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紙面掲載した書評をご紹介 「図書新聞」の書評コーナー

  • 『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』
  • 在日コリアン弁護士協会(LAZAK)編、板垣竜太・木村草太・金竜介・金哲敏・李春熙・金星姫・具良ト・金昌浩・宋惠燕・韓雅之著
  • 8・25刊
  • 四六判二〇八頁
  • 本体一七〇〇円
  • 影書房

差別社会への怒り

今とは違う社会を構築する力 ――共闘の呼びかけ
評者:中村一成

 ■抵抗者を弾圧するため、大阪府警から沖縄に派遣されていた機動隊員が、高江の人びとを「土人」「シナ人」と罵った。歴史的な沖縄差別の噴出に他ならない言動は、若い一警察官の差別性にとどめてはならぬ問題を孕んでいるが、大阪府の松井一郎・知事は批判や被害者への謝罪どころか「一生懸命命令に従い職務を遂行していた」とツイッターで隊員を擁護、「ご苦労様」とまで投稿した。こんな人物を辞任にすら追い込めないのが、人種差別撤廃条約加入から二一年、「ヘイトスピーチ解消法」成立から五か月を経たこの国の現実だ。

 そんな折、人種差別と対峙するための二冊が刊行された。『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』と『Q&Aヘイトスピーチ解消法』である。

 前者の『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』は、在野の法律家であると同時にヘイトスピーチの攻撃対象でもある在日韓国人、在日朝鮮人の弁護士たちの団体「在日コリアン弁護士協会(LAZAK)」が昨年一二月、東京で開いた討論集会の内容に「ヘイトスピーチ解消法」成立を受けた五月の座談会を加えたものだ。集会が持たれたのは、野党が提出した「人種差別撤廃施策推進法案」が継続審議となり、公明党議員が雑誌上で、ヘイトスピーチに特化した理念法を検討すべきと主張し、法務省が実態調査に踏み切った時期である。

 本書の意義は、従来からの論点を整理したことにある。法律家による書籍だが、極めて平易でコンパクト、「今更聞けないヘイトスピーチQ&A」的な入門書にもなる。

 最初の登壇者は唯一、法律家ではない板垣竜太(朝鮮近現代社会史、植民地主義研究)。彼をトップに配したことが主催者の思想である。板垣は、法務省のHPなどを例に、おそらく一般的には「最近の問題」とみなされているヘイトスピーチを歴史的文脈に位置づけ、植民地期以降ずっと続いてきた人種差別の一形態がヘイトスピーチだと断じる。

 以前から人種差別はあった、ヘイトスピーチとは社会が溜め込んできたレイシズムの噴出……。研究者が言うまでもない「当然すぎる」分析だが、それを強調せざるを得ないほど、この社会は深刻な差別の存在を否認してきた。二〇一四年八月の段階でも、国連の人種差別撤廃委からヘイトスピーチ対策について問われた日本政府は、「処罰立法措置をとるほどの状況に至っていない」などと答弁しているのだ。この立場との整合性もあってか、二〇一五年八月の与野党協議でも、自民党議員は「立法事実がない」「間口が広すぎる」などと異論を述べていた。人種差別撤廃委員会から是正を勧告されている在日への差別は、朝鮮学校の無償化排除や在日無年金、国籍条項問題など、ほとんどが公による差別である。人種差別を法で禁止すれば自らの行為が国内法で差別認定されることを警戒したのだ。

 非当事者には伝わり難いヘイト被害の実態や、ヘイトスピーチ事件としては当時(本書の刊行段階でも)、唯一の民事判決確定事案である京都朝鮮学校襲撃事件判例の司法上の意義など、報告内容は入念な事例研究の結果として選ばれているようだ。米国のヘイトクライム規制が報告されているのもその文脈だろう。規制慎重、反対派の中には、「米国も『表現の自由』重視で規制はしていない」と言う人が時折いる。これらへの反論として金昌浩は、イリノイ州を例に挙げ、米国では州法や連邦法レベルで、ヘイトクライムには量刑が加重される立法がなされていることを紹介する。法整備の結果として、連邦や州によるヘイトクライムの情報収集、警察官への教育やマイノリティを配置した専門部署設置、マイノリティ性のある検事が担当に配置されている、市にも相談窓口があり、弁護士紹介やカウンセリング、裁判への付き添いなどがなされている、等々の例を紹介。外国籍者の排除など人権への感受性を持つ人材が育ちにくい日本の警察、検察の構造的問題も指摘しつつ、日本でも同様の措置を執るべきだと主張する。ヘイトスピーチ問題とは捜査当局問題であるという、現実を踏まえた提言である。

 LAZAKメンバーに憲法学者の木村草太、そして板垣を加えたシンポでは、より明快に論点整理がなされる。その一つが、内容・態様による分類を横軸に、対象による分類を縦軸にした具体的なヘイトスピーチ事例の分類である。六類型に分けられた事例を更に「司法判断と課題」「新たな立法の可能性」のテーマで三種類に図表化した。これは現行法でも出来ることを捜査当局がいかにネグレクトしてきたかの証明でもある。

 「審査基準」や「内容規制」など、これまで「空中戦と思考停止」(李春熙)に止まっていた法規制を巡る論点が噛んで含めるような言葉で整理されていく。その一つは規制でどのような権利を守るのかの「保護法益論」である。「名誉棄損罪」や「脅迫罪」のように、個人の名誉や生活の平穏を守る「個人的法益」なのか、共同体における「善良な風俗」を保護法益とする猥褻規制と同じ「社会的法益」なのか。被害当事者でもある同協会代表の金竜介は、社会的法益を立てることの「分かり易さ」に賛意を示しつつも、「朝鮮人を殺す」と言われても個人で被害届を出せないおかしさとの間で葛藤する。マジョリティがこの煩悶にどれ程の思いを馳せられるかが、今とは違う社会を構築する力になっていくはずだ。

 既にヘイトスピーチを規制している欧州諸国の例が盛り込まれれば、もっと議論が展開できたと思う。流れや時間的制約のあるシンポ本番では無理であっても、書籍化に際しては、規制国における保護法益などについて一項目、設けてもよかったのではないか。

 後半、主に金哲敏による幾つかの提案も興味深い。京都事件の困難から学び、ヘイト事案では匿名で民事訴訟を起こせる仕組みをつくる、該当しやすいが量刑が低すぎる侮辱罪にヘイトクライム規制(量刑加重)的な規定を加える、欧州のように属性への名誉毀損や脅迫を処罰対象にする、日本でも株価に影響を与えるデマを処罰できることを応用して差別意識を高めるデマを処罰する、破壊活動防止法にある扇動処罰規定の理屈を使う……。意見の分かれる大胆かつ過激な提案もあるが、大事なのはヘイト規制に使える枠組みは、海外はもちろん日本でも複数あったということ。しかし、差別されない権利を定めた憲法一四条、個人の尊厳を定めた一三条を持ち、人種差別撤廃条約に加入しているはずのこの国、この社会が差別を黙認してきたことは厳然たる事実だ。板垣報告がここに繋がる。レイシズムを資源とする植民地支配や、人種差別に起因する関東大震災時の朝鮮人虐殺などを検証し、反省していないこの社会では、差別の危険性についての認識が余りにも低い。

 「何かしらの結論を出すためにやったシンポではない」と、金竜介は言う。行間から滲むのは、法律家とはいえ、マジョリティ問題である人種差別の解消に向けた提案をマイノリティ当事者がする。そうしなければ何も動かない差別社会への怒りである。金は言う。「ほしいのは、差別に負けずにがんばってくださいという励ましではない」「『日本人の私はこういうことがやりたい、やってみせる』という言葉です」と。今後の理論的土台を目指した本著は、しかし机上の理論書ではない。共闘の呼びかけである。

 

『Q&Aヘイトスピーチ解消法』は、人種差別撤廃条約加入から二一年、今年六月に成立した日本初の反人種差別法「ヘイトスピーチ解消法」を受けたスピード出版である。この抽象的で問題の多い理念法を人種差別天国脱却への足掛かりにするための解説書だ。

 そもそも本法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」である。条文にも一度も「ヘイトスピーチ」の出てこないこの法律がなぜ「ヘイトスピーチ解消法」なのか? 本著はそこから書き起こし、法成立までの歴史的経緯と概要をコンパクトに網羅した上で、「総論」「対象と効果」「体制の整備」「教育と啓発」「今後の課題」に分類された計三五の問いを設定。人種差別問題に対峙してきた弁護士や研究者ら一一人が答えていく構成となっている。

 本法の問題点は、まず「適法に居住する」「本邦外出身者」を対象とした範囲の狭さと差別性、そして罰則がない法律としての弱さにある。本著では「解消法が定める『本邦外出身者』とは誰か」(Q4)や「在留資格のない外国出身者も保護の対象になるのか」(Q5)などの問いを設け、審議での発言や付帯決議をもとに、「適法に居住する」「本邦外出身者」以外、たとえばアイヌや沖縄人、部落民への「不当な差別的言動」を許容するとの解釈は誤りであると解説した上で、「適法居住要件」はそれ自体が人種差別撤廃条約(一般的勧告30)に反すると指摘、すみやかな削除を求めている。後者の問題については、本法をもとに民事訴訟の提起や仮処分申請は可能だが、警察や公安委員会がデモを中止する根拠にはならないし、刑事責任は問えないと、同法の限界点を示している。

 同法はいわば「自治体丸投げ法」でもある。逆に言えば同法を地方レベルでいかに展開していくかが実効性を付けるカギになる。地方公共団体に求められているのは「単なる努力規定ではない」(Q17)と記した上で、「地方公共団体に求められる条例について」(Q18)の設問を設け、想定される条例案を三類型で提示している。また解消法に記された教育、啓発活動の例や、警察官を含む行政職員への教育などの展開についても示されている。

 人種差別撤廃条約と同法の関係に冒頭三問をあて、最後の問いに同法対象外の入居や就職における差別への対処を配置した造りから分かるように、本著の大きな目的は同法の活用を通してその限界を摘示することだ。その先にあるのは附則の「見直し規定」活用であり、人種差別撤廃条約の要請に適う包括的な差別禁止法の制定である。

 今回の対策法議論でも大きな焦点は、ヘイトスピーチを不快、迷惑行為とし、「人種差別」の文言を避けたがる自民党議員と、人種差別と捉えて条約に則り禁止すべきとする推進派議員とのせめぎ合いだった。差別禁止のハードルが高いのは確かだが、そもそも宣言法レベルですら、昨年末には見通しが立たない状態だったのである。二〇一二年に人種差別撤廃NGOネットワークが実施した国会議員アンケートでは七一七人中、回答は四六人、しかも「なんらかの対処」(法規制ではない)レベルでも「必要」と答えたのは四三人に過ぎなかった。路上や司法の場で差別と対峙した者たちや推進派議員たちの動きが「反ヘイト世論」のうねりとなり、四年後の法制定を実現したのである。

 法制定の大きな意味は公による反差別規範の発信である。この一〇〇頁ほどのブックレットもまた、この社会では軽視されてきた「差別はいけない」という「常識」を醸成する役割を担うだろう。関連法規や国会決議、ヘイトスピーチとの闘いを巡る国際的な指標「人種差別撤廃委一般的勧告35『人種主義的ヘイトスピーチと闘う』」(抄)なども付記されており、教育現場や研修でも活用しやすい。

(ジャーナリスト)