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Interview インタビュー 『忿翁』の古井 由吉さん
インタビュアー 鈴木 健次(大正大学教授)

ふるい・よしきち
1937年東京生まれ。東大大学院独文科修了。金沢大、立大でドイツ語を教える。68年『木曜日に』を同人誌に発表、70年から本格的作家活動に入る。71年『沓子』で芥川賞を受賞。"内向の世代"の代表的作家と見なされたが、生の深層に分け入る重層的作品は現代文学の到達点を示すものである。『栖』、『山躁賦』、『槿』(谷崎潤一郎賞)、『中山坂』(川端康成賞)『楽天記』、『聖耳』等著書多数。競馬ファンとしても有名。




『忿翁』
新潮社



『聖耳』
講談社



『杳子・妻隠』
新潮社



『白髪の唄』
新潮社

鈴木 最近は、ご健康の状態は・・・・・・。
古井 おかげさまで、まずまずです。仕事が終わって端境期になると、楽なような楽じゃないような・・・・・・。仕事の最中はこんなに体に悪いことはないと思って早く終わってくれって、そればかり考えているのに、いざ終わると勝手が違ってね、小説を書いているのが体に一番楽なのかなと思ったり(笑)。
鈴木 概して画家とか彫刻家のほうが、体を動かすせいか、小説家よりも健康な方が多いような気がします。
古井 そうですね。小説家も手は使うけれど、その手の使い方がよろしくないんでしょう(笑)。とくに私なんか、筆を強く握りしめて引っ掻くようにして書くもので、よくないでしょうね。
鈴木 ところで『忿翁』ですが、これは連作短篇ですか、それとも独立した十二の短篇ですか。
古井 連作のつもりです。ただ一回ごとに始末をつけるようにしました。それでも連作という意識があると、全体を最初から見ているわけではないけれど一種の流れが出てくる。一回ごとの短篇になると余りにもまとめよう、まとめようとしてしまうもので。
鈴木 例えば『楽天記』の場合は連載ですが、一人の主人公がいて、主人公の家族、友人と登場人物が限られて繰り返し出てくる。一つ一つはまとまっていますけれども長篇ですね。
古井 いつごろからか、主人公とか関係人物を固定させるというのを不自由に感じましてね、今度はそのことに関しては一回ごとに清算するようにしました。
鈴木 娘さんが二人いて、公園の近くのマンションに住んでいてと、どこか古井さんを思わせる人が出てきますが、その人が主人公かと思うと次の作品ではそうでなくなったり、その辺が自在ですね。意図的な試みですか。
古井 そうです。連作短篇は『夜明けの家』、『聖耳』とやってきて、今度が三度目です。繰り返すと反復硬直に陥ることになるので、何かもうちょっと書いていて筆が伸びる楽な書き方をしてみたかった。年をとってくると、作家はフィクションが余り好きではなくなる。かといって一方では、あんまり生々しい私小説も書きたくない。「私」というのを一応軸にしながら、もうちょっと自在に「私」が第三者にもなるし、というようなやり方はないものか。「私」が枠でもいいんですが、「私」とすると表現が厳しくなっちゃう。切り詰めてしまうんです。自分と直に照らし合わせるから、こういうことは書けないということになる。第三者を主人公に出すとフィクションですから、かなり自在になるし、自分離れもできる。『忿翁』では、それを交互に織り交ぜていったわけです。
鈴木 冒頭の作品「八人目の老人」はボードレールの詩に触発された・・・。
古井 そうなんです。昔から怖い詩とは思っていたけれど、この年になってようやく老人を見る方から見られるほうになってきたという感慨があってね。
鈴木 ネルヴァルに「十三人目はまた最初の女だ」という詩がありますけれど、ボードレールはパリの裏路地で出会った老人が七人までみな同じ老人だった。
古井 八人目は怖くて見られない。そんなものを見たら気が狂ってしまう。
鈴木 ネルヴァルは本当に気が狂って、結局パリの袋小路で首吊りしちゃいます。
古井 街灯にひもをかけるんでしたね。マラルメはネルヴァルのことを最後に引いた非常に諧謔的な詩を書いています。この野郎と口の中でつぶやきながら、街灯のもとにお走りになったって。
鈴木 ボードレールの詩はコレスポンダンスだと言われますが、古井さんの作品も、意識的かどうかわかりませんが、コレスポンダンスの世界ですね。
古井 日本人は象徴主義が得意なんですよ。だから、古い『八代集』なんかにも象徴的な詩が出てくる。むしろ、日本人で外国文学をおやりになる方は、現実的な意味があるものまで、必要以上に見事に象徴的な意味に受け取ってしまうということがあるそうです。
鈴木 四作目の「巫女さん」というのは、大学祭で上演が予定されていた演劇の巫女さん役の人が急に来られなくなって、たまたま居合わせた女子学生が急遽代役で巫女を演じる話ですが、その女性は結婚してから一度だけ、ちょっと神がかり的な状態になる。そのあとで夫が自殺しちゃうんでしたかね。
古井 いや、心臓発作を起こす。
鈴木 古井さんが巫女さんなど、土俗的、民俗的なものに関心を深めていらっしゃると感じました。
古井 『聖』とか『山躁賦』とか、ずっと持続的にそういうものを追いかけています。「巫女さん」は今回、ちょっとした縁で長女が三十半ばにしてようやく結婚することになって、さるお宮さんで式を挙げたら、学生アルバイトでしょうか、若い巫女さんが舞った。それを見ているうちに何となく一篇のストーリーができたんです。ああいうことは女性、とくに二十歳ぐらいの女性じゃなきゃできないことですね。芝居心があったり、文学づいたりした人にもできない。
鈴木 古井さんはドイツ文学の専門家だったわけだし、戦争中に茨城でしたか、疎開で東京を離れた期間をのぞけば都会育ちでしょう。土俗的なものとは遠い世界だったんじゃないですか。
古井 そうなんです。まあ、都会育ちですよね。けれども都市化がはなはだしくなりますでしょう。とくにオリンピックを境にして東京はがらっと変わって人工都市になっていく。それを見ていて、何かが切り離されていくと感じるようになりました。そこから逆に土俗的なものを求めるようになった。とくに肉親なんかに死なれると、土俗とはいわなくとも、土から切り離された暮らしは、何かを補っていかないととても生きていけない。
鈴木 今度の作品は、一つ一つの短篇に出てくる登場人物は同じではないけれども、死をめぐる人生のさまざまな情景が重なって、それが古井さん独特の文章で文学化されている。死の影を宿している人が寄ったり散ったりしていく作品ですね。
古井 老齢といわれる私たち世代も、経済成長の時代を主に生きています。経済成長というのはいつも新規、新規といっていたんですね。だからどこかで本当に人生の矛盾に腰を構えるということがなかった。おおむね一人になる期間もなかった。それが老齢期に入って、そういう活動から急に取り残されてしまう。これは深刻な問題ですよね。このすぐ近くに馬事公苑という公園があって、毎日午前中に一時間ぐらい散歩するんですが、この三年ぐらいかな、めっきり多くなったんです、見ていてこっちが苦しくなるような、時間の過ごし方をまるで知らない人が。今まで集団的に生きてきて、押せ押せで前へ前へ進んできた。その必要がなくなると、時間の持ち方がうまくできない。むやみやたらにくつろいだふうに見せたり、やたらに足を急がせたりね。遊びとか暇つぶしでやっているつもりでも、いつの間にか仕事みたいな忙しさが出てくるんです(笑)。
鈴木 三十年以上サラリーマンをやった私は共感するところが多かったのですが、その一方で、登場人物はいろいろだけれど、語り口は社会人というより、やはりじっと自己を見つめ続けてきた人の語り口で、読み終わると、結局壮大な古井さんのモノローグではないかとも感じました。
古井 生々しき社会人として生きてきた人にも、必ずそういう部分はあるんですね。定年後の人を見ていて感じるのは、つい去年あたりまで仕事に頭をとられて生きてきたつもりだったけれど、やめてしばらくたってみると、自分は本当にああいうことをやっていたかなと思えてくる。何だか学生時代からひょいと今がつながってしまったというような、そんな感じの方もおられるんですよ。そして後から振り返ると、仕事のことでなく、今までそんなに大事なことじゃないと気にもとめなかったことばっかりが思い出される。
鈴木 古井さんは「内向の世代」などといわれますが、作品にサラリーマンを登場させるのは、内向的な世界に社会の風を吹き込みたいといった狙いもありますか。
古井 これは面白いんですが、「内向の世代」といわれた人の経歴を見ますとね、三十代の半ば、どうかすると四十代ぐらいまで普通の会社で働いている。だからいわゆる社会派の人よりもずっと社会に対する実際的な体験が多い。そういう人間関係もよく見える人が内向的なタイプの作家になっているんです。いわゆる社会的発言と、社会に対する関心とは違うんじゃないか。「内向の世代」は社会的発言はしないけれど、社会のことはよく知っている連中です。
鈴木 とすると、サラリーマンを登場させるのは、別に内向的と言われる小説に、限られた読者以外の読者も呼び寄せようといったこととは無関係ということですね。
古井 僕は全然別なやり方でやろうとしています。そういうふうにストーリーをこしらえていくと、それ自体に縛られてしまう。それよりも「私」という枠をつくっておいて、これはあくまでも枠で、私小説の「私」とまた違う枠であって、その中でいろんな人物をその時その時に出して全体を見るという、そういうやり方のほうが有利じゃないかと思うのです。今度はそれを長篇でやってみようと思っています。「私」には完全に枠として退いてもらって、「私」をもう少し自由にするという感じで書いてみたい。
鈴木 近代小説的なストーリーでなく、日本の私小説でもなくて、しかし枠組みとして「私」がある小説ですか。
古井 もうちょっとしまりのない文章を書きたい。少し切り詰める癖がございますのでね、それを自分で少し抑制しようかと思っている。わけのわからないことも、出てきた以上はそんなに厳しく自己検閲しないで流しておく。表現として少しまだ不十分だなと思う文章でも、全体の中でどういう形になるかわかっていないんですね。作家自身が読めないわけだから、余りその場その場で厳しく校閲するようにしてものを書いていくと、非常に切り詰まって苦しいものになることがあるんです。
鈴木 さっき、年とともにフィクションから離れるとおっしゃいましたけれども、フィクションと随想的なものとが連句のように自由につながって、いろんな解釈ができるような、幅がある作品にしたいということでしょうか。
古井 年をとるほどフィクションから離れるというのが一つあって、もう一方では年をとるほど「私」から離れますよね。「私」ばかりじゃなくていろんなものがつけ加わっていますからね、人から聞いたこととか、親の人生とか、自分一人では考えられないことを考えている。それは年をとるとよくわかりますよ。自分というものも結構集合的な自我があってね、そういうのにまで声を出させてやらないと、文学はいけない。
鈴木 いつから始めるご予定ですか。
古井 まあ、春になったらまたピカピカの一年生でやろうかと思って(笑)。

(2002年3月11日取材)

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