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志水 辰夫(しみず・たつお)
1936年高知県生まれ。雑誌のライターなどを経て、81年に『飢えて狼』でデビュー。巧みなプロットと濃密な文体で、熱烈なファンを獲得する。86年『背いて故郷』で日本推理作家協会賞、90年『行きずりの街』で日本冒険小説協会大賞、2001年『きのうの空』で柴田錬三郎賞を受賞。主な著書に『ラストドリーム』、『裂けて海峡』、『男坂』、『暗夜』、『あした蜉蝣の旅』上・下、『生きいそぎ』、『負け犬』、『道草ばかりしてきた』等がある。 |
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『約束の地』
双葉社
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『ラストドリーム』
毎日新聞社
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『行きずりの街』
新潮文庫
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『きのうの空』
新潮文庫
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大島 この度の新刊『約束の地』は、祖父を眼前で殺された主人公・渋木祐介の凄絶な人生を描いた大作ですが、一〇〇〇枚という長編小説は、志水さんとしては初めてですね。
志水 そうです。でも連載が終わった時点では一五〇〇枚ちょっとあった。それを削ったんです。
大島 なぜ長くなったのですか。
志水 テーマが壮大過ぎたのかもしれない。最初は、人間がやってきたロクでもないことを、できるだけ盛り込む大叙事詩にしたかった。だけど、自分の思う通りにならないこともあって、本筋からはずれる部分を、ばっさり削りました。まあ、手を広げ過ぎたから、こうしてまとめることができたとも言えます。
大島 削ったうえに、書き直しもあったでしょうね。
志水 第一章以外はすべて書き直しました。一ヵ月くらい温泉にこもったかな。
大島 日本、イギリス、フランス、トルコと広範囲に展開しますが、キーになるのはトルコです。なぜトルコを選ばれたんですか。
志水 トルコは東西文化の接点でしょ、昔から興味があったんです。それと、ノアの方舟が漂着したという伝説のあるアララット山が好きで、そこを舞台にして書いてみたいと、ずっと思ってました。まだ誰も書いてなかったからね。
大島 トルコの現地取材はどれくらいされましたか。
志水 十日間くらいですね。観光地は全然行ってません。アナトリアとアララット山周辺が中心です。はじめは治安がよくないからと聞かされてたんだけど、向こうで聞いたら、行けますよと。
大島 レンタカーを借りてですか。
志水 いや、バスです。トルコはバスの交通網が発達している。編集者と通訳と三人で回りました。
大島 それで、アララット山には行かれたんですか。
志水 近くまで行きましたけど、春だったから、頂上は雲がかかってて見えない。富士山より高い五〇〇〇メートルの山ですからね、夏じゃないとだめみたいです。
大島 アルメニアが登場するきっかけは取材の成果ですか。
志水 そう。最初はアルメニアは視野に入ってなかった。アナトリアへ行って、はじめてトルコとアルメニアの確執、虐殺事件を知ったわけです。欧米では有名な事件らしいんだけど、日本では知られていない。
大島 遺跡をご覧になったんですね。
志水 アニの遺跡へ行ってびっくりした。平坦な土地なんだけど、石ころだらけの中に崩れた建物、教会や城が廃墟になってる。あれは凄かった。
大島 それで事件を調べたわけですね。
志水 日本へ帰って調べてみた。ところがほとんど資料がないんですよ。国会図書館に一冊あったのを全部コピーしたり、アルメニアについては日本の第一人者という先生の講座に通ったりして、なんとか背景をつかんだ。欧米にはかなり資料があるらしいけど、日本ではなじみがない。勉強しました。
大島 『約束の地』を読んで初めて知りました。アルメニアがどこにあるか、知っている日本人は少ないんじゃないでしょうか。読者も勉強になると思います。
志水 アララットというのはアルメニア語で、トルコではアール・ダウって言ってますね。日本の地図ではアララットと表記されていますがね。
大島 ところで、この小説は主人公が0歳から五十三歳までの話ですね。時代的に言えば、一九四五年の敗戦の年から始まって、一九九八年までです。二章までは日本が舞台ですが、あとは主人公がヨーロッパへ飛んでしまう。
志水 一種のビルドゥングスロマン(成長小説)として読んでもらえればと思いますね。それも「負」のビルドゥングスロマンです。
大島 「負」のですか。
志水 そうです。正しく美しい成長小説とは言えませんから、マイナスの成長小説。
大島 第一章から四章までは「ぼく」という一人称で語られ、第五章から三人称に変わりますね。この構成の意図はなんでしょうか。
志水 前半は、ストーリー展開上、主人公を自分に引き寄せるために一人称にして、後半は、全体のまとめに入るという形で三人称にしました。
大島 読んでいて気づかない読者もいるかもしれませんが、うまく構成されてると思います。
志水 そうならいいけど。
大島 個人と民族が、三重構造になった復讐譚とも読めますね。
志水 そこまでは意識してなかったですけど。ただ、こうは言えると思う。自分にとっていいことは、他者にとって必ずしもいいとは限らないということ。正義とか正しいことというのは、いったいどこにあるのか、ということです。時代や情勢が変われば、すぐ引っくり返りますからね。
大島 個人や国家のアイデンティティを描く、という考えはありましたか。
志水 自分は個人的には強烈な日本人だと思っていますが、それをあまり表に出してしまうと、国際関係ではいい結果を生まないでしょう。民族も宗教も入り混じっているというのが、一番理想的なんですがね。
大島 でも、現実はそうはいかない。
志水 いかないですね。イスラエル、パレスチナ、イラクを見れば明らかだし、トルコとアルメニアだって、これからどうなるか分からない。結局、エゴイズムですね。民族、宗教、ナショナリズムのエゴです。政治をやる連中にとっては、それは必要だろうけど、普通の人間にはどうなんだろうか。
大島 主人公の出自についてもそのあたりを踏まえていますか。
志水 国籍だとか人種だとか宗教に縛られない人間の生き方を作るということですね。現実的には不可能かもしれないけれど、小説だから、それができる。小説にできることはそういうことだと思います。
大島 望みをつなぐという意味ですか。
志水 私自身は、正直言ったら絶望しているんですよ。作っちゃ壊し、作っちゃ壊しで、廃墟だらけでしょ。人間はいったい何をしてきたんだ、というむなしい感じを持っています。しかし、小説としては、そう書いてしまっては意味がない。
大島 タイトルの「約束の地」という言葉にそれがこめられているわけですね。
志水 「約束の地」が、人間にあるかどうか。つまり、人類に未来があるか、ということです。
大島 次に、文体についてうかがいますが、丁寧に書かれていますね。
志水 読みやすさということでは昔より考えています。分かりやすければいいとは思わないけれど、変に凝った言い回しはしなくなりました。文章は演繹的にいくか帰納的にいくかでしょう。私は基本的に、部分から全体にいく、というスタイルです。
大島 「志水節」と呼ばれた文体をここ数年で意図的に消してきましたね。
志水 やっぱり色眼鏡で見られるのがいやなんですよ。同じパターンでやっていけば楽だし、読者も喜んでくれるかもしれないけど、実作者としては常に前を向いているつもりで、性格的に同じことはやれないんです。新しいことをするために、「志水節」はわざと消してきましたね。
大島 以前、自分は長編より短編のほうが向いている、とおっしゃってました。
志水 基本的には、今もそれは変わらないと思います。
大島 二〇〇一年から短編集が四冊出て、二〇〇四年は長編二冊です。
志水 短編で、これまでの自分の生きた時代をすべて吐き出した、という感じですね。連載もすべてやめました。私は今六十八歳ですが、これからは作家生活の第三期に入ると自分で勝手に決めました。来年中に、二冊書き下ろす予定です。
大島 長編書き下ろしだけでいくということですか。
志水 そうです。これからは、ストーリー・テラーとしてやっていきたい。そうなると「志水節」もこだわらずに出すかもしれない。
大島 それは楽しみです。『約束の地』の続編もあるんじゃないですか。最後にその布石もありますし。
志水 さあ、どうかな。できればやってみたいとは思ってるんですけどね。
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