我が校の朝のSHRは一時間目の移動時間を含んで十分間しかない。その中で、今年全二九クラス中二六クラスまで「朝の読書」を実施するに至った。我が校は被服・商業・普通・音楽科、三学年二九クラスある、千名弱の私立高等学校である。
我が校の「朝の読書」はまず、六年前、湯原先生の現代文の最初の十分間の実践から始まる。私も四年前に十分間読書を実施した。その時、私は生徒のみならず、どんどん先生にも本を紹介し続けた。「朝の読書が奇跡が生んだ」も皆で回し読みをした。中でも、国語科の中野先生が朝のSHRの十分間読書に踏み切ったのである。中野先生は、「朝、シーンとした時間を皆で共有することで、一日が落ち着いた雰囲気で始まり、さらに読書を通して新たな人間関係が生まれ、家族でも読書について話すようになった」と語る。それをきっかけに、その年、先生たちの輪が広まり国語科の四名の先生が現代文の十分間読書を実施するに至った。私は自分の実践を踏まえ、思い切って林先生にファンレターを出したのである。九九年の夏のことである。そして、突然、林先生からの電話で、私はこの運動にかけ、全校一斉にしようという夢をその時秘めたのである。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ その決心以来、まず私がやったことは機関誌「はるか」のバックナンバーを読み、どのように自分の学校で広めていけばいいのか、いろいろな作戦を練ったのである。また全国の「朝の読書」の実践している先生方の存在を知った。私はその先生方から林先生のビデオ(「ことばてれび」においてのインタビュービデオ)やテープ(「教師の時間」での講演)を入手し、それを二〇本ずつダビングし、手当たり次第に我が校の担任を持っている先生方に配った。さらに、林先生の本を三冊ずつ購入し、学年主任に、「読んでよ」と半ば無理矢理渡した。その結果、朝のSHRでの十分間読書を実施するクラスが、一クラス一クラスと増えていった。その年のうちに十六クラス実施することになったのである。やはりどのクラスも実施するに当たって一限の移動時間がないことへの問題が一番大きかったが、しかしどのクラスの感想もよかった。生徒アンケートでも九三%が「朝の読書」は自分のためになると答え、八〇%は続けてほしいと答えた。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 遂に二〇〇〇年度に、一年生で一斉になったのである。次いで他の学年のクラスも開始し、現在全二九クラスのうち、二六クラスまで実践するに至ったのである。
「少しでも本を読むことで落ち着いて授業が始められるようになった」「友達と本についての会話がとても楽しかった」「読書は好きじゃなかったけど、少し興味を持ちました」
この生徒の感想でも、みんなで毎日続けていくうちに、読むようになり、読書が嫌いな生徒さえ、読書が好きになっていく過程が分かる。このように我が校の「朝の読書」の輪が広まっていき、「西高の百冊」(生徒向けに先生たちが百冊、本を紹介する本)の第二版を発行した。今我が校の先生たちの机にはいろいろな本の世界がある。そして、私は来年度全校一斉実施に向けて運動中である。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 「朝の読書」は今まで接点のなかった生徒や先生に対してお互いの接点を持てる一つの方法であり、自分自身を深め、自問自答できる時間である。本のすばらしい世界を生徒と語り合うことで、心の余裕を生徒自身、さらに、先生自身も持つことができる、なくてはならない実践である。
さらに、我が校のみならず、岐阜県下に広めようと、私は全国で初めての「朝の読書」サークルの会合を昨年の四月から五回開き、「朝の読書通信」の発行を始めたのである。
「朝の読書」は人間の、人生そのものなのである。 |