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「その球団の名は、ニューヨーク・メッツです」 |
→2000年12月6日。FA権獲得以来、日本中に巻き起こした狂騒曲は、この言葉でフィナーレを迎えた。「自分にあった環境が見つかりました。その球団の名は、ニューヨーク・メッツです。」 |
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「フェラーリ、売ります」 |
→メジャー移籍が決まった時、新庄が最も心配したのが、愛車のフェラーリ。その時点で1765万円するしろものだった。新庄がこれを「競売」にかけると、3000万円で競り落とすものがあらわれた。しかし、なぜか期日になっても入札者は姿をみせず、今もなお新庄の所有物のままだ。 |
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「むりおちゃん」「意味なしおちゃん」 |
→2001年3月2日。キャンプでの居残り練習のあとの記者会見。何を聞いても、彼はこの2つの言葉しか発しない。ただ、最後の質問にはにやりと笑って頷いた。
−その言葉、気に入ってるの? |
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「本当は三塁打。
でも、あんまりがむしゃらにやるとね」 |
→2001年6月5日。フィリーズ戦の後のインタビュー。この試合は9−0でメッツの圧勝。戦意喪失気味のフィリーズの中継プレーは緩慢で、3塁も狙えたが、あえて2塁に踏みとどまった。 |
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「きょうの敵は蛾。マジで蛾は嫌いなんです」 |
→2001年6月13日。オリオールズ戦のあとのインタビュー。センターの守備位置のあたりには、照明に寄せられた蛾が群がっていた。延長10回に勝ち越し打を放った新庄は、「もう蛾とは、守りたくなかった」 |
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「4番?オレが一番びっくりした」 |
→2001年8月3日。ダイヤモンドバックス戦の後のインタビュー。日本人の野球選手としては、史上初のメジャーの4番をつとめた新庄は、今までに発したことがないような、浮かれた言葉で答えた。
「写真、撮っておいてよ。これが最初で最後だから」 |
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「長嶋さん?知らないです」 |
→阪神時代、歴代の打撃コーチは、新庄のもって生まれた打撃センスに惚れ込んだ。この言葉は、球界屈指の打撃理論の持ち主、山内一弘氏とのやりとりの中でのもの。山内氏は、「長嶋だって、王だって・・・」とひきあいにだす。それに対して、新庄は「長嶋さんが引退したのは、ボクが2歳のときですよ。」 |
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「彼女のスリーサイズは書かないで」 |
→1993年、背番号は「63」から「5」に変わった。現在の志保夫人と出会ったのもこの頃。正々堂々と彼女を公表した新庄だったが、新聞・週刊誌には、必ず彼女の水着写真とスリーサイズが紹介されている。そこで、一言。 |
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「ジーパンが似合わなくなりますから、
下半身は鍛えないんです」 |
→1998年1月、テレビ出演後。自主トレのテーマを、「下半身」におくと答えた新庄。「なぜ、いままで鍛えなかったのか」と問われて。「ずっとジーパンが似合うプロ野球選手でいたかったから」 |
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