老師ニシベ曰く、「ひどいじゃないの、岡部さん。初校をだすのにそちらは2ヵ月ちかくもかけて、そのチェックに、ぼくには10日くらいしかくれないの」
うーむ。仰せの通りでございます。しかし、そのくらいあの原稿にふさわしい字組み、体裁、本の仕上がりイメージを想定しての構成には時間がかかりました。師の物事の本質をつかむ思考、大事の際の判断、社会での人間としての作法など、若い人にこの面白さ・奥の深さを伝えたい一心で、ひたすら玉稿と格闘する毎日でした。戦争・平和・自由・伝統・家族・青春・老い・死・学生運動・転向・マルクス・ソクラテス・ハイデッガー・福澤諭吉など、119の問題設定。師は執筆をスポーツの如く進められ、あっという間に「解答」をくださった。「あとがき」には「老境に入った自分にあって知的運動神経が衰えきっているわけではないと知り、すこしだけ仕合わせを感じられた」とも。(師の「あとがき」の面白さには定評があり、本文より面白いという巷間の噂)。題して『学問』。
発案は『学問ノススム』でした。読者諸兄はこの引っ掛けがすぐにわかりますか。
実は、福澤諭吉の『学問のすすめ』と西部邁の邁(ススム)とをあわせた「笑える」タイトルでした。わからないよ、とか考えすぎ(!)が大方の意見でした。が、私はこだわった。学問の面白さ、「知るは喜びなり」を、福澤翁に勝るとも劣らない大思想家・老師ニシベが書き下ろすのだから「このタイトルしか考えられない」と師に申し出たところ、
「ぼくは、日本語として間違っているタイトルはつけられないよ」
うーむ、師、師よ!! 私のユーモアのセンスを世に開陳することは許されないのですね。さて、皆様、本著をお読みになって、どちらのタイトルが良いか是非ご一報くださいませ。
追記:本著は「あとがき」より本文が面白いことを、請合います!!
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