長年親しまれてきた内藤濯訳『星の王子さま』は、一九五三年刊行以来じつに六百万部の大ベストセラー。しかし、いかに名訳といえども、五十年の時間の経過には勝てません。翻訳は必ず古びる、それは宿命なのです。
『星の王子さま』は当初岩波少年文庫で出ていたせいもあり、一般的には子ども向けの本であると理解されてきました。内藤訳への対抗上、新訳のほとんどが「大人の物語」を謳って新味をアピールしているのはその証です。しかし、原作はそんな単純なものではありません。子ども、大人、そしてその双方という、三重の読者層を設定した手の込んだ物語なのです。逆にいえば、この複雑さを感じさせないほど、作者サン=テグジュペリの技が巧みだということですが、翻訳者はこの点を読み誤ってはなりません。
単語レベルなど部分的に時代と合わなくなった箇所があることは否めませんが、内藤訳はいまもって優れた訳業といえます。新訳は屋上屋を架すわけですから、訳者には相応の覚悟と資質が必要になるはずです。しかし、多彩な新訳が出そろうなかで逆に浮彫になったのは、作者の意図に忠実な翻訳、いわば次代の定番訳の必要性ではないでしょうか。
物語内容もさることながら、挿絵の素晴らしさも『星の王子さま』の大きな魅力です。カラーの再現はもとより、レイアウトはじめ造本上細心の注意が必要となります。たとえば最後、王子さまがいなくなる場面、砂漠に王子さまのいる絵と無人の砂漠の絵が続きます。仏語原書では一頁を繰ることでこの二枚が対応するよう視覚的に計算されていますが、訳書のなかでこの点に意を払ったものは見当たりません。些細なことですが、こうした繊細な配慮の積み重ねが作品の魅力を生んでいるともいえるのです。
一作品の訳書が十を超えて並ぶなどということは空前絶後でしょう。読者には多くの選択肢が用意されています。世評に惑わされず、自身で読み比べてみられたら面白いと思います。
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