「朝の読書」という実践を知ったのは97年度の1学期でした。「好きな本を、みんなで、毎日、ただ読むだけ」という朝読の4原則になぜか直感で惹かれました。「これをやらなければ!」と思いました。
「朝」と名が付いているのですが、その当時私は担任クラスを持っていませんでしたので、読書を朝の連絡の時間で行うこともできません。そこで自分の担当の国語の授業開始10分間を、読書の時間にあてることにしました。できるところから行ったのです。
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しかし突然「本を読むから本を持ってきなさい」と言ってもなかなか準備できないだろうと思って、夏休み中本集めに奔走しました。もちろん私のポケットマネーからです。自分の家の本棚を眺めて「子供達が読みそうな本は……」と探しても皆無でした。活字に慣れ親しんでいない子供達が飛びつくような本は全く持っていませんでした。そして足を運んだのは古本屋(書店さんには失礼ですが……)です。1冊100円の本を買いあさりました。いろんな古本屋をめぐり、なんと2冊50円というものも見つけました。
1クラスに40冊くらいそろえないと生徒に本が行き渡りません。その当時は5クラス持っていました。資金も不足になり最後に足を運んだのはゴミ処理場でした。そこには「御自由にお持ちください。」と書かれた捨てられた本たちがたくさん本棚に並べられてありました。本当に宝の山でした。これでようやく本がそろえられました。
このように環境を整えて、2学期から授業の開始10分間、読書を始めました。生徒にとっては授業時間中に好きな本が読めるということで、思いのほかウケがよかったようです。静かに集中して読んでいました。初めは全く読まないのでは?と、不安だったのですが、古本屋を奔走して環境を整えた甲斐がありました。教育は「何が成功するか?」を考えて何もできなくなるよりも、「目の前の生徒に何をするべきか?」を考えて、できることをやればいいんだと実感しました。
このような実践を他のクラスでもやってもらうために、同僚の国語の先生に理解を得て、3学期から国語の授業全てで10分読書を実施することになりました。これで全クラスの生徒に、本に触れる機会を作ったのです。
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さて、次は本当の「朝」の読書にするにはどうすればよいかと考えました。99年度2学期、国語科から朝の読書実施計画を提出したのですが、すったもんだがあって00年度には実施見送りの決定が出されました。これで本校では全校一斉の朝の読書は行われないことになってしまいました。
残念ながらそうなってしまったのですが、自分のクラスだけでも朝の読書を実施しようという考えが生まれてきました。その年は2年生の担任でした。朝の連絡の時間が始まり他のクラスはざわついていてもチャイムと同時に読書を行いました。初めはいろいろと生徒の不満は出ていましたが、3年生になった今、生徒は落ち着いて読書をするようになっています。時間は10分間取れませんが、1限の授業に遅れないぎりぎりの時間まで読書をしています。
ある生徒の感想に「読んでる時は自分が主役」とありました。学校では他の時間に生徒一人一人が主役になる時は皆無ということをこの感想は物語っています。これから読書は学校教育でもっと重要な位置を占めなければならないし、読書指導では朝読が非常に効果的な実践なんだと思っています。
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蛇足ですが、生徒がどうやって本を手に入れるか聞いてみたところ、案外図書館からよりも書店からの方が多いようです。きっと図書館は読みたい本でも1冊しか置いてないけれど、書店なら読みたい本が何冊もあり、すぐに手に入るからなんでしょう。これで私の古本屋への投資は、生徒が本を書店で買うという形に変換されたのではないかと……。
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