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いったい、日本人みんなで歌える国民的愛唱歌とは何だろう?
愛唱歌と呼ばれるからには、ふるさとの心象風景や日本固有のイメージと結び付いて幾世代にもわたって歌い継がれ、日本人の血を熱くする強い力を持ったものでなければならない。外国人をも感動させることができるなら、なお結構だ。そう考えれば、サザエさんも坂本九も選から漏れるに違いない。行き着いた結論は「愛唱歌の資格を持ち得るのは唱歌・童謡においてない」ということだ。
では、いまの教科書は長野さんらが嘆くほど唱歌・童謡を冷遇しているのだろうか。唱歌の衰退は伝え聞いてはいたが、これが事実だとすれば、日本は国民的愛唱歌も持たない奇妙な国家に成り果てかねない。疑問を解くための図書館通いが始まった。
小・中学校の音楽教科書を数十年ぶりに手にして、驚嘆と失望に襲われた。まず、習ったはずの唱歌・童謡になかなかお目にかかれない。代わってアニメソング、聞き馴れないカタカナ交じりの題の氾濫。その歌詞も途中で突然英語が出てくる。未熟な日本語が目立つ。
折しも、14年春から使われる教科書の採択が政治問題に発展した時期だった。「新しい歴史教科書をつくる会」メンバーが執筆に加わった扶桑社の中学歴史、公民教科書の採択をめぐり、政治団体が妨害を繰り返し、中国、韓国は日本政府に修正要求を突き付けていた。
だが、世間の関心は歴史と公民教科書にとどまっている。その陰に隠れた音楽の世界で、実は深刻な伝統破壊、日本語の混乱がゆるやかに進行していたのだ。音楽教科書を通読した私は、ここに「もう一つの教科書問題」が潜んでいることを確信した。
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