(写真・根津千尋)
お勧めの英語の作品を紹介しようと思ったものの、いくら考えても、じつにありきたりな作品か、だれも読んでくれそうにない作品しか頭に浮かんでこなかったので、発想を転換して、他言語から英語に訳された傑作を6つ紹介することにしました。
おそらくこのコーナーを読んでいるのは、英語が堪能な方だと思います。たまに、他言語からの英訳を読んでみてはいかがでしょう。日本語訳のあるものを選びました。興味のある方は、両方読んでみてください。思いがけない発見があると思います。
1954年岡山市生まれ。法政大学教授・翻訳家。訳書は児童書、ヤングアダルト小説、一般書、ノンフィクションなど550点以上。
訳書に『不思議を売る男』『青空のむこう』『さよならを待つふたりのために』『国のない男』『月と六ペンス』『リンドバーグ 空飛ぶネズミの大冒険』、『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』など。エッセイ集に『サリンジャーにマティーニを教わった』など、日本の古典の翻案に『雨月物語』など。創作に『ジョン万次郎』。HPはhttps://www.kanehara.jp/
『The Notebook, The Proof, The Third Lie: Three Novels』
(悪童日記/ふたりの証拠/第三の嘘)
Agota Kristof /著
Alan Sheridan, David Watson /翻訳
ハンガリー動乱のとき、ハンガリーからスイスに移り、フランス語でじつにユニークな作品を書き続けたアゴタ・クリストフの名を世界的に有名にした三部作『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』をまとめて1冊にしたもの。戦争中、戦火と迫害から逃れるため祖母に預けられた双子の兄弟の物語。ふたりは過酷な状況や、不可解な出来事や、非人間的な事件から自分たちを守ろうと、不思議な感性をみがいていく。そのふたりの目からながめる世界はいびつにゆがんでいるが、読んでいくうちに、もしかしたら世界は本当にゆがんでいるかもしれない、という気がしてくる。そして、「このふたり」はもしかして……と思い始めたとたん、第一部が衝撃的な終わり方をする。そして、第二部、第三部へと読み進めるうち、物語は思いもよらない方向へ。「これが現代文学か?!」と思うほど、文章は読みやすい。しかし読後感は「これが現代文学だ!」と思うほど強烈だ。『悪童日記』は映画化もされていて、こちらもまた評価が高い。
『The Stolen Bicycle』
(自転車泥棒)
Wu Ming-Yi /著
Darryl Sterk /翻訳
台湾の現代作家、呉明益の注目作『自転車泥棒』。父親がずいぶん昔に盗まれた自転車の行方を追う作家が主人公。彼は、古い型の自転車に異様にくわしい古物屋や、自転車の修理をしている頑固な老人と知り合う一方、戦時中に日本兵として銀輪(自転車)部隊の訓練を受けた台湾の先住民の男のことを知る。そこにもうひとり、カメラマンが登場する。彼は日本軍の銀輪部隊が第二次世界大戦でマレー半島から攻め入り、英印軍の守っていたシンガポールを一気に陥落させたものの、その後敗退していった道をたどり、要所要所の写真を撮っている。自転車が現代の作家とカメラマンを結びつけ、彼らの知らない戦争や戦場を体験させていく。そしてこの大きな流れに、いくつもの挿話がからんでいく。ミャンマーのラングーンにあった動物園からイギリス軍が撤退するとき、ここにいた猛獣をすべて射殺し、草食動物は食料にしたエピソード。台湾の円山動物園にやってきたゾウのエピソード。そして空襲。古い自転車が空にのぼっていくエンディングは息を飲むほど素晴しい!
『The Hole: A Novel 』
(ホール)
Hye-young Pyun /著
Sora Kim-Russell /翻訳
韓国の現代作家、ピョン・ヘヨンのミステリ風の現代小説。この英訳がアメリカのシャーリー・ジャクソン賞を受賞。一気に英語圏での彼女の評価が高まった。自動車事故で妻を失った中年の男が主人公。全身不随で、言葉を発することもできない。しかし意識はある。その男の視点からすべてが語られていく。妻の母親に世話をしてもらっているのだが、男は義母の行動や言葉の端々に不安を、ときに恐怖を感じる。その一方で自分の過去を振り返り、妻と自分の関係を思い出す。いくつかの挫折を経験し、人生の空洞を埋めようと庭仕事に夢中になった妻のことを思う一方、妻が植えた草木をすべて抜いて穴を掘る義母におびえる。やがて、男は体が少しずつ動くようになるのだが……。主人公の置かれた状況はスティーヴン・キングの『ミザリー』によく似ているのだが、読後感はまったく違う。ぜひ読みくらべてみてほしい。
『Why We Took the Car』
(14歳、ぼくらの疾走 マイクとチック)
Wolfgang Herrndorf /著
ヴォルフガング・ヘルンドルフの『14歳、ぼくらの疾走 《マイクとチック》』は現代のドイツを舞台にしたヤングアダルト小説。友だちのいない変わり者のマイクは、好きな女の子の誕生会の招待状がもらえずに落ちこんでいるところを、もっと変わり者で危なそうな転校生チックにからまれ、いつの間にかつきあうようになる。母は依存症のセラピーにいき、父は出張で出かけ、ひとりになったマイクはチックに誘われて、好きな女の子の誕生会に飛びこみ、そのあとチックの祖父がいるというルーマニアの町までいくことにする。ただし、車は盗んだ車で、もちろん無免許。その途中、マイクはチックから車を盗む方法や車の運転を教わる。また、ホームレスの女の子が仲間に入るというハプニングもある。最後は警察から逃げ回りながら、ひたすら突っ走る。思い切り痛快なロードノヴェル。こんなとんでもない中高生向けの小説がベストセラーになるところがドイツのおもしろいところだ。
『Blue Is the Warmest Color 』
(ブルーは熱い色)
Julie Maroh /著
これはフランス語のコミックで、邦訳は『ブルーは熱い色』。アデルという女子高生がエマという年上の美大生にひかれるようになる。その心の動きや揺れ、まわりの偏見に対するいら立ちなどがていねいに描かれていく。そしてエマとのいさかい、和解……やがて、アデルは幼稚園で子どもを教えるようになり、エマはアーティストとして有名になっていくが……という展開。いかにもフランスの心理小説を思わせる細部へのこだわりが印象的だ。映画にもなっていて、映画のほうはレズビアンという関係が全面に出ているが、原作ではそこの部分は控えめで、それよりも愛し合うふたりの物語そのものが中心になっている。コミックでは最初と最後はカラーなのだが、それ以外はモノトーンで、ブルーだけがたまに混じる。それもほとんどが青く染めたエマの髪だ。クールなはずのブルーを、これほど温かく感じさせる物語と絵の力が素晴らしい。
『How Contagion Works』
(コロナ時代の僕ら)
Paolo Giordano /著
Alex Valente /翻訳
作者のパオロ・ジョルダーノは処女作『素数たちの孤独』でベストセラーになったイタリアの現代作家だが、素粒子物理学でPHDを取得している。そんな彼が、ヨーロッパで最初にコロナの感染爆発を経験したイタリアでの体験をもとに、そのときの状況を客観的に捉えて分析し、いち早く世界に警鐘を鳴らしたエッセイ集『コロナの時代の僕ら』。これはデフォーの『ペスト』、カミュの『ペスト』と並ぶパンデミック作品として、今後も長く読み継がれると思う。ぜひ読んでみてほしい。 「僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。」(飯田亮介訳)
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