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『さよならバースディ』の荻原 浩さん
インタビュアー 大島 一洋(編集者)

荻原 浩(おぎわら・ひろし)
1956年埼玉県生まれ。成城大学卒業。広告制作会社勤務を経て、97年『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞して作家デビュー。上質なユーモアに富んだ文章には定評があり、現在注目を集める作家の一人。2005年、若年性アルツハイマーを患う50代男性の不安と苦悩を描いた『明日の記憶』で第18回山本周五郎賞を受賞した。主な著書に『神様からひと言』、『母恋旅烏』、『誘拐ラプソディー』、『僕たちの戦争』等がある。




『さよならバースディ』
集英社



『明日の記憶』
光文社



『神様からひと言』
光文社文庫



『オロロ畑でつかまえて』
集英社文庫

大島 この小説は「東京霊長類研究センター」という架空の施設が舞台です。そこで、バースディと名づけられたボノボ(別名:ピグミーチンパンジー)に言語を習得させるプロジェクトが行われており、そのプロジェクトが進行する過程で事件が起こります。今回の小説『さよならバースディ』を執筆されたきっかけについてお聞かせ下さい。
荻原 昔から、サルに言葉を教えるという話に興味がありまして、頭の片隅にテーマとしてぼんやりあったんです。いつか小説の題材にできないかと考えていたのですが、やっとその機会がきたということです。
大島 取材はどのようにされたのですか。
荻原 京都大学霊長類研究所というのが愛知県の犬山市にありまして、二〇〇二年の夏に一般公開されたんです。それに二泊三日で参加してきました。あとは文献ですね。分野が限られてますので、だいたいのものは読んだつもりです。
大島 現実には、どの程度研究が進んでいるのでしょう。
荻原 小説の中のバースディが習得した単語は九十四、数字は一から十までとなっていますが、アメリカにいるカンジという名のボノボは、約千語習得しているそうです。ココというゴリラも千語以上の手話を覚えているそうです。文法は理解してないけど単語を並べて文章をつくる、というところまではいってるみたいですね。現実の研究はかなり進んでいますので、それをそのまま小説として描いてしまうと、ウソっぽく思われてしまいそうなので、小説に登場させた動物は子ザル程度にしておきました。
大島 ボノボというのはチンパンジーにそっくりで、知能も高く性格もおとなしいサルなんですね。
荻原 ええ。ですから、バースディは人間の二、三歳程度の聞き取り能力がある天才ザルという設定にしたんです。アメリカにいるカンジの研究を参考にしてはいますが、小説の中の実験で使われた人間と会話するためのキーボードやディスプレイ装置というのは、僕が想像してつくったものです。
大島 こういう研究は二十世紀初頭から始まっていて、手話を使った方法などが研究された後に、現在では積み木パズルに似た道具を使用したり、レキシグラムという図形語などの手法が用いられているそうですね。
荻原 はい。カンジもそうです。簡単な星印からロゴマークのような複雑なものまで使っているそうです。手話の場合ですと、観察者の主観が入ってしまったり、サルの手が人間ほど柔らかく動かないという難点があるようですね。
大島 小説の中では、知的障害児の言語教育システムを開発するためにこのプロジェクトが始められたことになっており、ある財団法人が資金援助をしていますが、実際の学問的評価というのはどうなんでしょうか。
荻原 学問的には脇に追いやられている感じで、あまり評価されていないようです。ことにキリスト教文化圏の人たちは、サルと人間を同列に扱うのが不満らしく、邪道っぽく思われている。単なるトリックだとか、訓練による条件反射だとかいう否定派の学者も多い。見世物扱いされることもあります。日本でも、サルに言葉を覚えさせることに学問的価値はない、という考え方が現在では強くなっているようです。
大島 小説のストーリーについてお聞きしたいと思います。センターの中で、二人の人間が自殺します。ひとりは、若い研究者である主人公をプロジェクトに引っ張った助教授。もうひとりは、主人公の同僚の研究者であり、恋人でもある女性。この二人は本当に自殺だったのかどうかを、バースディと単語を交わしながら突き詰めていく、という展開は面白いですね。
荻原 実はバースディの習得単語を九十四語と最初に決めていたものですから、執筆中はかなり苦労しました。その九十四語の中にストーリーの進行上都合のいい言葉を入れることもしませんでしたし。そんなことをすれば、読者にばれてしまう危険性がありますからね。結末は最初に決めていたので、そこにたどり着くまでの過程をどうつくり上げるかは、本当に大変でした。
大島 結末には驚かされました。
荻原 ありがとうございます。この作品はミステリーの形をとってはいますが、実は書きたかったことは別にありまして、それは、人間は動物のことを好きだと思っているけど動物から人間をみるとどうなのか、動物は人間のことを果たして好きなのか、ということです。人間は動物に対して、勝手なストーリーをつくって必要以上に感情移入してしまう。バースディは、人間に翻弄される哀しい存在なのではないか、という部分を出したかったんです。
大島 動物と人間の関係がメインに描かれていますが、大学の中の勢力争いや、財団からの寄付金の不正運用の問題、それを暴こうとするジャーナリストなども盛り込まれています。
荻原 サルと人間のことを書くと同時に、それに対比させて、人間同士のコミュニケーションも書きたかったんです。実験動物のことについても、自然に帰せと主張する研究者を登場させて、問題提起したつもりです。
大島 前作の『明日の記憶』(山本周五郎賞)では、若年性アルツハイマーがテーマで、人間が記憶を失っていく物語です。今回は、覚えるのはサルですが言葉を習得していく物語で、逆の設定になっています。
荻原 それはまったくの偶然です(笑)。実際、『さよならバースディ』の連載をスタートしたのが『明日の記憶』より先でしたし。本になる順番がたまたまこうなったんですね。
大島 荻原さんは『オロロ畑でつかまえて』で小説すばる新人賞を受賞してデビューされたわけですが、ユーモア小説作家というイメージが強くありますね。
荻原 そうですね。最初にああいう作品を書いたものですから、ユーモア作家と思われてしまったようで、その後も同じような作品の執筆依頼が続いたんです。
大島 ところが四作目の『噂』は全く違った作品です。
荻原 ある編集者がミステリーを書きませんか、と言ってきた時、「シリアスなものでもいいですか」って聞いたんです。それでOKをいただいて書いたのが『噂』という小説です。
大島 作風の違いにびっくりしました。七作目の『コールドゲーム』もシリアスな作品ですね。
荻原 自分はユーモアだけじゃないよ、という思いで書いたんですけど、途中でギャグをちりばめたくなるんです(笑)。ここでちょっとユーモアを入れちゃおうかな≠ネんてつい考えてしまうものですから、その気持ちを抑えながら書いていました(笑)。
大島 日本近代文学の伝統としては、シリアスなものが好まれるという傾向が強いですから、ユーモア小説ファンというのは決して多くはないですよね。読者に受け入れられるまでというのは、大変だったと思うのですが…。
荻原 僕自身の中ではユーモア小説という意識はないんですね。普通のストーリーを読者に面白く読んでもらうにはどうすればいいか、ということを常に考えていて、次のページをめくってもらうためのきっかけを盛り込んでいるだけなんです。それがユーモア小説だと言われれば、そうか僕はユーモア作家なのかと思うだけで…。日本の小説は、笑わせる部分が少ないような気が僕にはするんです。だからちょっと笑わせるだけで、すぐユーモア小説ととられてしまう。そういう部分については首を傾げたくなりますね。
大島 最近、さまざまな媒体で荻原さんの連載を拝見するのですが、現在、何本ぐらい連載をお持ちなんですか。
荻原 今は月刊誌三本に季刊誌二本を執筆中です。二年前に専業作家になったばかりなので、執筆依頼を全部受けてしまったんですが、最近ちょっと息切れしてきました(笑)。
大島 でもこの先、荻原さんの著書が五冊は刊行されることになりますから、読者としては楽しみです。
荻原
 そう言っていただけると嬉しいです。連載は大変ですけど、頑張っていきたいと思ってます。

(7月20日 東京・大田区にて収録)

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