らせると同時に、観客に対して、「みずから注意を向ける自由を行使する」ように仕向けるというのだ。だからこそバザンは『市民ケーン』におけるジグソーパズルのテーマにこだわる。ケーンの妻スーザンは、広大な屋敷でジグソーパズルをして無聊を慰めるのだが、ケーンの人生の秘密を探ろうとするジャーナリストもさまざまな証言をパズルのピースのように受け取ることになる。だが誰よりもパズルに向き合わされるべきなのは観客であり、観客は自分でパズルの断片を組み合わせていかねばならないのだ。こうした観客のあり方についての考察は、二十世紀後半におもに文学批評において主張された読者論にもつながり、作品受容における読者や観客の主体的な参加の重要性という現代的なテーマを引き出してくる。あくまで作品内のテーマにこだわるサルトルに対して、バザンは作品受容の問題もすでに射程に入れていたわけで、そこには批評家としてのバザンの懐の深さが見えてくる。

 一般にはモンタージュ否定論者としてのみ語られがちだが、それにとどまらない映画批評家バザンの重要性は、雑誌『カイエ・デュ・シネマ』に集結し、やがてヌーヴェル・ヴァーグと称されることになる運動に身を投じることになるトリュフォーをはじめとした若き映画狂たちに多大な影響を与え、いわゆる作家主義を押し進めるうえでの中心的役割を演じたことからも明らかである。だがバザンはすでにその最初の著作において、映画史における異端児で、一種のトリックスターでもあったオーソン・ウェルズを正統に評価するなかで、映画というメディアを単に小説や演劇といった他ジャンルとの比較においてではなく、その本性から問い直す道を模索していた。それは映画批評をそれまでに較べてひとつ高い次元に引き上げる可能性の提示でもあった。同時に、本人はさほど意識はしていなかったかもしれないものの、映画の本質を問うなかで観客の自由という問題にも触れることで、彼は批評のあり方に新しい方向性を示唆してもいたのだ。そのように考えるとき、わたしたちはいまだにアンドレ・バザンの掌のなかにいるのだと思わずにはいられない。(早稲田大学教授)