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町田 康(まちだ・こう)
1962年大阪・堺市生まれ。高校時代から町田町蔵の名でバンド活動をはじめ、81年パンクバンド「INU」を結成し「メシ喰うな」でデビュー。その後パンク歌手、俳優、詩人として活躍。92年詩集『供花』刊行。97年『くっすん大黒』で野間文芸新人賞、ドゥマゴ文学賞受賞。2000年『きれぎれ』で第123回芥川賞を受賞する。02年「権現の踊り子」で川端康成文学賞を受賞。『夫婦茶碗』、『屈辱ポンチ』、詩集『土間の四十八滝』(萩原朔太郎賞)、エッセイ集『つるつるの壺』等著書多数。 |
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『爆発道祖神』
角川書店
本体1,600円
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『供花(くうげ)』
新潮文庫
本体362円
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『土間の四十八滝』
メディアファクトリー
本体1,200円
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『くっすん大黒』
文春文庫
本体390円
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『きれぎれ』
文藝春秋
本体1,143円
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『耳そぎ饅頭』
マガジンハウス
本体1,500円
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『実録・外道の条件』
メディアファクトリー
本体1,400円
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―――一冊の本として読みますと小説なのかエッセイなのかひょっとして詩なのか、融合していると思いました。新聞連載時からの町田さんが撮った写真も入っていますし。
町田 よく連載中に足を骨折したんですか、夜逃げしたんですかと訊かれましたけどそんなことは実際にはありません。だいたいフィクションと考えていただいていいと思います。ただ、これは写真が入ってくるのでこれまでの作品とは違いますが。
―――一篇は写真を含めて3頁と短いですが、それこそ「町田節爆発」で読みやすいどころか今までの中編小説と同質の感興を得ました。朝日新聞からのオーダーは。
町田 写真は僕のアイデアだったと思います。よく、新聞連載って挿し絵がありますが、ああいう副えもの的なものではなく、文章に拮抗する、互いに影響しあうものをやってみたいと思い、写真を撮ってそれに関係する文章を書いてみようと考えたのです。
―――写真先行?
町田 もちろんそうです。
―――全部町田さんが撮ったんですよね。どういう写真を撮ろうとしたんですか。
町田 写真を作品として成立させるのではなくて視線のままを写真にしようと考えました。町を歩いていたり部屋の中にいたり、現実に触れたときに何かパッと目が行く物をすぐ撮る。こういう方がいいかなとか考えないで撮る。
―――なるほど。写真は面白かったですか。
町田 プリントを見ると何を撮ろうとしたのか分からず百回に一回しか最初に見たものが写ってなかったのが、だんだん十回に一回ぐらい…、そんなことないか三十回に一回ぐらいになりました。
―――写真からインスピレーションは湧きましたか。
町田 まず撮った写真を並べて、で何を選ぶかというと殆ど訳のわからない写真です。撮った時の状況を覚えてはいるのですが一度それを忘れて、いったい何だろうと発想を変えるとまったく別のものが自分の中に浮かんできてそれを書く。だから非常にフィクショナルだと思います。
―――町田さんは外へ出るのはあまり好きじゃないと書かれていた記憶がありますが、タイトルは『爆発道祖神』ですね。
町田 道祖神の招きによっていろんなところへ行って写真を撮っている。それらはおおむね三つに分けることができて、ひとつは写真が入り口になっているもの、写真を見てこれは何なんだろう、と考えて書くもの。もうひとつは写真が全体のトーンになっているもの。音楽でいうと調のようなものです。さらにもうひとつが写真がオチになっている、出口になっている。最後まで読んでも何のことだかわからないけど写真を見ると、あ、なるほどとわかるもの。
―――いや、実はそれを聞いてほっとしています。町田さんの作品を読む時に必ずしも理としてわかっている場合ばかりではないし…。
町田 でも全体的なトーンとしては明るいというかハッピーな傾向にあると思います。
―――終わり方がこれもまた町田さんの世界だと思いますが、最後の一行で読者が「あれ?」と感じたり、それはすごく詩的ですよね。
町田 三枚という制限があったので、着地の直前にもう一度どこかへジャンプしないと終われなかったりしました。
―――それは不本意ではなかったですか…。
町田 そこがむしろ面白かった部分です。
―――今回の作品でも感じたんですが、たとえば文字も正字をきっちり遣われている。
町田 こだわりというよりは言葉の居住まいというか言葉の挙措。ただ、あまりにも正確なだけだと読む方も、書く方も生理とあわないこともある。基本的にはリラックスした文章、楽な姿勢の文章にしようと思うんですけど、根本のところは着崩れていないようにきっちり綺麗にしておきたいのです。
―――町田さんの世代だとあまり遣わないような言い回し――妻のことを細君とか、それも今話されたことに繋がるんでしょうか。言葉へのこだわりという意味では。
町田 そうですね。古い言葉は過去に読んだ文学作品やそれだけじゃなく映画やマンガ…そういうものの言葉が自分の中に木霊のように出てくる。もう言葉が意味を離れて響きとして残ってしまうことはあると思う。
―――いわゆる「町田節」は自ずと出現しちゃうものなんですか。
町田 文体というのは変わらないものだと思います。それは自分の声のようなもので変えられない。文体にとってリズムっていうのは重要な要素だと思う。ただ、言葉の意味やその作品世界が要求するほかの要素が混ざり合ってできているのだと思います。僕は音楽の体験があるので文章はリズミックだとは思いますが、自分の魂とか精神の時々の動きに照応するように言葉を遣いたい。
―――普通だったら気にも留めないことがだんだん増幅して転がりだす――『爆発道祖神』でも例えば生命保険に入っていないがためにおちおち遊んでもいられなくなったりしますが、この面白さを作者の町田さんは意識して創作されているのか、町田さん自身が当事者になりきってしまうのか。
町田 その中間くらいだと思います。自分がその傾向にあるのと作品上でこうなったら面白いというのとどちらもあります。ただ『爆発道祖神』は写真から入っていますが、何に目が行くかというと、派手な広告とかきれいな商品とか…、というよりはその下のゴミや忘れ去られたようなものについ視線が向かいます。それは人間でも同じで「あなたはイケてない人間を書くことが多いですけど、そういうのが好きなんですか」って言われますが、「いや、そんな好きじゃないよ」というのはありますけど。どうしてもそういうところに目が行ってしまう傾向はあります。
―――そういう意味でも『爆発道祖神』は町田さんの作品らしい作品といっていいんじゃないですか。
町田 ことさらこの作品は、これまでの文章や世界の煮詰まった純度の高いものだと思います。いま5、6作品を並行してやっているんですが、まったく今までと違う企みのものもあるし、今までの作品性をより濃縮したものもあり、いろいろ出る予定です。ですから書くことに関しては僕は充実した感覚をいま持っています。
―――ファンというのは勝手なもので、町田さんが作家として芥川賞を取るまでになると、いや町田町蔵の頃がよかった、やっぱり『メシ喰うな』が最高だみたいな言い分をする人もいますがどう感じますか。
町田 ファンというのは書く時には意識してないんですけど、自分自身が変わったのかどうか、このあいだ16歳から36歳ぐらいまでのアルバムやライブでやっていた曲を全部歌詞集にまとめたんですが、驚いたのは16ぐらいから何も言ってることが変わっていませんでした。それは喜ぶべきことか悲しむべきことか、進歩してないのか、よくわかからないですけど、自分の作った作品をどう届けていくかという方法は変わっても、言ってることもやってることも基本的に何も変わっていないのだと思いました。
―――ということは今でもパンクなんですね。
町田 だと思います。
―――町田さんの作品に対して型破りだ、文学の新しい才能を発見した、というような騒ぎ方をされると、確かにそうなんですが、しゃら臭いことを言わなくていいじゃないかというのが読む側にはあるんですが。
町田 基本的に型破りをするには型を意識してなければいけないんですけども、音楽ではボーカルスタイルが特異であると言われたり、小説デビュー作の『くっすん大黒』でも破壊的であると言われたりもしましたが、ぶっ壊すといった意気込みはありませんでした。これははたして小説になっているのか?
とは思いましたが、それは僕だけではなくて初めて小説を書く人はみんな感じることで、それは普通のことだと思う。特に枠組みを破壊してやるなんていうのではなくて面倒くさくても自分の書こうと思った方法で書くということしかない。それは今でも同じですね。
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