•  翻訳を依頼されたときは正直けっこう悩みました。なにしろ相手は全世界で3部作累計2900万部の超絶ベストセラー。ケン・リュウが英訳した第1作『三体』は、英語以外で書かれた作品として初めてヒューゴー賞を受賞し、世界SFの歴史を変えた。それより何より、私は英日翻訳が専門で、中国語は大学1年のとき一瞬囓っただけ。にもかかわらず仕事を受けたのは、三部作が超面白いガチガチの本格SFで、作者が同年代のSFファンだったから。読んでいると、ここはクラーク、これはアシモフ、おお、このへんは小松左京……といちいちわかる。この21世紀に、黄金時代のSFに正面から挑戦する蛮勇はすばらしい。中国語はわからなくても、SFは40年翻訳してきたから、中国語がわかる人と組めば訳せるんじゃないか。というわけで、2年近い歳月を投じて訳し終えたのが、『三体』三部作の5冊(ⅡとⅢが上下巻なので)、計2000ページ弱。ようやく終わったと思ったら、劉慈欣短篇集や単発長篇が浮上し、まだ当分、中国SFの大海を抜けられそうにありません。

    (大森 望)

    • 『セカンドハンドの時代』
      スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ
      松本妙子 訳
      (岩波書店)

     辞典ではないかと見まがうほどの分厚さ。確かに辞典だ。人間の真実を知る辞典。時代と国の枠を超えた普遍の証言集。ソ連邦を生きた親世代、ソ連邦崩壊後を生きる子世代、それぞれの挫折と葛藤、希望と失望、愛と苦悩。時代に必要とされない失意と無力感。クレムリン内で自死した孤高のソ連邦元帥。生き埋めにされた穴から這いでたユダヤ系の少年。赤貧の叔母夫婦に愛されて育つ少女。チェチェンに派遣され棺で帰宅した娘、地下鉄テロで負傷した大学生、夫と子どもを捨て終身刑の囚人と結婚する女性、首都の地下で暮らす外国人出稼ぎ労働者、などなど。一人ひとりの小さくて大きな物語。行間から立ちのぼるのは壮大な人間讃歌。晴れやかに響きわたるのでなく、BGMのごとく最後のページまでゆるゆると低く流れるメロディー。かくも弱き者、かくも愛しき者、人間なり、と。  持ち歩くには少々筋力を要するが、ぱっと開いてその前後のページから読み進めるのもまたよし。寝る前に布団の中で読むと、「重たい本がどさっと顔に落ちてきて痛い」んだとか。お気をつけあれ。

    (松本妙子)

    • 『風と共に去りぬ』
      マーガレット・ミッチェル
      荒このみ 訳
      (岩波文庫)

     この作品は、作者ミッチェルの生きた20世紀前半の南部という条件抜きには読めない。「あとにも先にもこの時代ほど女に備わる自然な資質を低く見積もっていた時代はなかった」(第5章)と地の文にさりげなく挿入されている言葉は、19世紀半ばを指すとともに、ミッチェルの時代のアメリカを示唆している。旧訳で育ち感動した世代だが、作者のこの根底の思想と南部の精神に注意を払いながら、文体に忠実に訳そうと努力した。特に旧訳のレット・バトラーの言葉遣いに違和感を覚える場面があり、勘当されたもののチャールストンの上流階級の出身で教養・知識の深い人物であることを忘れないようにした。ラヴ・ロマンスの印象が強いが、この大作には実に大掛かりにアメリカの歴史事項がさまざまに織り込まれている。南北戦争や奴隷制度のみならず、タラ農園と先住民インディアンの関係、主人公の父親の政治亡命と英国のアイルランド弾圧、母親とハイチの黒人革命など。翻訳では説明しきれない背景を各巻末に解説を付けることにより、深い読書の助けになるように努めた。

    (荒このみ)

    • 『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』
      ツェワン・イシェ・ペンバ
      星 泉 訳
      (書肆侃侃房)

     20世紀前半の激動の東チベットを生きた人びとの姿を描いた歴史大河小説です。著者ペンバは幼い頃よりチベット語圏と英語圏を行き来した経験から、異文化の衝突にとりわけ深い関心を寄せてきました。そんな著者の遺作となったこの物語は、若いアメリカ人宣教師夫妻が「未開の土地」チベットにキリスト教を根づかせようと山奥のとある村に乗り込むところから始まります。物語は異なる信念をもった者同士のぶつかり合いの連続で、ハラハラドキドキ心休まる暇もなく展開していきます。アメリカ人とチベット人、キリスト教者と仏教者、そして共産主義者といった異なる立場の人びとの、それぞれの人生が浮かび上がるような対話のシーンは圧巻です。宣教師の息子ポールと領主の息子テンガのヒリヒリとした青春物語も読みごたえたっぷり。胸が熱くなること請け合いです。チベットのことを知らない若い人に特におすすめしたい作品です。

    (星 泉)

    • 『黒い兄弟 上・下』
      リザ・テツナー
      酒寄進一 訳
      (あすなろ書房)

     『黒い兄弟』が出版されたのは1941年、ナチに追われたリザ・テツナーがスイスに亡命中に書いた作品だ。テツナーは「グリム童話」の語り部としても知られた児童文学作家だ。逆境の中でも希望を捨てない登場人物、仲間との友情と勇気などまさに児童文学の王道ともいえる作品に仕上がっている。 物語は19世紀にスイスで本当に起きた出来事がもとになっている。貧困にあえぐスイス山間部の農民たちは年季奉公の名のもとにミラノの煙突掃除夫に子どもを売っていた。湖上での遭難、素手で煙突にもぐらなければならない過酷な労働、町の子どもたちによるいじめ。そして逃避行。 波瀾万丈の物語がみなさんを待っている。主人公ジョルジョの無二の親友アルフレドの隠された過去も胸を打つだろう。前半で描写されるスイスの荒々しいながらも美しい自然、後半にあらわれる援助者と子どもたちの交流からも目が離せない。 1995年に『世界名作劇場』で放映されたアニメ「ロミオの青い空」の原作だ。

    (酒寄進一)

    • 『ホワイト・ティース 上・下』
      ゼイディー・スミス
      小竹由美子 訳
      (中央公論新社)

     今世紀初頭に英語圏で話題となり、今でもよく読まれている本書には、人の移動が地球規模で盛んになった現代社会がぎゅっと詰め込まれています。20世紀末のロンドン北西部に暮らす、第二次大戦以来の親友同士である労働者階級出身で優柔不断なイギリス人アーチーと学識ある誇り高いベンガル人サマード、二人の家族(アーチーの妻はジャマイカ系で娘が一人、サマードの妻は同国人で双子の息子)のルーツと現在を、時空を縦横無尽に往来して、可笑しみに溢れた弾む文体で綴ります。後半ではリベラルな学者一家も絡み、歴史や伝統や民族のアイデンティティ、遺伝子工学に過激な動物愛護思想に宗教、様々な思想信条や価値観がぶつかりあって軋みを上げることに。野放図に広がった物語は、主要登場人物全員が一堂に会したところで、え!?と魂消る見事さで、未来への明るい希望をたたえて幕を閉じます。分断ばかりが目に付く現在、「みんながなんとなく仲良くいっしょに」暮らしていけないものかというアーチーの素朴な思いが光る本書を、ぜひ読んでみてください。

    (小竹由美子)

    • 『スキャット』
      カール・ハイアセン
      千葉茂樹 訳
      (理論社)

     この原稿の依頼を受けて、10数年ぶりに手に取ってみました。お恥ずかしい話ですが、自分が訳したからといって、いつまでもその内容をくわしく覚えていられるわけではありません。で、紹介のとっかかりをと冒頭から読みはじめたら、なんだ、おもしろいぞ!ページを繰る手が止まらないじゃないか! 意地悪な教師と、札付きの悪ガキが対決する冒頭から、謎が謎を呼ぶ展開がつづき、ハイアセンのトレードマークでもある、奇人変人が続々登場。随所にちりばめられたプッと噴き出すジョーク。子どもたちの手に、絶滅危惧種のフロリダ・パンサーの運命まで委ねられて……。結局、500ページ弱、一読者になりきって最後まで一気読み。 こんなにおもしろいのに、版元に確認したところ、オトナの事情で重版の予定はなく、在庫も極僅少とのこと。あとは図書館や古書店で探していただくしかないのですが、できることなら、復刊しようという奇特な出版社さん、ないですかねえ。 その際には、おなじハイアセン著の『HOOT ホー』『FLUSH フラッシュ』もよろしく!

    (千葉茂樹)

    • 『源氏物語 A・ウェイリー版
      1~4』
      紫式部 著|A・ウェイリー 英訳
      毬矢まりえ / 森山 恵 訳
      (左右社)

     「いつの時代のことでしょうか。ある宮廷での物語でございます」 今から100年前に『源氏物語』がはじめて英語全訳されました。いわば「ヴィクトリアン源氏」。エンペラーや貴族たちはパレスから馬車で恋人のもとへ駆けつけ、ワインを片手に愛の詩を交わします。姫君はドレスを纏い、シターンやリュートをかき鳴らします。どこか見知らぬ宮廷の物語のよう。それでいて本格的正統な『源氏物語』なのです。 翻訳しながら、私たちの脳内には古今東西の風景が駆け巡りました。平安時代の作品とともにシェイクスピア、ディケンズ、オースティン、プルースト、白楽天の漢詩など、世界文学が広がったのです。読者にもイメージが重層的に膨らむよう、古語にカタカナのルビをふったり、人物名をカタカナ表記にしたりなど、工夫しました。 ウェイリー源氏では、だれもが個性的で躍動しています。深い心理描写にも目を見張ります。いつか『源氏物語』を完読したい方、新たな源氏に出会いたい方、翻訳文学が好きな方。シャイニング・プリンス・ゲンジの物語を楽しんでいただけますように!

    (毬矢まりえ・森山 恵)

    • 『戦争と平和 1~6』
      トルストイ
      望月哲男 訳
      (光文社)

     俺、ニコライ。モスクワの伯爵家の長男だ。親は大学から官界に行かせたかったようだが、国がナポレオンと戦うって時に勉強なんかと思い、軍に入った。はじめは大変だったさ。上官とぶつかるわ、いきなり負傷するわでね。でも、慣れると軍隊ほど気楽な所はないな。あれこれ考えなくても仕事は決まっているし、おまけに戦闘は、俺の好きな猟にそっくり。ちょこまかせずにじっとしていて、ここぞという時にさっと動けばいいんだから。 仏軍が攻め込んできた時はさすがに焦ったけれど、偵察先で偶然今の女房を助けたり、いろいろ冒険も味わったよ。逃げる敵を追ってパリまで行ったが、父が死んだっていうんで戻ってきた。火の車だった家計を、最近やっと立て直したところさ。 「世界一偉大な小説」だって? 小説にもナポレオン級とかクトゥーゾフ級とかあるのかい?まあ、にぎやかなのは確かだ。何をしでかすか知れない妹のナターシャやら、変人ぞろいのその彼氏たちやら、喋りだしたら止まらない作者やら、やばい連中がうようよいるからね。退屈はしない。請け合うよ。

    (望月哲男)

    • 『ナポリの物語 1~4』
      エレナ・フェッランテ
      飯田亮介 訳
      (早川書房)

     いったん完全に記憶を失ってから、また読み返したい。そう思いたくなる小説というものがある。世界的ベストセラーとなったこの『ナポリの物語』もそんな作品だ。 1944年にナポリの貧しい地区で生まれたリラとエレナ。リラは天才少女、エレナはリラの才能に憧れ、彼女に負けまいと必死で努力を重ねる頑張り屋だ。この四部作ではそんなふたりの女性の60年余に及ぶ友情と波乱万丈なふたつの人生が描かれている。 物語は2010年、66歳のリラが不意に行方をくらませる場面から始まる。幼い頃の夢をかなえ、有名作家となっていたエレナは、ふたりの出会いから現在にいたるまでの歩みを克明に記し始める。それはかつてリラに「絶対に書かないでくれ」と言われていた物語だった。大切な約束を破れば、リラが怒って、また姿を見せてくれるのではないか。それがエレナの狙いだった。 そうして語られるふたりの物語を読みながら、読者はエレナとともに無数の疑問を抱き、「何故?」と問い続けることになるはずだ。そして、4巻のあのあたりできっと……

    (飯田亮介)

    • 『世界収集家』
      イリヤ・トロヤノフ
      浅井晶子 訳
      (早川書房)

     バローダの湿気と香り、シンドの砂、カイロの隊商宿の喧騒、メッカに響く祈りの声、アフリカの太陽と風――世界のさまざまな顔が、五感に直接訴えかけてくる、さながら万華鏡のような物語だ。 『世界収集家』は、『アラビアン・ナイト』や『カーマスートラ』の翻訳者として名高いイギリス人リチャード・フランシス・バートンのインド駐在、メッカ巡礼、東アフリカ探検という三つの冒険を、実在および非実在人物の多彩な語りを交えて描いた小説。 リチャード・バートンという人の、変人ひしめく19世紀イギリスにおいても際立つ奇人ぶりもさることながら、なんといっても「地元の」語り手たちの存在感たるや。バートンのインド駐在時代に仕えた召使。聖地メッカのシャリフ、イスラム学者、オスマントルコ総督。東アフリカ横断の旅に同伴した解放奴隷。どの人物の語りも、翻訳していくうちに世界がぐぐぐっと広がっていく感覚があった。 自らインドに暮らし、アフリカを徒歩で横断し、メッカ巡礼まで成し遂げた著者の執念の傑作だ。

    (浅井晶子)

  •  ナマの尻、人口処女膜、強壮剤、豊胸クリーム、パイプカット……作品を彩るキーワードを抜き出して並べていくと、大きな声で口にするのは憚られるような猥雑な言葉だけでこの原稿の規定の字数をオーバーしてしまうので、この辺りで止めておきましょう。 著者・余華曰く「中国人の美意識と道徳観念を逆なでする作品」という本書は、2005年に上巻、2006年に下巻が刊行直後から「ゴミか傑作か」と賛否両論を巻き起こした中国の大ベストセラーです。邦訳企画を複数の出版社に持ちかけた際、「中国文学・文革モノ・上下巻のボリュームでは売れない要素の三重苦」と言われながらも、北京五輪の年に文藝春秋から刊行、2年後に文庫化、劇団東演による舞台化まで実現するなど好評を博しました。やがて絶版になると幾度となく復刊の話が持ち上がっては潰えたかと思えば、満を持して東京五輪の年にアストラハウスから一冊の「鈍器本」として復刊となりました。 欲望にまっすぐな主人公・李光頭同様、たくましい生命力をもつ本書の放つエネルギーをずっしりと感じながら、泣いて笑って怒って楽しんでいただけたら嬉しいです。

    (泉 京鹿)

    • 『鯨』
      チョン・ミョングァン
      斎藤真理子 訳
      (晶文社)

     呆れるほどの面白さに圧倒され、1章ごとに大波をかぶり、どこに連れていかれるかわからない。この本を読むことは、鯨の背中に乗せられて旅に出るような経験だ。 韓国人が韓国語で書いた物語だけど、時代も場所もはっきりはわからない。幻想と現実が一体化して、過剰な語りに乗って吹き出してくる。登場人物は誰も彼も並外れた人間ばかり。男を惹きつける不思議な匂いを体から放ち、一代限りで猛烈に稼いで破滅していく女事業家クムボクと、巨体で怪力で口がきけず、一人残された荒野で見事なレンガを焼きつづける彼女の娘チュニ。そこへ、蜂を自在に操る片目の女や港町の殺し屋「刀傷」など濃厚な人物が次々と現れて、すさまじい暴力と苦痛、災厄、戦争、ギラギラの野望、胸のつまる恋、取り返しのつかない死が、一つの町と一つの映画館の栄枯盛衰とともに描かれる。 480ページを読み切ると、名前のつけられない感情で胸がいっぱいになる。ある意味、韓国文学の底力を一冊で代表するような本なので、この厚さは祝福!と訳者は思ってます。

    (斎藤真理子)

    • 『アメリカーナ 上・下』
      チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
      くぼたのぞみ 訳
      (河出書房新社)

     物語は、人種をめぐる人気ブロガーのイフェメルがコーンロウを結ってもらうためにプリンストンから隣町へ出かける場面で幕をあける。13年前に軍政下のナイジェリアからアメリカへ来たころ、部屋代が払えず追い詰められて起きた事件のせいで、生涯の恋人オビンゼと決定的な断絶が起きてしまった。裕福な白人カートにひとめぼれされたり、アフリカ系アメリカ人の大学講師ブレインと出会ったり、チャンスには恵まれたけれど、だれかになったふりをして生きるのはもうやめようと帰国を決意する。 9 ·11が起きて、ラゴスのアメリカ大使館は若い男性にヴィザを出さない。そこでオビンゼは大学教授の母について英国にわたり、不法労働で金を稼いで滞在許可証を得ようとするが不運にも強制送還に。ところが人生はオセロゲーム。ビッグマンに認められて大金持ちになって、美人の妻も迎えていまや一児の父だ。そこでイフェメルの帰国を知る。さあ、どうなる、どうなる? 21世紀に3大陸をまたいで展開されるラブコメディは細部がめっちゃリアルだ。どこまでも自分に正直に生きようとする恋人たちの姿が朝の光のようにすがすがしい。

    (くぼたのぞみ)

    • 『オリシャ戦記 1・2』
      トミ・アデイェミ
      三辺律子 訳
      (三辺律子)

     『オリシャ戦記Ⅰ』を読み終わった時、頭の芯がじんじんしていて、ああ、久しぶりにこの感覚を味わった、と思った。本の世界にどっぷり浸かった時に私の身体が起こす化学反応なのだ。 暴君サランが支配するオリシャ国。かつては魔力を持つ魔師と持たない〈コスィダン〉が共に暮らしていたが、サランは〈襲撃(レイド)〉で魔師を皆殺しにし、オリシャの国から魔法を一掃した。物語はその11年後、かろうじて生きのびた魔師の子〈ディヴィナ〉である少女ゼリィが、失われたはずの魔力を手にしたところから始まる。 作者アデイェミはナイジェリア系アメリカ人。西アフリカの神話を基に紡がれた物語は、私の親しんだ西欧の竜と魔法のファンタジーとはちがう濃厚で豊満な手触りを持つ。地を穿ち、獣を手なずけ、死霊と結びつく彼らの魔法にはただただ目を瞠るばかりだ。 魔力・権力・富を持つ者と持たざる者の融和は容易ではない。作者が物語を描いた時、連日のように白人警官による黒人の射殺/暴行事件が報道されていた。物語にこめられた祈りが、オリシャの世界をいっそう力強いものにしている。

    (三辺律子)

    • 『人間の絆 上・下』
      サマセット・モーム
      金原瑞人 訳
      (新潮社)

     モームはいやな人物を書くのがじつにうまい。典型的な例が『月と六ペンス』のストリックランドだろう。しかし、この『人間の絆』の主人公フィリップも神経質で自意識過剰で、そのくせ自尊心だけは妙に強いといういやな人物で、大学生の頃にこれを読んだとき、とくに上巻では辟易したものだった。そのうえ、この作品はモームの半自伝小説。自分をよくこんなにいやな人間に描けるものだと、感心したのをよく覚えている。 そして下巻に入ると、モームはこのフィリップ=自分をいじめまくる。いやな主人公がもっといやな女のせいでさんざんな目にあってロンドンをさまよう場面は、あまりに悲惨で、読者はついガードをゆるめてしまう。このあたり、モームは驚くほどうまい。きっと友だちは少なかっただろう。それはともかく、そんな話が1300ページにわたって語られていく。ストーリーらしいストーリーもないのに、その長さを感じさせない書きっぷりは見事というしかない。読み終えたとき、続きが読みたくなる、そんな作品です。

    (金原瑞人)

  • 『分厚い本』

    <エッセイ>

    桜庭一樹

     高校受験の日から合格発表まで四日ほどあり、その間ずっと不安だった。落ちてるような気がしてならなかったからだ。" 分厚い本" と聞いて反射的に思いだすのは未だにあの四日間のことで、わたしは図書館で借りてきた『風とともに去りぬ』を読み続けることでなんとか乗り切った。長い小説だったし、比類なく面白かったから、没頭できた。時間があっというまに過ぎるようでいて、いつまでも物語が終わらないようでもあるという、不思議な経験だった。 ――人生には" 分厚い本" が絶対的に必要になるタイミングがある。 そして時は流れ、四十代になった。ある先輩作家が「青春時代に読んだ古典小説を四十歳で再読する」ことをお勧めするエッセイを読み、心惹かれはしたものの、目先の忙しさにかまけてずるずる後回しにしていた。四十五歳のとき、体を壊し、小説執筆が不可能になった。同時に新聞で海外古典小説を紹介する短いコラムの連載を始めた。『武器よさらば』『アブサロム、アブサロム!』『白鯨』『ボヴァリー夫人』『冷血』『レ・ミゼラブル』『ゴリオ爺さん』『モンテ・クリスト伯』『怒りの葡萄』……。これらを約一ヶ月ずつかけてゆっくり読んだ。読みかけの長編小説が常に傍にあることが幸せだった。苦しいとき、本が寄り添い、語りかけ、芸術の永遠性を信じさせてくれた。 三年後、体力が回復し、小説執筆に復帰した。手塚治虫先生が残された「火の鳥」シリーズのシノプシスを元にしたアナザーストーリー『小説火の鳥大地編』の新聞連載を始めた。大河小説を構築するにあたり、古典を再読した経験が役立ったように思う。 人生のタイミングとして"分厚い本" を必要としている誰かの手に、自分が書いた長編作品も届き、何かを語りかけることができたらな……。そこに作家としての幸福があるといま強く思っている。

桜庭一樹氏の近著

    • フリーブックレット「BOOKMARK」について

      ・年2回発行
      ・編集・発行:金原瑞人
      ・編集   :三辺律子
      ・イラスト・ブックデザイン:オザワミカ

  • 大人気のフリーブックレット「BOOKMARK」(設置書店80店舗/4000部配布)をベースに加筆修正した書籍版です。著名作家による書下ろしエッセイと、各書籍の紹介はその書籍の翻訳家が自ら執筆!!その本の面白さ、背景など、翻訳家ならではの視点で描かれたコラムも人気です。