『レッド・ツェッペリン3』は文字通りレッド・ツェッペリンにとって3枚目のアルバムであり、全10曲が収録されているが、その内の6曲までもがアコースティックなナンバーで占められている。実はそれ以外にも、「移民の歌」のシングル盤でカップリングされた「ホワット・キャン・アイ・ドゥ」、後の『フィジカル・グラフィティ』に収録される「ブロン・イ・アー」、『コーダ』に収録される「プア・トム」の3曲もこのアルバム用のマテリアルであり、このサード・アルバム用の公式マテリアル全13曲中、アコースティック・ギターが全く使用されていない楽曲は「移民の歌」「祭典の日」「貴方を愛しつづけて」「アウト・オン・ザ・タイルズ」のわずか4曲しかなく、9曲までもがアコースティック・ギターを必要とした楽曲群となっているのは改めて驚きだ。
これは如何にこの時期のツェッペリンがアコースティックな音を求めていたかということになるだろう。振り返ってみると、レッド・ツェッペリンはニュー・ヤードバーズとして1968年9月にデビュー・ライヴを行って以来、マネージャーであるピーター・グラントの戦略により、ほとんど休む間もなく1970年4月まで過酷なライヴ・ツアーを続けている。それに疲れ果てたジミー・ペイジとロバート・プラントは、その反動からか1970年5月上旬、電気も通じていない(と言われている)ウェールズ南スノウドニアの山荘ブロン・イ・アーに滞在し、自己の音楽についての再考察を行っている。アコースティック・ギターやコンガといった楽器だけで、自分達の根底にある音楽性を見直そうとしたわけだが、ここで創出された楽曲の骨組みが後に『レッド・ツェッペリン3』を象徴する作品群へと繋がっていくわけである。もしブロン・イ・アー・コテージへの逃避がなかったならば、その後のツェッペリンの多様な音楽性への発展は、ひょっとするとなかったのかも知れない。
『レッド・ツェッペリン3』は1970年10月5日にリリースされる。前2作とは指向が異なりアコースティックなナンバーが極端に目立つこのアルバムの楽曲をライヴで演奏することには、それなりに躊躇があったのかもしれないが、リリース当時、このアルバムのマテリアルからライヴで頻繁に演奏されていたのは「移民の歌」「貴方を愛しつづけて」「ザッツ・ザ・ウェイ」、そしてジミー・ペイジのソロである「ブロン・イ・アー」のみである。ごく稀に「アウト・オン・ザ・タイルズ」も演奏された記録は残っているが、基本的にインプロヴィゼーションを必要としない型にはまった楽曲なので、ツェッペリン側としてはステージで演奏してもあまり面白みがなかったのだろう。セカンド・アルバムに収録されている「リヴィング・ラヴィング・メイド」が一切演奏されなかったのも同理由ではないだろうか。「ブロン・イ・アー」は『レッド・ツェッペリン3』には収録されなかったので、『レッド・ツェッペリン3』からはわずか3曲しか頻繁に演奏されていないわけだが、翌1971年には「祭典の日」「タンジェリン」「スノウドニアの小屋」も頻繁に演奏されるようになっただけでなく、「フレンズ」「ギャロウズ・ポウル」もごく稀に演奏された記録は残されており、結果的に「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」を除く全曲がライヴで演奏されたことになる。ギターの多重録音が施されている「祭典の日」と「タンジェリン」はライヴ用のアレンジを確立するのに間違いなく時間を要したのだろうし、ジョン・ボーナムの休憩タイムとなるアコースティック・セットにドラムスを必要とする「スノウドニアの小屋」を加えることにジョン・ボーナムは首を縦に振らなかったのかもしれない。いずれにせよ、アルバムをリリースしてからライヴで演奏するまでに時間を要する楽曲が、このアルバムから間違いなく増えていくわけである。例えば、4枚目のアルバムでは「限りなき戦い」「ミスティ・マウンテン・ホップ」「レヴィー・ブレイク」がそうだし、『フィジカル・グラフィティ』では「テン・イヤーズ・ゴーン」「黒い田舎の女」がそれに当たる。このような事実から『レッド・ツェッペリン3』はスタジオ・ワークならではといった本格的なレコーディング手法が始まったアルバムとも言えるのではないだろうか。デビュー・アルバムはわずか30時間でレコーディングが完了したと伝えられるし、セカンド・アルバムは過酷なツアーの合間を縫った強行なるスケジュールでレコーディングが行われたと伝えられるのに対し、このサード・アルバムは初めてじっくりと落ち着いてレコーディングされたと伝えられるだけに、スタジオ・ワークに緻密さが増すのは自然なことだし、4枚目以降の多様な音楽性はこのような手法でなければ確立出来ないわけである。
このような緻密なスタジオ・ワークにより創出された楽曲をライヴで演奏するにはジミー・ペイジの試行錯誤が繰返されていくわけだが、例えば1971年のステージで「祭典の日」はWネックを用いて演奏されていた。これは多重録音による何本も重なったギターを12弦にて表現しようとした試みであり、同様の試みである「天国への階段」の次の曲として演奏されていたことは多かった。しかし、その後はレスポールで普通に演奏されたり、Wネックの6弦側だけで演奏されたりと演奏形態はさまざまだ。そして、それにより奏でるリフやバッキングといったプレイ自体も変化していることにジミー・ペイジのギタリストとしての面白さが隠されているわけだ。「タンジェリン」にしても、1971年のステージではジミー・ペイジとロバート・プラントの二人によって演奏されていたものが、1975年のアールズ・コートのステージではジミー・ペイジのWネック、ジョン・ポール・ジョーンズのベース、ジョン・ボーナムのドラムスによるエレクトリック・ヴァージョンにて演奏されている。
こういった緻密なスタジオ・ワークを必要とした楽曲は、ライヴ用のアレンジにもさまざまな解釈を生み、さまざまな表現を我々に与えてくれている。ツェッペリンのライヴが面白い理由のひとつには、このようなスタジオ・ヴァージョンとライヴ・ヴァージョンの全く異なったアレンジやテイストが隠されているところにもあるのだろう。なお、『レッド・ツェッペリンDVD』にも『伝説のライヴ』にも「タンジェリン」は何故か収録されなかったが、「祭典の日」も「タンジェリン」も、年代によるライヴ・ヴァージョンの聴き比べをするには、残念ながら非オフィシャル物に頼らざるを得ないことをここでお断りしておく。
冒頭でも触れたように、過酷なツアー・スケジュールと連日連夜に繰り返されるマーシャル・アンプの歪んだエレクトリック・サウンドが本能的にジミー・ペイジをアコースティック・ギター・サウンドへと導き、その本能的に生じたアコースティック・サウンドへの傾倒から生まれたのが『レッド・ツェッペリン3』ではないだろうか。このようなアルバムを作り上げようという意思が最初からあったとは考えにくい。そして、このアルバムのレコーディングを境にステージでもアコースティック・セットが登場するわけで、ライヴ・ステージでの音楽性とエンタテインメント性の幅を広げる事になる。レッド・ツェッペリンの偉大なところは、その時その時に本能的に求める音色がまず存在し、それを基盤に4人のセッションにて化学反応が生まれ、普遍的な音を生み出したところにあるわけで、『レッド・ツェッペリン3』で例えるならば、本能的に求める音色がアコースティック・ギターの音色で、その上でこの4人ならではといった音の構築に成功している。そのような見方をすると、ツェッペリン・サウンドの要であるジョン・ボーナムのヘヴィでパワフルなドラミングも大々的にフィーチャーされている「ギャロウズ・ポウル」と「ホワット・キャン・アイ・ドゥ」にこそ、この『レッド・ツェッペリン3』制作時のツェッペリンのサウンド・ポテンシャルが秘められていると言えるのかもしれない。「移民の歌」「祭典の日」「アウト・オン・ザ・タイルズ」やブルース調の「貴方を愛しつづけて」といったデビュー以来の王道サウンドは、このアルバムにおいては例外的な楽曲だったのかもしれない。レッド・ツェッペリンに秘められた本能的に求める音色と、それを踏まえた上でのバンド・アンサンブルが作り出すグルーヴ感というものを解釈するには、この『レッド・ツェッペリン3』こそ、正に絶好なアルバムと言えるのではないだろうか。