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『父の肖像』の辻井 喬さん
インタビュアー 鈴木健次(大正大学教授)

辻井 喬 (つじい・たかし)
1927年東京都生まれ。本名・堤清二。東京大学経済学部卒業。父・堤康次郎の跡を継ぎ、理論派経営者の手腕を発揮する一方、詩人・作家として意欲的に活躍。主な著書に『異邦人』(室生犀星賞)、『いつもと同じ春』(平林たい子文学賞)、『群青、わが黙示』(高見順賞)、『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)、『風の生涯』上・下(芸術選奨文部科学大臣賞)、『井喬コレクション』全8巻、『桃幻記』、『深夜の孤宴』、『伝統の創造力』等がある。本書で第57回野間文芸賞を受賞した。




『父の肖像』
新潮社



『虹の岬』
中公文庫



『辻井喬コレクション』全8巻
河出書房新社



『風の生涯』上
新潮文庫



『風の生涯』下
新潮文庫


鈴木 辻井さんの作品にはこれまでにも親族をモデルにされたのがいくつかありますが、父親に本格的に取り組まれたのは今回が初めてではないでしょうか。
辻井 前に『暗夜遍歴』で母を書いて、『いつもと同じ春』で妹を書きました。こんどの父親で身辺をモデルにした小説は打ち止めだと考えていますから、それだけに作品としてよく仕上げなければと時間もかけました。少しずつ物書きとして経験を積んできていますので、『父の肖像』は、自分で言うのも変ですけれど、フィクションの部分も何とかうまく書けたかなと思っています。
鈴木 単純な伝記ではなく、息子の「私」が父を探求しながら伝記を書いていくという設定で、時間系列なども比較的自由に前後していますね。
辻井 入れ子細工のように二重、三重の構造になっていて、伝記かと思うと伝記でない、伝記でないかと思うと伝記で、実はなかなか複雑なんですよ。
鈴木 大隈重信とか五島慶太とか、周辺は全部実名で出てくるのに、親族だけは父が楠次郎、息子の「私」は恭次というふうに名前が変わっている。それは父親の内面にまで踏み込んで書こうとしたからだと思ったのですが。
辻井 日本では事実をそのまま書くのが伝記だという偏った考えがあります。そんなことは百パーセントありえない。秀れた作品もずいぶんありますが、経営者であれ政治家であれ、社会派的題材を扱う場合は、登場人物の内面をアニメーションのヒーローみたいに強い男にしか書いていないものもある。これは日本の近代文学の大きな落し穴ではないかと思います。決して矛盾など感じない、何もかも金次第みたいな人間、そんな人間なんて本当は一人もいないですよ。楠次郎は明治中期に生まれて、少年の頃、滋賀県の農村までをも巻き込んだ日露戦争に勝った勝ったという熱狂に駆られて、東京に出て偉くなろうと思った。その頃は立身出世が立派なことだという市民権を持っていたんです。日本全体に活力があった時代ですね。
鈴木 向学心と出世願望が一体になっていて、事実、教育を受ければ出世できた。
辻井 そう、努力すれば立身出世できた時代。今は出世をしたら、どんな悪いことをしたの、と言われる(笑)。これは大きな時代の変化です。停滞した社会になってしまったということでしょう。書いていてつくづく時代の差を感じました。次郎は相当な努力家で、中学も高校も出ないで大学を受験する資格を取って、早稲田大学に入ります。そして永井柳太郎さんの知遇を得る。その時に手紙を送ってるんですが、その内容がきわめてストレートで、無邪気で、一生懸命なんです。それで手紙のほかに、赤蕪も送ったんです。
鈴木 湖国産の赤蕪漬を尊敬する永井教授に贈るんでしたね。
辻井 そうです。で、永井さんを通して大隈重信大先生にも認めてもらう。後の本人のイメージにはそぐわないんですが、みんなから尊敬を得るには学術的な本くらい書かなければと思いこむと、一生懸命勉強して『日露財政比較論』なんていう本を出す。読んでみると結構大上段に振りかぶっていて、そこが面白い。やっぱりこれも一生懸命な本なんです。
鈴木 『父の肖像』を読んで強く感じたのは、一家一族が繁栄するよう努めなければならないという意識の強さ、これも今の時代の考え方とは大分違いますね。
辻井 そうです。それは結構しつこく書いたつもりなんですけれど、書き終わってもまだ不思議な感じが残りますね。どうして一家の繁栄が、あんなにも生涯信じて疑わない価値観でありえたのか。神経と精力をそれに集中する。危機に直面した時にも、楠家を救わなくてはという気持ちが支えになっているんです。これは私の反省にもつながるんですけれど、浅薄な戦後育ちの私とすれば、あちこちに女性をつくり、子供をつくった父の自己弁護ではないかと考えたんです。でも彼は真剣だった。世の中が変わって人権蹂躙だと言われてしまいますが、彼としてはそんなはずはないというのが死ぬまでの信念だったでしょうね。でも、さすがにそれは言いにくくなっていて、父も辛かったのではないかと思います。今になってみると。
鈴木 次郎はいろんな事業をやって、あくどく儲けた部分もあったかもしれませんが(笑)、政治家としては理想があって、事業は自分の理想とする政治のための資金作りと考えていたところもあるようですね。
辻井 理想はありましたね。そして、それが変質していく。だから父を書きながら時代の中に分け入ることで、逆に日本が総体的に見えてくる気もしました。
鈴木 たとえば満州進出なども、軍部が暴走したことは事実だけれども、国民にもそれに呼応するような高揚した気分があったと思うんです。
辻井 国民的高揚ですよ。五族共和っていうのも本気でそう思っていた。
鈴木 この小説にも登場しますけれど、たとえば石原莞爾のような人は、理想に燃えた人ですよね。
辻井 僕はこれを書くために、石原莞爾の全集なんていう分厚い本を読みましたよ。立派な男です。左翼の人たちは、あれは許すべからざる侵略者だと言いますけれど、それは左翼の立場であって、それはそれで正しいのですが、文学的に見たら、もっとも魅力的な男の一人です。イデオロギーだけで人物をとらえたらいかんということですね。同じようなことを言った右翼的な人でも、くだらない、唾棄すべき人物もいます。お前、石原莞爾を評価するなんて変節したな、もはや進歩主義者じゃない、といったフラットな現実だけがまかり通る時代は淋しいですね。
鈴木 次郎は、百姓でなければ本当の民権はわからないと主張し、元老の支配や藩閥政治に対抗する。これは当時としてはラジカルですよ。
辻井 そうなんです。次郎のおかしいところは、ラジカリストなんだけれども、それを突き詰めていくと楠家が危険になることまでは考えない。そこは無邪気なところでもあるし、魅力的なところでもある。一方に斎藤隆夫みたいに立派な政治家がいて、あの時代に反軍演説を一時間半もぶっているんですね。よほどの思想性がなければ、そんなことはできませんよ。
鈴木 しかし結局のところ、次郎は斎藤隆夫の除名に賛成してしまう。
辻井 政治家として、生涯の痛恨事だったでしょうね。でも楠家を守り、支えるためには一票を投ぜざるをえなかった。そのつらさを恭次のような若造はわからない。だから次郎は孤独だった。かわいそうです。
鈴木 革新派に押されて衆議院議長になり、結果的には保守政治家になってしまう。
辻井 転向ですね。でもあの頃はお国のためという価値観があったんですよ。今はそのお国がどうなってしまったのか怪しいんだから、辛いところです。
鈴木 それにしても家長の父に反抗し、共産党にまで入党したことのある恭次が、議長秘書になって、妾と一緒に宮中に参内した次郎を攻撃しようとした「婦人新聞」と交渉して記事を抑えたり、鉄道会社が手形詐欺に引掛ると一芝居打って手形を取り戻したり、東急グループとの箱根開発戦争を終わらせるために暗躍したりと、なかなかの辣腕ぶりですね。
辻井 ああいう話はほぼ事実ですから、嫌な才能ですね。知恵が出ちゃうんですよ、その場になると。書いていて本当に嫌らしい男だなっていう感じでしたね。
鈴木 時代の流れを鋭敏にキャッチしてセゾングループを大成長させた井喬さん、というより堤清二さんの経営者としてのご活躍も宜なるかなと思いました。でも、それと同時に、そういう人物が詩を書いて、議長秘書をやりながら処女詩集を出す。
辻井 立身出世主義が市民権を持っていた時代だったらバカの骨頂ですよ。だから父親は、どうしてお前は自分から世捨て人みたいなことをやるんだと認めてくれない。しかも息子が世俗的な駆け引きに成功すると、あいつには用心しろと周囲に言い触らしたりする。今回の小説を書いて、人間、何をしたらいちばん鬱屈しないか、それを考えて職業を選ばないといけないと思いましたね。父の場合は結局、土地を中心にした開発事業です。政治では鬱屈したものが溜まっていたんじゃないかな? 私の場合は、やっぱり小説を書いていれば鬱屈しないんですね、読者は鬱屈するかもしれないけれど。だから後輩の経営者たちには申し訳ないなと思いますよ。いろいろ批判されたりして苦労しているのに、こっちはこんなに自由でいて。だけれど、結局はそういうことなんだなァ…。
鈴木 ところで辻井さんは、おいくつになられました?
辻井 七十七になりました。
鈴木 とてもそうは見えません。失礼ですが髪は染めていらっしゃるんですか?
辻井 いえ、よく見るとかなり白髪がありますよ。でも物書きとしてはいよいよこれから中堅作家になるところですから、老けていられないんです(笑)。
鈴木 これから中堅作家ですか(笑)。どんどんお書きになってください。

(10月12日 東京・銀座にて収録)

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