高島市立湖西中学校は近畿の水瓶、美しい琵琶湖の西北あたり、風光明媚な高島市の中程に位置しています。環境を守り、生かしている自家湧水の堰「かばた」に象徴される豊かな自然に囲まれて生徒たちはのびのびと学校生活をおくっています。
8時25分。チャイムと同時に放送室から落ち着いた音楽が流れ、各学級では朝読書が始まります。ほとんどの学級では全員が本を開くのですが…年末や入試前には3年生の一部が「それどころじゃない」あれ?
1・2年生でも宿題を忘れた人が「こっそりやれば…」う〜んダメだなぁ…「朝読書の時間だぞ〜」と先生の声。
でもそんな人たちはごく一部。友達の読書を妨げるような行為をする人は全然いません。家から持ってきた本や学級文庫を休み時間に読みふける人も増えてきました。楽しかった本を友達に貸して、「な、おもしろかったやろ」という会話もよく聞かれます。「先生も読む?」と回してくれたり、先生の本が生徒に回っていくことも。先生自らがお薦めの本を学級文庫にしている学級も幾つかあります。図書室の蔵書と混ざるのが、学期末のうれしい「困った」です。本校の朝読書は現在こんな雰囲気です。厳しくなくゆるくなく…。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
「家では読書しないので、こんな機会でもないと読まない」
「朗読がつまらずに読めるようになった気がする」
「漢字がきらいじゃなくなった。慣れたら、まぁ読める」
「授業以外で知識が得られるのは、なんか楽しい」
「親しくなかった友達が同じ本を読んでいて友達になれた」
「続きが気になるから学校に来るのが楽しくなった。少しやけど」
「頭がすっきりするから。1時間目から良く回転する〜といいなぁ」
「朝読書の時間が短い。授業をやめよう!」←それは無理だ(笑)。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
でもスタートはわずか5年前。その前の年に「今月は朝読書をしてみよう」と期間限定で始まったそうです。翌年、転勤して来た私が「朝読書はこんな形でお願いします」と会議で提案したところ、「それでいいんじゃない」とスムーズに始めてもらえたのは前年度にきちんと準備運動がしてあったから、だったのですね。感謝。
1年目は一部の学年や学級で「本を持ってこない」「読もうとしない」などの声も聞かれましたが、担任の先生が率先して読む姿や図書委員会の努力で大きな問題もなく継続してきました。また図書を購入している書店さんがラベル貼りや台帳データ作成をして下さるおかげで図書担当教師と図書委員会の負担がとても減りました。おかげで「生徒の希望の本」「書店からのお薦め本」を検討する時間が生み出せています。最近の流行りの本はいろいろと難しくて…。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
図書担当教師の夢。今の子は友達との共有体験が少ないです。記憶は時間と共に風化していきます。だけどその一部はミーム(文化における伝達や複製の基本単位)として世代を超えて伝えられる…。
流行りのドラマ、映画、芸能人やスポーツ選手の一つ一つはいつかは忘れられてしまいますが(「巨人大鵬玉子焼き」「3億円事件」なんて平成生まれには…)出来るならば、次の世代に痕跡だけでも残ってほしい。僕達が中学生高校生の頃、熱心に読んだ本を現在の中学生が読んだら、どう評価するだろう。全くおもしろくない一冊になるだろうか。時代を超える感動の共有が生まれるだろうか…?
「先生、確かに星新一って読みやすいし、おもしろいわ〜」
「新撰組って社会の授業では出てこなかった…残念やわ」
学級文庫の中にさりげなく入っている一冊は昔キラキラ輝いていた名残でもあり、また大きく育ってほしい「接ぎ木」や新しい「種」でもある。その一冊がまた次の一冊を再生してくれますように。そんなことを思いながら今日も朝読書の様子をながめています。
|