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『終戦のローレライ』の福井晴敏さん
インタビュアー 「新刊ニュース」 編集部

福井晴敏(ふくい・はるとし)
1968年東京都生まれ。千葉商科大学中退。97年警備会社に勤務する傍ら初めて応募した作品『川の深さは』が、江戸川乱歩賞選考会で大きな話題となる。翌年『TwelveY.O.』で第44回江戸川乱歩賞を受賞。2000年『亡国のイージス』で日本推理作家協会賞、日本冒険小説作家賞、大藪春彦賞をトリプル受賞した。他の著書に『月に繭 地には果実』がある。




『終戦のローレライ』上
講談社



『終戦のローレライ』下
講談社



『亡国のイージス』上
講談社文庫



『亡国のイージス』下
講談社文庫



『月に繭地には果実』上
幻冬舎文庫



『月に繭地には果実』中
幻冬舎文庫



『月に繭地には果実』下
幻冬舎文庫



『TwelveY.O.』
講談社文庫

−− 上下巻で二段組み、聞くところによると原稿用紙二八〇〇枚の大作です。
福井 『終戦のローレライ』は、映画化を前提として企画がスタートしています。拙著『亡国のイージス』の映画化の話があったんですが、現代日本を舞台にした軍事アクションというのは政治的配慮やら難しいんですね。それで時代設定を第二次大戦にした話を作れないか、という提案がなされた。最初は大戦前後を描くことに抵抗しまして、今は意識的にでも前を見据えなければいけない時代だと思ってるし、過去を描くことに意味があるとは思えなかった。でも、終戦前後の状況を描くことで現代を逆照射できるんじゃないか、さまざまな価値観を持った人間たちのドラマならきっと現代人の問題が否応なく浮き出るだろうと考えたんです。
−− 「ローレライ」と呼ばれる戦局を転換するような超兵器≠搭載した Uボート「UF4」は数奇な運命を辿って日本海軍の潜水艦「伊507」となり、艦長以下の乗員がさまざまな意思と思惑と感情を詰め込んで戦っていきます。
福井 設定が潜水艦というのは映画側の要請だったのですが、旧来の潜水艦ものにあった地味な印象をどう覆すか、苦労したところではあります。
−− 今までの『TwelveY.O.』『亡国のイージス』は現代が舞台ですから、闊達に福井さんが書ける素地があった。でも今回は歴史として沈殿されている、史実がありますよね。
福井 とにかく勝手が違いましたね。たとえば当時の言葉がどれくらい英語を使っていたのか、「タイミング」という言葉を使いたいところがあっても、これはダメでしょ。「時機」かなあ…、みたいな。それになんといっても劇空間に描いたキャラクターの思考回路を、当時の人間がほんとうに持ち得たのかが最初は気になりました。
−− 太平洋戦争は文学作品から戦争体験者の記録まで多様に描かれていて、それと違った作品を書くにはどうすればいいか、悩まれたんじゃありませんか。そもそも一九六八年生まれの福井さんがあの戦争を描くことをどう位置づけられましたか。
福井 まずエンターテインメント作品といえども迂闊に自分の世代が手をつけていい題材ではないという大前提があります。それは生き証人がまだいらっしゃる時代の話ですから。だから序章、第一章の頃は書き直しに書き直しを重ねて、吹っ切れたのはその後からですね、時代を描くことによる自分の位置づけよりも作品を一本の劇空間として成立させることに全力を尽くそう−−−だから大戦もの文学≠ニいうカテゴリがあるかもしれませんが、どういう作品があるのか詳しくないし、『ローレライ』はそこに付け加わるものではないだろうとも思います。
−− 南方の最前線の飢餓状態でのカニバリズム、ナチスの優性主義に基づく人体実験のようなアンタッチャブルとは言わないまでも書くとしんどいことにも踏み込んでますが。
福井 あの時代を書くことで現代を照射するのであればその辺を遠慮してたらできません。
自分も含めて若い世代に大戦もの≠ノ拒否反応があったのは、それを外して懐古的な自己正当をしたり、ひたすらあの時代はひどかったという厭戦、反戦を語るものが多すぎたからではないでしょうか。反対して戦争がなくなるなら苦労はないのだから、なぜ起きてしまうのかをきっちりと見据える必要がある。これには争いを続け、激化させてしまう人間の心性を正面から描かなければ検証できません。これは反戦ではなく、戦争抑止の努力をすることですが、執筆中に9・11テロがあったりして、本作で描こうとした問題がより、現実味を増したという感触があります。たかが小説でも、公共に発信されるわけですから、現実との関係性は重要だと思っています。
−− 過酷な戦いを描く福井作品にはどれも「死ぬな、生きろ」という基底音を感じます。この作品でも若い主人公の折笠征人は生き抜きますね。成長とともに生きる。
福井 それは意識してではないんです。じっさい死んだ方が楽という状況はありますよね。今の日本だって厳しい、でも生きることが苦痛であるとクローズアップされ過ぎじゃないか、それが現代人を無意味に萎縮させてるんじゃないかって感じるところがあります。そうでなければ、地に足のついていない享楽思考でしょう? 生きることのしんどさを十分認識して、なお生きていくとはどういうことか…、これは執筆中に絶えず考えていることなんです。
−− 第二次大戦をそのままの形で描くことは興味が湧かないとおっしゃるのは、いわゆる皇国史観や自虐史観といった史観に縛られる不自由さを感じるから?
福井 そのいずれにも与しないというより、興味が持てないというのが本音です。第二次大戦が日本人に教えたのは、近代戦争のありようです。闘争本能と技術を結託させたがゆえに簡単に大量に人を殺せるようになってしまった。このことがもたらした人心の深いところでのこわれ方を汲み取らなければ戦争抑止論なんて考えられない。どうも日本人はそれを手に入れられないまま、その後の冷戦や現在の民族紛争、あるいは宗教テロを見続けさせられている節がある。ただ、近代戦争のありようを論文調で書いてもしようがないわけで、いかに読み物に結実させるかですよね、それができれば大戦もの≠今書くことにも意義が出てくる。
−− 抜群の世界観、戦争観を持ち、死線を越えてきた指揮官・浅倉と現場の長としてそれに否を突きつける絹見艦長。いずれの言動も身に沁みるし、腑に落ちる。こういう人間の言動の交錯が福井作品の魅力です。
福井 浅倉の言ってることは一見正しい。「恐怖に対抗するには自分が恐怖にならなければならない」という意味の言葉が繰り返されますが、それは効率論であり力の論理です。まさにいまのアメリカのテロという恐怖に対抗するために、自分たちが軍事力という恐怖を前面に押し立てないとやっていけない姿とダブる。彼は日本の価値観のもろさ、純粋さを愛するがゆえに一度血を流さなければならない、ご破算にしなければならないと思いつめてしまう。一方の絹見は人間はそう四角四面に割り切れないし、少なくとも一方的な論理で人命を容赦なく奪ってしまうような考えには断固異議を突きつける。
−− 浅倉の思考は憂国論ですよね。こういう作品を書いていると福井さんのことを右翼呼ばわりされることはないでしょうけど、マッチョ思想だと誤解されませんか。
福井 なきにしもあらず、です。ただ読解能力のある人が読めば、それが右であれ、左であれ、主義者の方には居心地の悪い話になっているはずです。その辺は、若い読者の方が正確に読み解いてくれているようですね。
−− 戦争の痛みを全身で受け止めてしまう「ローレライ」という存在がこの作品のミソかもしれません。
福井 近代戦争の何が恐ろしいかといえば、その痛みが見えないこと。原子爆弾がまさにそれです。人が人を殺したという実感…、刃物で刺せば相手の肉体の拒否反応が、人の命を絶ったという感触が刻まれる。それがないままに十万単位で人が殺せる時代が、あの時から始まってしまった。おっしゃったように「ローレライ」という戦争の痛みをまるごと受け止めてしまう存在を通して、当時の死ぬことを前提とした男たちが、いかに自分たちが異常な世界にいるかということを見直していく。だから旧来の左右対立のような視線では収まらない話になりました。
−− 話は変わりますが、この作品はフィクションとノンフィクションが絶妙に絡んでいますが、どのように創作するんですか。
福井 不思議なもので、まず歴史の事実ありき、じゃないんですね。ストーリーを組み立てる、プロットを作る段階でああでもないこうでもないって考えていると、後で文献と首っ引きにした時になぜか合致するんです。
−−  歴史の必然ということなんでしょうか。
福井 うーん、嗅覚的なものもあるでしょうね。これはないだろうと思いつつも書き込んでしまうと、果たして歴史の中では機能しなかったりします。
−− 「ローレライ」の設定は最初からですか。
福井 太平洋戦争もののパッケージをいかになめらかに読んでもらおうかと考えた結果です。どうせ嘘をつくならものすごい嘘をついてやろうと覚悟してやったのですが、意外と拒絶反応なく機能してくれました。これも後で調べるとナチス・ドイツではローレライと無縁ではないことを研究していたとわかって、内心ほっとしました。
−− いわゆる戦争シュミレーション小説をどう思われますか、福井さんの作品とは似て非なるものですが…。
福井 架空戦記ものですよね。参考用に数冊読みましたけど、やはり興味が持てなかったというのが正直なところです。基本的に兵器のスペック論にしか興味がないし、その兵器が登場したことで人間の心性がどう変わったか、どんな心境で操ったのかまで踏み込んでいない。自分も男の本性としてメカは好きですが、関わった人間のドラマが描かれていなければのれません。
−− なるほど。読者としてはあくまでも冒険小説、エンターテインメント作品という視点を堅持されているところが頼もしくもあるんです。
福井 それが大前提です。そのうえでテレビやゲームとは違って読み解くという能動的作業を要求するのが読書の醍醐味ですよね。錯覚でもいいから「読んで世界が変わって見えた、少し元気になれた」と思えるような作品を書いていきたいですね。
(11月22日 東京・一ツ橋にて収録)

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