全国書店ネットワーク e-hon
総合 本 雑誌 CD・DVD マイホームページ
 本のこだわり検索へ
新刊 予約 ランキング 文学賞 オススメ商品

日本で初めてジーンズを履き、マッカーサーを叱りつけ、
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」とも呼ばれた男。
そして、「日本一カッコいい」といわれている男・白洲次郎。

  そんな彼の伝説の生涯が、NHKでスペシャルドラマ化。
2月28日(土) 21:00から3回にわたり放映されます。

そのドラマ原作本をはじめ、いま改めて注目されている
白洲次郎の関連書をズラリとご紹介します。
激動の昭和史を駆けぬけた巨人の生涯を辿る――

白洲次郎 略年譜

1902
(明治35年)
2月17日、兵庫県芦屋市に生まれる。父文平は絹の貿易で産を成した富豪。「傍若無人な人」だったという。
1919
(大正8年)
神戸一中を卒業。学校では乱暴者、ペイジ・グレンブルックを乗り回す「驕慢」な中学生。まるで「島流し」にされるが如く、英国に渡り、ケンブリッジ大学クレアーカレッジに入学。

1925
(大正14年)

ケンブリッジ大学を卒業。英国ではベントレー、ブガッティを乗り回すオイリーボーイ。七世ストラッフォード伯のロビン・ビングとの終生の交わりを結ぶ。
1928
(昭和3年)
大学院で歴史を学び、学者になろうとしていたが、自家の「白州商店」が倒産したために帰国。
1929
(昭和4年)
樺山正子と出会い、結婚。「ジャパンアドヴァタイザー」という新聞社の記者となる。その後「セール・フレーザー商会」という勝者の取締役に就任。
1937
(昭和12年)
「日本食糧工業」(のちの「日本水産株式会社」)の取締役に就任。一年の大半を外国で暮らす。吉田茂と親しくつきあい、英国大使館が白洲の常宿となる。
1940
(昭和15年)
この頃仕事から退き、日本が戦争に突入すれば食糧不足になることを予見し、鶴川村に土地を求め農業に専念する。一方吉田茂のいわゆる「ヨハンセングループ」の一員といして「昭和の鞍馬天狗」的活躍を始める。
1945
(昭和20年)
吉田茂に請われ「終戦連絡事務局」参与に就任。GHQを向こうにまわし、八面六臂の活躍が始まる。
1946
(昭和21年)
「日本国憲法」誕生の現場に立ち会う。「終戦連絡事務局」次長に就任。
1947
(昭和22年)
「終戦連絡事務局」次長を退任。
1948
(昭和23年)
初代の貿易庁長官に就任。商工省を改組し通産省を誕生させる立案者の中心的存在であった。
1951
(昭和26年)
電力再編成の分割民営をすすめ、東北電力会長に就任。サンフランシスコ講和条約締結の全権委員団に「同行」。
1959
(昭和34年)
 東北電力会長を退任。囲碁、荒川水力発電会長、大沢商会会長などを歴任し、大洋漁業、日本テレビの社外役員、「ウォーバーグ」顧問等をつとめる。八十歳の頃までポルシェを乗り回し、軽井沢のゴルフクラブの理事長としてその運営に力を注いだ。
1985
(昭和60年)
 11月28日逝去
出典:『風の男 白洲次郎』より
NHKスペシャルドラマ原作
「白洲次郎占領を背負った男 上・下」
北康利

日本でいちばん格好いいといわれている男・白洲次郎。明治35年に兵庫県で生まれ、英国へ留学。戦後、吉田茂の側近として日本国憲法制定の現場に立ち会い大きく関与した。しかし、彼は表舞台には立たずに、在野精神というダンディズムを貫き通すのであった。初めて知る方にもお勧めの白洲次郎評伝決定版。
「次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家」
牧山桂子

「何かが変だ」――幼い頃から、自分の家が普通とは違うと感じていた…。表現の仕方は不器用だが愛情深い父であった次郎、あくまでマイペースを崩さない母であった正子。実の娘のみが知る、意外なエピソードの数々。
「風の男白洲次郎」
青柳恵介

日本国憲法誕生の現場に立会い、あの占領軍司令部相手に一歩も退かなかった男。常に活眼を世界に注ぎつつ、わが道を行く天衣無縫の気概。正子夫人をはじめ、この男に魅せられた人々の「証言」から蘇える「昭和史を駆けぬけた巨人」の人間像。
「白洲次郎の流儀 とんぼの本」
白洲次郎ほか

若くして英国に学び、カントリー・ジェントルマンとして自身をみがき、帰国後は自らのプリンシプルをたてに昭和史の危機を乗り越える。このセクシーでダンディな男の生涯を、愛娘の回想を中心にグラフィックによみがえらせる。
▼立ち読みページ(クリックすると大きく表示されます。)
 
 
白洲次郎の生き方」
馬場啓一

約束を守ること。安易な妥協を許さず自らのプリンシプルに忠実に生きること。それが真っ当な人間の条件である――近代民主国家の礎を築いた男の素顔は、ユーモアとアイロニーに富む魅力あふれるものだった。
白洲次郎の青春」
白洲信哉

「プリンシプル」身につけることになった9年間の英国留学時代に、白洲次郎はいったい何をしていたのか。
白洲次郎」
白洲正子/ほか

ベントレーを駆り、GHQに啖呵を切る。お洒落でダンディ、何をしても様になる。日本が最も必要としたジェントルマンの生涯。

 
運営会社概要 プライバシーポリシーについて

 本のこだわり検索へ
Copyright©2000 TOHAN CORPORATION