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『袋小路の男』の絲山 秋子さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)

絲山 秋子(いとやま・あきこ)
1966年東京都生まれ。90年早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。同年メーカーに入社し、2001年退職。03年「イッツ・オンリー・トーク」で第96回文學界新人賞を受賞。同作品は第129回芥川賞候補となる。04年「袋小路の男」で第30回川端康成文学賞を受賞。「海の仙人」、「勤労感謝の日」がそれぞれ第130回、第131回の芥川賞候補となる。著書に『イッツ・オンリー・トーク』、『海の仙人』がある。いま最も注目を集める新鋭作家である。




『袋小路の男』
講談社



『イッツ・オンリー・トーク』
文藝春秋



『海の仙人』
新潮社


石川 二〇〇四年はデビュー作『イッツ・オンリー・トーク』で幕をあけ、八月に『海の仙人』、そして今回の『袋小路の男』と絲山さんにとって輝ける一年になりました。
絲山 ありがとうございます。おかげさまでとても充実した一年だったと思います。
石川 今回上梓された『袋小路の男』は表題の「袋小路の男」と「小田切孝の言い分」そして「アーリオ オーリオ」の三篇の小説が収録されており、この三作は親密な関係にあります。「袋小路の男」は、袋小路に暮す《あなた》と《私》の、十二年に及ぶ《はっきりしない二人の関係》についての小説です。
絲山 「恋愛小説」というものはゴールがあるかのように思われがちですが、恋愛にゴールなんてあるのか、男女間には恋愛と呼べない位置関係もあるんじゃないかと思ったのが執筆のきっかけです。この二人は一種の膠着状態にあるとも言えるし、バランスがとれているとも言えます。そこに一個でも錘を乗っけたら二人の関係は壊れてしまうのじゃないかと思います。
石川 「袋小路の男」は第三〇回川端康成文学賞を受賞しました。この印象的な題名はすぐに浮かんだのですか。
絲山 書いているうちに自然に、これだ、という感じで出てきました。袋小路に住んでいるという事と、その人自体が行き詰っているという、二つの意味を掛け合わすのならそれしかないという事で決めました。
石川 「袋小路」という言葉は二人が留まる《行き止まりの世界》も連想します。
絲山 そう考えてもらってもいいと思います。
石川 続く「小田切孝の言い分」では登場人物は「袋小路の男」を引き継いでいますが、語りが一人称から三人称に変化しています。
絲山 「袋小路の男」の二人をもう一度登場させて、別の事ができるのではないかと考えました。単行本のエピグラフに、ロレンス・ダレルの『アレキサンドリア四重奏』から引いています。これは、同じ状況を一人称でそれぞれ別の書き方をした二冊の本があって、三人称の本が一冊あり、最後に続篇の一人称の一冊があるという全四冊の作品なんです。たまたま「袋小路の男」と「小田切孝の言い分」も似た関係にあって、エピグラフを読んだ方がなるほどね≠ニいう見方もあればいいなと思いました。それから「袋小路の男」一作だけでは登場人物の「小田切孝」は欲求不満になっていたと思います。一方的に書かれたけど俺にも言わせろ≠ニいう小田切の声が頭の中で蟠っていて「群像」に続篇を書かせてもらったんです。
石川 さて、三作目は「アーリオ オーリオ」です。単行本に収録するにあたり、前記の二作との《バランスがある》し《何でもいいと言うわけにはいかない》ため新たに作品を考えたと絲山さんのHP(ホームページ)の日記に書かれています。
絲山 恋愛作品はやめようとか、自分である程度枷を作って「袋小路の男」や「小田切孝の言い分」とよく響き合う小説を書こうという事で出発しました。
石川 主人公・松尾哲は清掃工場の《清潔で空調が効いた》制御室で働いています。哲の内面をも描出しているこの仕事場は初めから考えていたのですか。
絲山 一番最初に「東京で、静かな場所で働いている、あまり喧しくない男」を書く事を決めていました。それで、どこで働いているのがいいのかということを考えまして、火力発電所というイメージもありましたが、清掃工場を選びまし。
石川 「東京で静かな場所」の職業というと美術館の学芸員とかを手軽に考えてしまいます。絲山さんは、火力発電所にしても清掃工場にしても、巨大なエネルギーが爆発する隣の「静かな場所」を設定しています。そこが凄い。
絲山 それは、私がメーカーに勤めていたので工場というものをある程度知っていたことが大きいと思います。清潔でとても静かな場所だと確信して取材に伺いました。
石川 哲は姪をプラネタリウムに連れて行きます。やがて手紙のやりとりが始まり、姪は「アーリオ オーリオ」という星を作ります。そして哲は宇宙の終焉について考えます。哲が呟く《終わりというのは、いかなる意味でも時間のことではないか》という言葉には、どのような意味があるのでしょうか。
絲山 物事が始まったり終わったりするのは時間があるからなんです。宇宙の終焉についての本を調べてみると、宇宙が無くなった後も時間はあるのですか≠ニいう一般の人からの質問に対して、科学者は宇宙が終わる時には時間も終わります≠ニはっきり答えているんですね。それが私には非常にショッキングでした。
石川 三作品に響き合うものとは何でしょうか。
絲山 「位置」「距離」「時間」です。「袋小路の男」で書いたのは位置なんですね。「小田切孝の言い分」で距離の事を書きました。二人を書かないと二人の距離は書けないので。「アーリオ オーリオ」では登場人物と宇宙との距離、時間を書きました。宇宙では距離と時間は共通です。
石川 ここで作家「絲山秋子」についてお尋ねしたいと思います。HPのプロフィールには一九九九年に《小説を書き始める。》とあります。
絲山 最初は暇つぶしで、身の回りの事をエッセイ的に書いてみようか、とか、よく知っている人の事を書いてみようか、という程度から始まりました。突然思いついてギターを買ってきて弾いてみたり、いきなりジョギングを始めるのと全く変らないきっかけです。でも、書いてみたら面白かったんですね。
石川 それは内容が面白かったのですか。
絲山 書くという行為が面白かったんです。続けるうちにある時フィクションが書けるようになりました。それは実在する人の事を書いていて、途中でその人のことを殺してしまったんですけど、死んだ後の事も延々と書き継いだんです。それが書けた時に、フィクションを書き続ける事ができるのなら賞に応募してみようと思ったんです。それから何度か新人賞に応募しました。全然、掠りませんでしたね、どこにも(笑)。
石川 ではデビュー作「イッツ・オンリー・トーク」での文學界新人賞はいきなりの受賞だったのですか。
絲山 はい。それ以前は一次選考とかも一度も通過してないです。
石川 以後、絲山さんの仕事には「編集者」という存在が参加します。HPの日記では《編集者というのは凄い。話し合っているうちに、自分がやりたかったことが判ってしまう。》とあります。それは会話をする事で絲山さん自身が「言葉」や「イメージ」を確認しているのではないでしょうか。
絲山 そうですね。私が思いつくまま言った言葉を編集者はとても上手に整理をしてくれます。すぐに使える物と少し時間を置く物を整理して返してくれるんです。それを見て自分の中からまた足りない物が出てきます。そんなやりとりをして作品に向かっていくんですね。
石川 作品はどのように書いていくのですか。
絲山 小説によって書き方が違います。例えば「イッツ・オンリー・トーク」は台詞が先に出てきました。映画の脚本のように台詞と場面を書いた物にだんだん地の文を膨らませて行きました。『海の仙人』はまず映像がありました。頭の中の舞台に、立っている男が見えて、その男にカメラが近づいて行く感じです。そうすると男が喋り出したり、考えている事が見えてきたりするんです。
石川 『イッツ・オンリー・トーク』収録の「第七障害」はとても好きな作品です。その中に《順子は篤を見つめた。篤はゆっくりとまばたきをして、順子を見返した。》という描写があります。ここにはゆっくりとまばたきをする特別な「時間」があり、それを見つめることができる特別な「距離」が表現されています。
絲山 ありがとうございます。「第七障害」はあまりインタビューなどでも触れていただくことがなかったものですから、作品を気に入っていただけて凄く嬉しいです。
石川 最後に絲山さんの仕事場についてお尋ねします。日記を拝見しますと執筆する場所の一つに、「いつもの店」というのがしばしば登場しますが、どんな店なのか、また誰が居るのかも書かれていなくて実に神秘的な場所に思えます。
絲山 落ち着く場所なんでしょうね。例えば「袋小路の男」のモチーフは前々からあったけれども、書いてみると冗長で冴えない小説だったんです。でも「いつもの店」であっ私とあなたで書けばいいんだ≠ニ気付いて真っ白な状態から書き改めたんです。それからは早くて、二週間足らずで書き上げました。「いつもの店」は、そこへ行くと行き詰っていた小説が動き出したりする場所なんです。

(10月22日 東京・文京区の講談社にて収録)

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