本校のある安芸市は、高知市から東へちょうど四〇q、南は太平洋に開け、北は四国山脈の尾根にまで連なる、農業・漁業・商業の街である。現在の人口は二万人余りと街は小さいが、輩出した人物は大きい。近年だけを拾ってみても、三菱財閥を造った岩崎弥太郎、異色の小説家・ジャーナリストとして名を残す黒岩涙香、「浜千鳥」「靴が鳴る」「叱られて」など日本人の心に染み入っている数々の童謡を作曲した弘田竜太郎、書道の大家として名をはせた川谷尚亭や手島右卿他、たくさんの人物を挙げることができる。
本校は、県東部の教育を担うべく、明治三十三年に県立中学校として設立された。爾来、百八年の歴史の中で、普通科に加え、家庭科、商業科、工業科など時代の要請に応える学校経営を経て、現在は、高等学校普通科(十二学級)に平成十四年度から中学校(六学級)を併設、中高一貫教育に踏み出している
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さて、本校の「朝の読書」は平成十年度に五分間読書として始まった。県東部の雄としての高等学校でありながら、読書習慣の乏しさは否めず、他教科と比べて伸びない国語の実態も課題であった。生徒は実直であるが、刺激や出逢いに限りがあり、競争心にやや乏しいといったところである。そこに何とかして、風を入れたいとの思いが、朝の読書のスタートとなった。
当初は、例にもれず「読書は強制すべきものではない」といった反論があったと聞く。私は、朝読について得るところ大なるも、失うものは何一つ無いと信じている。さらに言うなら、教師がこれほど楽をして、これほど大きな効果につながるプログラムは他にないと信じている。先の強制論だが、十分間という空間を強制しているだけで、本の内容もレベルも量も強制している訳では決してない。教師の苦労といえば、本を読めない子がいたとして、その子がおもしろいと感じる一冊の本に出逢うまでを辛抱強く待つ気苦労ぐらいのものではないかと思う
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十年目を迎える今、本校には毎朝、廊下を歩くのもはばかられるほど静かな十分間が訪れる。何とも言えぬ幸せである。また、平成十年度に三、五〇〇冊(一人平均五・二冊)であった図書館の貸出冊数が、十七年度は五、八〇〇冊、十八年度は六、七〇〇冊(同一〇・〇冊)と、今なお更新中であるのはまた嬉しい。
この背景として、併設の中学校段階から生徒が朝読にすっかりはまって育つことが挙げられる。早い段階でのスタート(=習慣化)がいかに大切かを物語るものである。また、出版情報や生徒の関心に日々アンテナを張り、書籍選びと図書館経営の工夫に余念のない司書教諭の存在が大きいことは言うまでもない。ちなみに、本校の図書館は、狭いうえに教室から遠く、決して恵まれたものではない。しかし、生徒の読書熱は、どうやらこのハンディキャップを乗り越えているようだ。
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さて、国語の実力との関係はどうか? 読書量の多い生徒で、実力の秀でた生徒がたくさんいることは事実であるが、全体的に相関関係があるかというと定かではない。しかし、私は、それでいいのではないかと思っている。読書は、人生という長いスパンでじわりと効いてくる滋養ではないか。簡単に成績と結びつくような効果は、簡単にはげ落ちる危険性を伴っている。読書の中で人と出逢って心を耕し、依って立つべき足場を確実なものとして、大道を歩む、……しっかり読書を楽しめる彼らの成長が楽しみである。
最近、朝の読書が発展して、家族で読書を楽しもうという「家読」の勧めが広がろうとしている。核家族化や少子化、情報化や成果主義といった急激な社会変化の中で、家庭の文化は崩れ、社会の規範もいつのまにか追いやられている。そんな日本の社会を救えるか否か、日本人が再び世界から尊敬を受けるようになるか否かは、朝読や家読の中で育つ子どもたちが握っている。 |