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大沢 在昌
(おおさわ・ありまさ)
1956年愛知県生まれ。79年に『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞を受賞してデビュー。91年『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞を、94年『新宿鮫W
無間人形』で直木賞を、2004年『パンドラ・アイランド』で柴田錬三郎賞などを受賞。日本のエンターテインメント小説界の牽引車的存在である。主な著書に『亡命者
ザ・ジョーカー』、『ザ・ジョーカー』、『砂の狩人』上・下、『天使の爪』上・下、『闇先案内人』上・下などがある。 |
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『魔女の笑窪』
文藝春秋
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『帰ってきたアルバイト探偵』
講談社ノベルス
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『亡命者 ザ・ジョ−カ−』
講談社
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『ニッポン泥棒』
文藝春秋
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大島 第一章の初出が「オール讀物」の一九九八年十二月号ですから、『魔女の笑窪』は約七年前に構想された小説ということになりますね。
大沢 最初は読切りのつもりで書いたんです。それがヒロインの水原というキャラクターが女性編集者に評判がよくて、次を読みたいという声も多くいただいたものですから、ぽつぽつと続きを書いていった結果、単行本にたどり着いたという感じです。
大島 女性を主人公にした小説はいろいろと書かれていますが、「私」という一人称は初めてですね。
大沢 たまたま思いつきでやってみたんです。でも、書いていくうちに男の悪口を言える楽しさへとつながっていって、自虐的な快感が生まれてきました(笑)。これが三人称だったら、もっと抑制せざるをえなかったでしょうね。
大島 三人称で書くのと一人称で書くのとではやはり違いがありますか。
大沢 一人称で書いた方がキャラクターに踏み込むことができますから、主人公に開き直りが生まれてくるんです。今回の『魔女の笑窪』をもし三人称で書いていたら、もっと悲惨な小説になっていたと思います。
大島 『天使の牙』のアスカや『相続人TOMOKO』のトモコが非常に魅力的なヒロインだったのに対し、今回の主人公・水原は随分と暗い感じがします。でも、暗い人物設定だからこその魅力があって、キャラクターとして際立っているように感じました。
大沢 僕は水原がなんでこんな女になったのかということを、小説を書きながら考えてみました。それで、「笑窪のひとつを地獄に落とした」というのを書いたとき、その「地獄」って何なんだろうと思いながら、手探りで二、三、四話と書き進めていくうちに、水原の生きてきた世界が見えてきたんです。そういうふうにして水原というキャラクターはでき上がりました。
大島 ヒロインの水原は十四歳で地獄島という魔窟に売られて娼婦になります。二十代半ばに島を脱出し、二十八歳で整形手術を受け、裏世界のコンサルタント業を始めます。現在の年齢は三十代半ばぐらいでしょうか。
大沢 三十代後半ですね。一回目を書いたときは三十二、三歳のつもりだったんですが、書いているうちに物語的に齟齬をきたしてしまったので、単行本にするときに三十代後半に設定しなおしました。四十代でもいいんだけど、三十代のほうが色気があって書きやすいという考えもありました。でも、こんなにたくさんセックスをする女性の主人公というのは初めて書きましたよ(笑)。
大島 第一章では、いきなり精液の味の話が出てきますが、これはどのように取材をされたのですか。
大沢 小説の中で、口をゆすいでも歯の裏にこびりつくような精液のことを「キシキシ」と表現していますが、この話は実話です。何十人にひとりくらいいるという話を風俗嬢から聞いたことがあります。「鉄味」というのは僕の創作です。
大島 何千人という男を相手にしてきたから、水原には男を一瞬にして見抜く力があります。
大沢 これはファンタジーです。現実にはありえませんから。もちろん、地獄島で笑窪を落としたというのもファンタジーです(笑)。
大島 でも、水原が初対面の男を見て、性格やセックスの好みを見抜いていく描写はとても面白いです。
大沢 それがこの小説の核になるでしょうね。要するに「男はいかに単純な生き物か」ということを書いたわけで、これはすごく気持ちがよかった(笑)。女の目を借りながらも、男が男のことを書いているわけですから、的外れなことは書いていません。一番困ったのは、水原がジゴロと一晩を過ごすシーンです。彼女が認めるような一級のジゴロが、どんな喜びをいかにして提供するのか、それがわからなかった。女の目を通して男が提供する最高のセックスって、どんなものか想像ができないんですね。だからそのシーンはちょっとボカシてしまいました。
大島 女性の心理を書くのは難しいですか。
大沢 いろいろな女性がいて、根本的に男性が考える女性と、女性が考える女性は違うのかもしれません。ただ、書くときは自分が女頭になることが必要で、それは結構楽しかったりします。女性の生理的なことや性的な部分は何となくのイメージで書いているので、女性からすれば、違うと感じるところがあるかもしれません。だけど、僕自身としてはまだまだ書けるんじゃないかという気もしています。
大島 この小説は男性論、女性論にもなっています。鋭いアフォリズムがたくさん出てきます。例えば「男は理に負けたとき、折れる。だが女は折れない。理で女を折ることはできない。情だけが、女を折る」という台詞はいいですね。
大沢 最近、アフォリズムを書くことが少なかったので、自分の中に溜まっていたんです。そして、この小説が男女のアフォリズムを書ける場となりました。書けば書くほど主人公に存在感が増していくので楽しかったです。男の読者からは、「イタい!」という反応が多くありました(笑)。
大島 しかし、女性というのはやはり怖いですね。大沢さんの女性に対する怖さが、この小説を書かせたのではないかと思ってしまいます。
大沢 (笑)。確かに怖いとは思ってますけど、それは僕にとっては饅頭怖いの世界ですね。怖いと思いながらも、にじり寄っていって、やっぱりかとわかって唇を噛む。女がいなければ苦労もないわけですが、でも女からしか得られない喜びというのもあるわけで、それは表裏一体ですよね。安らぎも喜びも、当然その対価はあって、大きければ対価も比例して大きくなる。結婚だって同じです。だから無償の愛なんていうのは、まさにこれ以上高いものはないと思え、という気が僕はします。
大島 厳しい世界ですね。
大沢 性欲があるうちは…というか性欲が涸れても厳しい世界でしょうね。だって、性欲が涸れても女性とねんごろになりたいという気持ちはたぶん消えないでしょう。ねんごろになりたいという先には、体だけではなくて心も欲しいというようになって、そこに塗炭の苦しみが待っている。手に入れた瞬間から地獄の扉がうしろで閉じるみたいなところがあるわけです。そういうふうに思いつつも水原に罵倒させる自分の愚かさというのもこの小説では書いています。男女の話は、人生経験を積むとみんな書きたくなる。どう書くかは作家によるけど、気がついたら自分はこう書いていた、ということです。
大島 女性に絶望しているみたいに聞こえますが。
大沢 それが、してないから困るんだよ(笑)。ここまで女の怖さ、男のバカさを書いていて、でも俺はその通りバカなんだよという、そこにいってしまう自分が情けない(笑)。
大島 地獄島は、ある島がヒントになっていますね。
大沢 実際には大分さびれているようですね。もちろん、小説の中では別の場所に変えてあります。島抜けなんて現実的ではないけれど、水原がそういう過去を背負って生きている、という設定にしたかった。
大島 水原は最初は颯爽としていますが、だんだんと苦悩していきますね。
大沢 物語を続けていくと、当然、人間として深みを増していくわけで、そこには何かしらの弱みを持たさなければなりません。でも、水原の苦悩というものを書いたことで、キャラクターの表面だけでなく裏面も書けたように思います。
大島 これは大沢さんの新しいシリーズになるのではありませんか。
大沢 小説の最後では、地獄島を舞台にした物語が展開されていますから、一応完結はしています。ですから、次回作を書くとすれば別の展開になるでしょうね。僕の場合、シリーズ化される作品が多くありますが、何冊か書くと飽きてくるんですよ。同じ主人公を書くことが苦痛になってしまうんです。ですから、この『魔女の笑窪』をシリーズにするかどうかは、まだ自分の中では決まっていません。すごく売れれば書きますけど(笑)。
大島 女性の読者も楽しめる作品ですね。
大沢 そうですね。多くの女性に読んでいただいて、楽しんでもらえたら嬉しいですね。
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