天照大御神が、弟神「スサノオ」の振る舞いに激怒され、岩穴にこもられたとされる神話の残る天の岩戸神社を見下ろすところに、岩戸小学校はある。自然にも恵まれ、四季の彩りを楽しむことのできるところである。
岩戸小学校は、全校児童百三十名。各学年単学級である。かつて、鉱山の採掘に沸いた時代には、七百名から八百名も児童がいたという。そんな昔の面影は薄れているものの、地域の大人たちがこよなく愛した学校である。
朝、子どもたちが登校すると、ボランティア活動を行う。自らほうきを持ち、学校をきれいにしようとする子どもたちや花の世話をする子どもたちで賑わう。朝の放送では、高千穂町のイメージソングが流れる。そして、八時十五分のチャイムとともに子どもたちの朝の読書が始まる。
朝の読書が始まるとそれまで騒々しかった校舎内の空気が一変する。子どもたちは、読書タイムまでに自分の読みたい本を用意する。それは学級文庫の本であったり、家庭から持って来た本であったり様々ではあるがチャイムとともに静寂の空気が漂う。
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本校での朝の読書タイムが始まったのは二年前からである。新学習指導要領の趣旨を踏まえ、子どもたちに「生きる力」を培うために、基礎・基本を定着させることをねらい、語彙力や表現力を身に付けさせることが不可欠だということから始まった。無論、読書から得られるものは、学力だけではない。本の中の主人公と自分とを重ね合わせ、心ふるわせる。体験できない事柄が本の中では実在する。何でも吸収する子どもたちの心の中に浸透し、生活の中の潤いとなるといっても過言ではないだろう。
私も様々な学校で経験してきたが、朝自習の時間は、漢字や計算など自学を進めるものであった。時には読書も行うことがあったが、毎日というのは初めてである。活字離れを危惧する声をあちこちで聞くものの、本に触れる時間を子どもたちに保証してこなかった。本を読む時間が確保されると子どもたちは喜んで本を開く。
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私のクラスは三年生二十一名である。ギャングエイジと呼ばれるこの年代の子どもであるから、ことあるごとに騒ぎが巻き起こる。時には、それぞれの個性がぶつかる。しかし、本は大好きで朝の読書タイムの前から本を開く子もいる。十分間の休み時間にも読書に没頭する子もいる。そんな中、Kくんは本が苦手だった。Kくんの朝の読書の様子を見てみると、ほとんどいつも事典ばかり。写真を眺めていることが多かった。しかし、図書主任の先生から新刊図書の紹介があった後、彼は「南総里見八犬伝」を読み始めた。今までの様子と違う姿があった。「難しそうだね。その本」と声をかけると、おどろおどろしい挿絵を見せて、「おもしろい」と一言いって、顔を見合わせた。完読してほしいが、無理強いはしない。少しずつ変化する子どもたちの様子を喜びたい。
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本年度から、保護者の読みきかせ活動が始まった。毎週水曜日には、あちらこちらの教室から楽しいお話の声が聞こえる。また、岩戸地区三校(小学校二校・中学校一校)で家庭での親子読書の日の設定も決まった。地域ぐるみでの活動が広がり、ますます本校の読書熱は高まってきそうである。 |