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柳田 邦男氏
1936年、栃木県生まれ。作家。ノンフィクションの著書多数。最近は「生と死」、心と言葉の危機に目を向け、『言葉の力、生きる力』『「人生の答」の出し方』『絵本の力』(共著)、『砂漠でみつけた一冊の絵本』、『壊れる日本人
ケータイ・ネット依存症への告別』を刊行。絵本の翻訳も手掛ける。
〈主な受賞〉1972年「マッハの恐怖」で第3回大宅壮一ノンフィクション賞、1995年ノンフィクション・ジャンルの確立への貢献と「犠牲(サクリファイス)わが息子・脳死の11日」で第43回菊池寛賞 |
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柳田 邦男氏メッセージ |
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干涸らびた心に絵本で潤いを取り戻した人。悲しみに打ちひしがれていた心を絵本で癒した人。私たちの心は、絵本との出会いを待っているのです。 |
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声に出して読むことで五感で味わうことができる
谷川 これまでずいぶん詩や絵本の文などを書いてきたのですが、近ごろではそれらを声に出して読む機会が増えています。耳で聞いてもらうと、目で読むだけでは伝わらなかったものが聞く人に伝わるのですね。ことばが頭だけでなくからだに入っていくので、聞く人との間に一種の“場”ができる。詩でも絵本でも、書くときは一人でこつこつ書くしかない“根暗”な作業なのですが、声に出して読むときは聴衆が目の前にいて、面白ければ笑ってくれるし、つまらなければ子どもたちは騒ぎ出す。そういう直接的な反応が我々つくる側には大きな励みになりますね。
柳田 「大人こそ絵本を」という運動は、くつろぎの時間に絵本をゆっくり味わってもらおうと始めたのですが、近頃、大人たちが集まって、自分たちのために絵本や童話の読み聞かせをする活動が見られるようになってきました。これはなかなか感動的です。十数人のグループが絵を見ながらじっと話に聞き入る。そうすると、みんなの顔つきが変わってくるんですね。涙ぐむ人もいる。そして話が終わると、日常の世界とは違うファンタジーの世界に遊んだり童心に帰ったり、普段とは違う不思議な時間と空間が生まれているのです。
谷川 みんなで声に出すことで、新しい発見や気付かなかった細かいところまで感じ取ることができるんですね。大家族だった昔は、家の中のお年寄りが囲炉裏端で昔話やおとぎ話をしてくれた。私も小さいころ、祖母がこっけいな昔話を身振り手振りでしてくれたのをよく憶えています。声の調子や強弱が筋や意味だけではない話の臨場感を引き出してきて、聞く人を巻き込むんですね。物語や詩を共有する昔ながらの“共同体”が現代によみがえると言えばいいのか。
柳田 一人で黙読しているのは、頭だけで考える──いわば「眉毛の上だけ」の読書(笑)。それに対し、人に読んでもらうとズンズンと入ってくる。絵の細かいところまで見入りながら、全身で、それこそ五感をフルに働かせて味わうものだと思います。
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谷川 俊太郎氏
詩人。1931年東京都生まれ。1950年「文学界」に詩を発表。’52年には第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行して注目される。その後は、詩作を中心に幅広い分野で活躍。最近では、長男賢作氏とともに演奏と朗読のコンサートも行う。
〈主な詩集〉『ことばあそびうた』『定義』『みみをすます』『よしなしうた』『世間知ラズ』『シャガールと木の葉』ほか多数
〈主な翻訳〉スヌーピーの『ピーナッツ』はじめ多数〈主な受賞〉1975年『マザーグースのうた』日本翻訳文化賞/1983年『日々の地図』読売文学賞 |
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単に可愛いだけではない
人生を立て直すきっかけにもなる
谷川 「大人と絵本」ということでいうと、もう20年以上も前から、若い女性などの間では「可愛いもの」「楽しいもの」「ファンタスティックなもの」として「絵本」は愛されてきました。そういう絵本はあまり現実の生活や感情に根ざしていなかったと思います。しかし、最近では人間の老いや死や別離を扱ったものがどんどん読まれています。私も最近、ずばり『悲しい本』(サッド・ブック)というタイトルの絵本を訳しました。始めは、あまりに暗いタイトルで少し表現をやわらげようという意見もあったのですが、最終的にはそのものずばりで行って、それが読者の共感を呼んでいるようです。出版界も変わってきていますね。
柳田 絵本はただ可愛いだけ、楽しいだけではなく、時には悲しい思いや体験を表現するものでもありますね。この間、突然ご主人を亡くした上に、寂しさを紛らわすために飼った愛犬までも死んでしまったという女性の話を聞きました。悲しみに暮れてぼう然としていた時に、娘さんから一冊の絵本を贈られた。それが菊田まりこさんの『いつでも会える』だったのです。本のストーリーにもあるように、目をつぶればいつでも大好きだったご主人や愛犬に会うことができる。そして、この小さな絵本が、人生を立て直してくれるきっかけになったというのです。
谷川 しかし、これだけたくさんの絵本や童話の本の中から、自身に合ったものを探し出すのは大変ですね。
柳田 よくおすすめの絵本を聞かれるのですが、私は本屋の絵本コーナーに通うことをすすめているんです。第一、そこに立っているだけで穏やかな気分になれます。
買って読むことで新たに気付くこともある
谷川 そしてピンとくる好きな作家や画家と出会う──。それはいわば運命的な出会いだと思う。「人が何と言おうと、私はこの本が好きだ!」「この絵が好きだ!」という独断的な選択が、つまりは自分に合ったものを見つける近道ではないでしょうか。
柳田 もちろん図書館から借りてくるのも良いでしょう。しかし、気に入った絵本は必ず買ってほしいですね。買うことで、本との向き合い方も変わってくる。それに、思い出した時に何度も何度も読み返すことができ、ある時ふと隠されたテーマに気付いたり、突然心の支えになることもあるのです。
谷川 絵本の翻訳は楽しいけれど難しいこともあります。原書のレイアウトを崩さないように、文の長さを揃えるとか、声に出しても伝わるやさしい、リズムのある日本語になるように、ときには意訳に近いこともするとか。
柳田 全く同感です。私もここ数年、年に二〜三冊のペースで翻訳に取り組んでいますが、実は、70歳になったら創作の方にも挑戦してみようかと思っているんです。それと、さまざまな形の雲の写真に文章を添えた絵本づくりもしてみたいですね。欲張りでしょうか(笑)。
谷川 70歳って、もうすぐじゃないですか(笑)。でも期待しています。絵本の可能性はまだまだ無限で、さまざまなスタイルがあっていいと思います。
異なった文化や風習と出会う可能性広がる翻訳本
柳田 翻訳ものに関しては、これまで西欧の作品が中心でしたが、最近ではインドや韓国、中国など、欧米のものとは違うタッチの絵本も翻訳されるようになり、新しい発見があります。『パパといっしょに』という韓国の絵本はソウルが舞台なのですが、ソウルには緑の山が多く、人々が親子連れなどで日常的に山遊びをしているのを、この絵本で知りました。
谷川 異なった文化や風習と出会うことができるのも、絵本の可能性といえますね。
絵本は人生で三度読む代々受け継いでいくもの
柳田 私は、常日頃から「絵本は人生で三度読むべき」だと提唱しています。幼い時、親になった時、人生の後半に差しかかった時です。読み返す度に新鮮な感動を呼び覚まし、心を豊かに耕してくれる。いつしかそれが“座右の絵本”となり、心の持ち方や想像力を取り戻す手助けをしてくれるでしょう。
谷川 絵本は決して子供たちだけのものではないということですね。
柳田 深く味わいのある絵本は、何度読んでも色あせることがありません。親から子へ、孫へと読み継がれていくと、すばらしい家族の文化が生まれます。
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