朝の読書に取り組み始めて、ほぼ四年が経過しました。これまでの経緯を少し振り返ってみます。
平成十一年度の十月、読書週間の行事の一環として時間を設定して、初めて「朝の読書」に一週間全校で取り組みました。この取り組みの際、学校で行う読書活動や朝の時間の使い方に対する考え方を同僚に見直してもらうために、提案から約三か月の時間が必要だったことを懐かしく思い出します。
平成十一年度までは、本校では約二十分間の朝の会の時間が確保されており、多様な活動がクラスの工夫によって展開されてきた経緯があります。子どもたちの自主的な活動力を育てる大切な時間として位置づけられていました。反面、朝の会から一時間目のスタートまで、学校全体が落ちつかず少しざわついたような感じもありました。そこで、落ちついた雰囲気を朝の始業時につくることや、読書活動の時間確保を目的として、「朝の十分間読書」を行うことを提案しました。
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おなじみの朝の読書四原則「毎日やる、みんなでやる、好きな本でよい、ただ読むだけ」は、読書活動に新しい風をもたらすものと歓迎されました。しかし、「ただ読むだけでよい」という原則に対して、「感想文や読書記録を求めない読書指導で大丈夫なのか」という疑問が数多く出されました。学校で行う読書活動では、何らかの記録を残していくことが学習を担保すると考えられていましたので、無理もありません。とにかくすべての子どもに読書習慣をつけること、長続きさせることが重要なポイントであることを説明し、了解を取り付けることができました。このことは、子どもの活動に対する指導のあり方を考えさせる契機となりました。私たち教師が、あらゆることに指導の手を伸ばしすぎているのではないか、もっと子どもの伸びようとする力を支えるような指導や支援を行うべきではないか、といったような問題意識を生んだのです。
朝の読書運動が提案してきたことは、教育現場のあり方の本質を見直す力を持っていたことを今にして感じます。何よりも、子どもの成長への意欲を信じ、教師もともに活動するという素晴らしさがあるように思います。朝の読書に半信半疑だった先生も、朝の読書の場で、静かに確かに子どもが伸びようとする時間を実感したようです。
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さて、試行を経て平成十二年度より教育課程に位置づけて、毎日朝の読書の時間が確保されました。午前八時十五分から二五分までの十分間、毎朝学校全体が静寂に包まれます。教師とともに子どものページを繰る音だけが響いています。
朝の読書が何ら特別なものではなく、あたりまえの活動になっていく過程で、子どもたちの中から自然と工夫がなされるようになってきました。読んで印象に残った本を紹介し合う等が主なものですが、図書委員会の活動として朝の読書で読む本をみんなに紹介することを目的として、各クラスに「リサイクル文庫」が設置されました。家庭で眠っている良書を、みんなで共有し活用することをねらいとしています。子どもの工夫を促し、家庭と学校を自然と結びつける朝の読書運動の力がここにも表れているように思います。
朝の読書の時間は、いわば「読書の量を確保する時間」です。ほぼ四年になろうとする取り組みを通して、今後は「読書の質を確保する時間」に少しずつ脱皮していくことが必要ではないかと考えています。来年度に向けて、教師の工夫が試されているように感じています。 |