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藤原 伊織(ふじわら・いおり)
1948年大阪府生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業後、電通に入社。85年に『ダックスフントのワープ』ですばる文学賞を受賞し作家デビュー。95年に上梓した『テロリストのパラソル』では、江戸川乱歩賞と直木賞を史上初めてダブル受賞した。2002年10月、電通を退社。主な著書に『テロリストのパラソル』、『蚊トンボ白鬚の冒険』上・下
、『てのひらの闇』、『雪が降る』、『ダックスフントのワープ』、『ひまわりの祝祭』がある。 |
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『シリウスの道』
文藝春秋
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『テロリストのパラソル』
講談社文庫
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『ひまわりの祝祭』
講談社文庫
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『蚊トンボ白鬚の冒険』上
講談社文庫
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『蚊トンボ白鬚の冒険』下
講談社文庫
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大島 藤原さんが広告代理店を小説の舞台にするのは初めてですね。
藤原 はい。会社を辞めてフリーハンドになりましたから、小説として書くことができました。
大島 藤原さんは二〇〇二年の十月に電通を退社されています。
藤原 勤めている間は、仁義がありますから書かなかったわけです。会社をやめた後は、小説以外で生きていけないかと考えて一年くらい株を試してみたんですけど、やっぱり無理でしたね。
大島 今回の小説は「週刊文春」の連載で、第一回の掲載が二〇〇三年の十一月六日号ですから、会社を辞めてほぼ一年後ということになります。
藤原 実は、今回の連載に関しては取材する時間がまったくなかったんです。それで取材する必要のない広告代理店を舞台にした、というのが実状なんです。取材は登場人物の子供時代の場所や様子を確認するために、大阪へ日帰りで一度行っただけです。
大島 タイトルにある「シリウス」はどういう経緯で思いつかれたのですか。
藤原 連載が始まる前に、とにかくタイトルだけは決めなければなりませんでした。それで、星の名前で何かないかと探していて、インターネットでシリウスを調べたんですが、その説明を読んだら驚きましたね。
大島 いちばん明るい星で連星になっているとは知りませんでした。
藤原 名前だけは有名ですけど、その特徴はほとんど知られていない。これを人間関係にアナロジーすると面白いかな、と思ったわけです。
大島 十三歳の辰村祐介と浜井勝哉という少年に、明子という少女がからんで、ある秘密を持ったまま離れ離れになります。そして二十五年後、辰村は広告代理店に勤めているわけですが、職場描写のリアリティはすごいですね。
藤原 僕が働いていた部署というのが、自分たちで全てをやらなければならない特殊な営業部だったので、広告代理店の全体を見ることができたんですね。それが、小説にいかされているのだと思います。
大島 登場人物にモデルはいるのです。
藤原 いません。自分の経験は多少入れていますが、すべて創造です。ただ、人物を絶対にパターン化しないということを自分に課しています。例えば、政治家の息子がコネで中途入社してきますが、従来のパターンだと、こういう奴は親父の威光をかさにきたダメな奴が多い。でも、僕はそのパターンを引っくり返してみました。
大島 魅力的な女性上司が登場しますが、その容姿については触れていませんね。
藤原 僕は登場人物の容姿の描写をやらないタイプなんです。主人公の辰村についても、まったく書いていません。読者にこういう外見じゃないかと想像してもらうほうが、感情移入しやすいんじゃないかと思うんですね。
大島 業界用語がたくさん出てきますが、その説明の仕方がうまいですね。素人に近い派遣社員が質問して、それに答える形になっています。
藤原 地の文で説明するというのは不自然だし、小説のスピード感が落ちてしまいます。だから素人を登場させて、読者がわかりやすいように、自然な会話の流れの中で説明するという方法にしたわけです。
大島 広告代理店というのは、外から見ると派手な業界に思われがちですが、実際には、かなり過酷で地味な世界ですね。
藤原 ものすごく地味ですよ。CM撮影などに立ち会えば、芸能人に会えるというケースもありますが、基本的には地味な仕事なんです。
大島 この小説では、早い段階で懐かしい名前に遭遇します。新宿の厚生年金会館近くの「吾兵衛」というバー、そして浅井という人物。これは『テロリストのパラソル』とつながっていることがわかります。最初からこういう流れにする予定だったのでしょうか。
藤原 はい。主人公は普通のサラリーマンですから、裏の世界を書くとなると困るんじゃないかと考えていました。『テロリストのパラソル』の浅井を登場させておけば、活躍する場面がきっとあるのではないかという、一種の予防的な部分もありました。
大島 『テロリストのパラソル』は一九九三年が舞台で、主人公の島村と浅井が逮捕されるところで終わっています。『シリウスの道』は二〇〇二年の話で、島村は三年前に死んだと書かれていますが、どういう理由で死んだのかは書かれていません。
藤原 島村は酒で体がボロボロになっていましたから、病死と予想する読者は多いでしょうね。だけど、どんなふうに死んだかは、これから書かなくちゃいけないと思っています。とはいえ、今後の執筆予定はつまっていますから難しいかもしれませんが。
大島 島村の最期はぜひ読みたいです。そういう面でも、今回の作品は『テロリストのパラソル』を読むことで、その奥行の深さを楽しむことができます。
藤原 確かにそうですね。僕の場合、固定読者の方が多いようなので、かなりの読者が『テロリストのパラソル』を読んでくれているのではないでしょうか。
大島 『シリウスの道』では、二十五年前の秘密をネタに脅迫状めいたものが届きます。辰村はその犯人を依頼されて捜すわけですが、藤原さんの他の小説の主人公とは違って、喧嘩はあまり強くないですね。
藤原 サラリーマンですからね。社内の人間を殴ったり、呼び込みの男を殴ったりするような素人レベルでの喧嘩は強いんですけど、やっぱり裏の世界のプロにはかなわない。ですから、浅井の力が必要になってくるわけです。
大島 でも、怯まないで、どんどん突っ込んでいく。藤原さんの小説の主人公に共通するものとして、男の矜持というか、誇りみたいなものを感じます。
藤原 それは僕の経験が反映しているんだと思います。広告代理店というのは三六〇度スポンサーばかりです。理不尽なことを言われても喧嘩なんてできないわけです。屈辱的な経験を何度もしてきて、それに耐えてきたことが小説の主人公の生き方に出ているんじゃないかと思います。
大島 ところで、『ひまわりの祝祭』ではゴッホが扱われていますし、本作でも絵が重要な役割を果たしています。絵画の趣味をお持ちですか。
藤原 実は、高校一年のときに美術コンクールで一等をとったことがあるんです。
僕の高校の美術部というのは、レベルが高くて全国的に有名だったんですよ。でも、二年のときに喧嘩してやめちゃったんですけどね(笑)。
大島 その後は画いてないんですか。
藤原 もうやめてしまいました。才能もないものですから。今では、たまに上野の美術館に行くぐらいです。
大島 短歌や俳句もよく出てきますね。
藤原 短歌や俳句の世界というのは、歌を読む人とつくる人は同じでしょう。でも僕は珍しいことに、読むだけなんです。自分でつくることはないですね。
大島 もうひとつお聞きしたいのですが、藤原さんの小説にはセックス描写がありませんね。
藤原 苦手です。照れくさいですよ(笑)。
大島 でも、官能的な会話は盛り込まれていますね。『シリウスの道』では、辰村が酔って美人上司の膝枕で眠ってしまうシーンがありますが、それ以後、彼女との関係に進展は見られません。
藤原 どうせ書くなら、官能小説そのものを書いてみたいとは思っているんですが、普段の小説にそういうシーンを入れようとは考えていませんね。
大島 最後になりますが、「オール讀物」六月号に「がん発症始末」を寄稿されてて、食道がんであることを告白しています。これはどういう経緯だったのですか。
藤原 狭い業界ですから、噂はすぐに流れてしまいますよね。だからその前に、自分で書いたものではっきりさせておきたかった、というのがひとつ。もうひとつは、連載を休載しましたから読者に対する説明責任があると考えたんです。だけど反響が予想外で、ワイドショーやスポーツ新聞、一般紙にまで出てしまって、ちょっと驚きましたね(笑)。
大島 その後、具合はいかがですか。
藤原 おかげさまで、今は好調ですよ。
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