今なお緑深い木曽路の南の入り口に位置する南木曽町は、林業と妻籠宿などの観光で自立を目指す町である。学びの場にふさわしい「読書」の名をもつ本校は、旧中山道脇に百三十年余の歴史を刻んできた。
「読書」の由来は、明治初年に合併した三か村の頭文字を組み合わせたことによるが「これからの世は学問がなければいけない。読書こそ文化を開く道である」という強い願いが根底にあったと伝えられている。この名によって、学校関係はもちろん地域にも学問尊重の精神が脈々と受け継がれてきたと、学校沿革誌は語る。
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近年の過疎化によって、全校児童は一六一名と少なくなりつつあるが、のびのびとした元気な子どもたちが育っている。しかし、急激な児童数の減少という現実の前に、町内三小学校の統合によって校名が消滅するという、厳しい事態が生じようとしている。
このような状況の本校に、私は半年前の四月に赴任してきた。学校統合という現実に振り回される事なく、読書小学校らしさ≠前面に出し学校が活性化する機会となるよう、活動を展開する核を探していた。そんな時、朝の読書推進協議会と朝日新聞社から、朝の読書啓発活動として本校の校名と取組みを特集したいという申し入れがあった。校長として、これを千載一遇とも言えるチャンスととらえた。これをてこにして、全国唯一の校名に込められた願いと誇りを全校児童が再認識し、学習の基礎基本である読書活動に積極的に取組みたいと強く思った。このことは、自立の町を選択した町のみなさんに、学校から元気や将来展望を発信できるのではないかとも考えた。
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さっそく先生方に、本校の教育計画の柱として読書活動を重点化することを提案した。合わせて、町の教育委員会に状況と方向等を説明し、了解と協力の回答をいただいた。また、保護者の方々を中心とする地域には「やっぱり読書小学校は読書だ!」というタイトルで学校だよりを発行し、学校の願いを理解いただく働きかけを開始した。
具体的な中身としては、
@週三回十五分間で実施している朝の読書をより充実させる。
A親子読書の呼びかけや読み聞かせボランティアとの密な連携など地域への働きかけををさらに進める。
B親しめる読書教材の開発として地域に伝わる昔話などを積極的に採録する、などである。
職員会では、係会が校長の提案を受けとめて、以下の朝の読書についての職員共通認識を提案した。それは、
@子どもの主体性と読書に親しむ雰囲気を大事に、好きな本を自分で選んでおいて、それを読むことを徹底する。
A全校児童と職員が一斉に読書に取組む時間としていく。
B本を読む楽しさと充実感を大切にし、どんな本を読んだか記録に残すが感想文などは求めない。
新しいことに踏み出す前に、現在の取組みを見直し充実させるという方向を全校で確認した。
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朝の読書が始まると、私を含めて校内一斉に読書をするようになり、緊張感ともいえるような本当に静かな時間が流れ始める。教室では、先生方の工夫した読み聞かせなどに親しむ姿、家から本を持ち寄って朝の読書に向け学級文庫を充実させようとする姿、休み時間に読む本を探す姿など、朝の読書を意識した子どもたちが多くなってきたことを実感する。また、読書旬間を契機として親子で本を読み始めたとのうれしいお便りも寄せられている。
ゆっくりとではあるが、学校の中に着実に読書の「読書」の気風が定着しつつあるのを感じる。かけがえのない「読書」の名がたとえ消えても、子どもたちの心の中や地域に、読書を大事にする心根が永遠に残ることを切望する。 |