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Interview インタビュー 『東京タワー』の江國香織さん
インタビュアー進藤奈央子(ライター)

えくに・かおり
1964年東京生まれ。目白短期大学卒業後、出版社勤務を経てアメリカへ留学。87年「草之丞の話」で毎日新聞社<小さな童話>大賞、89年「409ラドクリフ」で第1回フェミナ賞、90年『こうばしい日々』で産経児童出版賞、坪田譲治文学賞をそれぞれ受賞。91年刊行の『きらきらひかる』('92年紫式部文学賞)がベストセラーとなる。童話的作品から恋愛小説、エッセイまで幅広く執筆、清新な感性と瑞々しい文体による作品群は若い女性たちを中心に大きな支持を集めている。




『東京タワー』
マガジンハウス




『泳ぐのに、安全でも
適切でもありません』

集英社




『冷静と情熱のあいだ
Rosso』

角川書店




『江国香織
とっておき作品集』

マガジンハウス




『ぼくの小鳥ちゃん』
新潮社




『日のあたる白い壁』
白泉社




『泣く大人』
世界文化社




『恋するために生まれた』
幻冬舎




『いくつもの週末』
集英社




『ホテルカクタス』
ビリケン出版




『ウエハースの椅子』
角川春樹事務所




『すみれの花の砂糖づけ
江国香織詩集』

理論社




『流しのしたの骨』
新潮社




『ホリー・ガーデン』
新潮社









進藤 江國さんの小説は『きらきらひかる』の頃から興味を持って読ませていただいていまして、特にお気に入りは『神様のボート』なんですが、やはり恋愛がテーマとなっている作品が多いですよね。今回の作品も含めて良い意味でとても親しみやすいし、ここがわからないというような意味での質問は私にはなくて、共感できたり、できなくても、できないなりに「わかるなあ」という感じがします。新刊の『東京タワー』は男性二人が主人公という形をとられていますが、これまでにはないパターンですよね?
江國 そうですね、ないですね。男性を書くことに何か苦手意識があったんですね。最近少し薄れたというか、少し前に『ホテル・カクタス』って小説を出しましたけど、主人公が帽子とキュウリと数字の2なんです。それは全て性別が「男」なので、ちょっと書けるようになったのかもしれません。そもそも私は女の人を書くのが好きなんです。『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』では九人の女の人を描きましたけど、そういった女性たちを男性の視点で書いてみたかったのもあります。恋愛小説を書けば当然男の人も出てくるわけですが、あまりうまく書けなくて、それはおかしいぞという思いもありまして(笑)。
進藤 本のあとがきにもありますように、この小説を書くにあたって五人の男性へのアンケートをなさったとか。
江國 それはとても助けになりました。小さいことがいつも私の小説の中では重要で、細かいことが見えてないと書けないんです。何を食べているか、どんな部屋に住んでいて、どんな本を読んでいるか、あるいは全然読まないのか。そういうところで、特に若い男の人にアンケートをとりました。電車の中で若い男の人の会話を盗み聞きしたり(笑)、でもあまり電車での収穫はなかったですけど。
進藤 私は実際に大学生の男の子のことはよく知らないので想像でしかないのですが、お話の中の男の子たちは「実際に居そうなタイプ」というよりは、どちらかというとあまり居ないタイプと感じました。女性から見て好ましい存在というか、男性から見ると「こういうやつはいない」って言われそうな。
江國 そうかな。女性を描く場合でも、実際に例えば『東京タワー』の喜美子さんや詩史さんのように、高校生や大学生の男の子とつき合っている既婚女性が友達にいたりはしませんし、ましてやお店を持っていてお金にも余裕があるような人を具体的に知っているわけではないんです。でも、自分の中にも喜美子的なものや詩史的なものがあるのでは、と思うし、読んだ人がそう思ってくれるのではと考えています。『神様のボート』が良い例で、あんなふうに会えない人を十何年も捜して放浪するような知り合いはいないです。その意味ではこういう女を見たことがあるという人はいないでしょうが、でもこういう女はきっといる、自分にそうなる可能性があるかもしれない、多くの人はそう思ってくれるのではと考えています。
 このお話の透くんと耕二くん同様に思うんです。実際の大学生にこういう人がたくさんいるというような、集約された典型的な人ではなく、むしろ拡散する典型というか、いろんな人がちょっとずつどこかに共鳴できる部分がある、それも典型的な男の子と呼んでもいいんじゃないか、そんな気持ちで描きました。
進藤 私は最初若い男の子と恋愛した経験もないせいか(苦笑)、誰に感情移入して読めばいいかわからないまま読み進んでいったのです。でも、恋愛の状況が抜き差しならないような、想像したこともないような恋愛の設定ですよね。最初は入り込めないかも、と思っていた部分が気にならなくなってきて、どんどんのめり込んでいく、そういう読書体験をしました。電車が止まってしまって二人が帰れなくなってしまい、ひょっとしてみたいな状況は手に取るようにわかるというか、こういうことあるって(笑)。男性が同じように思うのかどうかはわかりませんけど。
江國 ああいう場面では、私は女性だけどどちらかというと透側の気持ちになっちゃいますね。だから性別の問題だけでもないのかもしれないですね。誰かを好きになって、自由に思うままということはあまりないわけですから。男の人でも女の人でも、泊まれると思っても泊まれなかったり、結婚できたり結婚できなかったり、好きだと思っていても相手も同じように好きだとは限らないし、そういう小さい不安や見えない感じはみんなにあるのでは、と思います。
進藤 アンケートを取られた以外、特に男の人に確認したようなことはないのですか。
江國 ええ、ないですね。
進藤 恋愛とか性愛に関してなんですけど、かなり前のインタビュー集(『性愛を描く』ビレッジセンター出版局)からの断片的な引用で恐縮ですが、刹那的に書きたいとか、唯一無二と思って書きたい、それとご自身は性愛を女の視点からしか書けないし女の視点でこそ書けると語られていましたよね。
江國 そうですね、女性しか書けないと思っていた頃でも、女性同士の恋愛を書いたことはないので、常に男性がその場にいる話になるわけですから、気の持ちようと言うか(苦笑)、両方いるというのが大事で、著者がどちらに肩入れして書くかという違いだけのようなところもありますね。
進藤 今回は今までとは違って性愛描写は多いですよね。
江國 多いですね。話の流れでもあるし、書きたかったというのもあるし、半々ですね。前から「セックス」という言葉を言い換えるのが気恥ずかしくて、例えば「愛の営み」とか「愛を交わす」とかじゃなくて(笑)、そういうふうに言い換えるからよけい恥ずかしくなる、ちゃんとストレートに書きたいと思っていました。それでちょうど耕二くんと喜美子さんがああいう感じだったので、たくさん書きました。
進藤 あとがきでも「あらまあ、と思っていただければ嬉しいです」と書かれてらしたので、私がどこらへんで思ったかというとその場面なんですが、それでよかったのかなと(笑)。
江國 私「あらまあ」って好きなんですよ(笑)。小説に限らず恋をする人は、他人から見ると「あらまあ」ということをしますよね。順風満帆に恋をして結婚した人だって「結婚までしちゃったか、あらまあ」と(笑)。好きで好きで仕方ない状態、そういうたくさんの「あらまあ」が世の中にあると思うんですけど好ましいじゃないですか。
進藤 耕二くんが高校生の時のエピソードもなかなかすごいですよね(笑)。あの設定も初めから決めておられたのですか?
江國 すごいですよね(笑)。設定だけは最初からありましたけど、そのあとどうなっていくのかまでは決めていませんでした。
進藤 いつもタイトルと出だしの一行は最初にすごく考えられるそうですね。
江國 そうですね、タイトルは早かったですね。東京タワーの上で決めたんです。これを書く直前、三年くらい前にはじめて登ったんですけど、私、方向音痴で、例えば新宿というと、自分の中には一枚の新宿の絵のように風景があるんです。渋谷だったら渋谷、銀座だったら銀座と一枚だけ地図がある感じなんですが、それらの相互関係はわからないんですよ(笑)。
進藤 なんとなくわかります(笑)。
江國 それが東京タワーの上からだと、今までバラバラだったはずのものが、あっちが新宿で、こっちが渋谷とつながって見える(笑)。私は生まれが東京ですから、生まれてから私のしてきたことっていうのがだいたいここに収まっている。それらが一望できる気がして、大げさですけど、とっても感動したんです。わたしの人生のほぼ全部の瞬間がこの中だったんだって。それで小説のタイトルを決めたんです。
進藤 それは感動的なエピソードですね。ところで江國さんの小説は文芸誌よりもファッション誌とか女性誌に連載されているし、おしゃれな小道具も多いですから、普段本を読まない方も読まれるのかなと思ったりもするんですが、そういう雑誌を意識して書かれるんですか?
江國 媒体とか読者層を意識して書くことはないです。おしゃれなものを書くのが好きというよりは、その人の周りの状況を書くのが好きです。食べているものとかどういうものを着ているかとか、逆に言うとそういうところからしかその人は見えてこない気がするんです。朝、なにを食べるのか、コーヒーを飲むのか、紅茶を飲むのか、朝はしっかり食べるのかそうでないのか。そういうことを知ると「その人のことを、一部だけど知っている」「そのことは信じられる」という感じになるんです。
 「やさしそうな」とか「頭のいい」とか「運動神経のよさそうな」という印象だけではあてにならないしどうも今ひとつ読者を説得できないように思えるんです。それで小道具が好きなんですね、きっと。
進藤 「物語」づくりについて話された中で(『彼女たちは小説を書く』後藤繁雄 メタローグ)、話の構想を練っているときと違って、書いているときはあたかも話を知らずに物語の現場に送り込まれたレポーターのように書くのだとおっしゃられていて、これがまさに江國さんの小説のもつパワーというか、非常にすごいなあと思った箇所なんです。
江國 ありがとうございます。そうですね、世の中には、作者が意図を持って全体を眺めつつ書いたであろうと思われる小説もあるんですけど、私の場合だんだん子供が見ているような「あら、あんなことしているよ」みたいな感じで書いていますよね。著者のもくろみはゼロではないんですけど、書いている作業の間はそれがなくなってしまう。それはほんと不思議なくらいにそうなりますね。
進藤 私はこういうタイプの話がすごく好きで、その場でなにかが起こっている話のほうが好きですね。
江國 リアリティという点からするとそうでしょうね。
進藤 特に恋愛小説はこういうタイプじゃないと面白くないでしょうねえ。
 あとたぶん最後まで読んだ人が気になるのは、この話の続きだと思うんですけど、その辺に関してはどうでしょうか。そこからは作者の手を離れたような感じでしょうか、それとも余韻をもたせた感じにというところでしょうか。
江國 どっちでしょうね。小説が終わったときに全部わかっちゃうのは不自然ですし、小説の中だけで完結したくないというか、まだ彼らはどこかでなにかをやっているはずだと思ってもらいたいところはありますね。
進藤 そうですね。ほんとうにそういう感じがします。今日は本当にどうも有り難うございました。
(2001年12月18日取材)

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