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Interview インタビュー

『下町ロケット』 池井戸潤さん

インタビュアー 石川 淳志(映画監督)

「新刊ニュース 2011年10月号」より抜粋

池井戸潤(いけいど・じゅん)

1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒業後、旧三菱銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)に入行。95年に独立し、コンサルタント業などと並行して執筆活動に入る。98年『果つる底なき』で第44回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。2007年『空飛ぶタイヤ』で第28回吉川英治文学新人賞候補、第136回直木賞候補。09年『オレたち花のバブル組』で第22回山本周五郎賞候補。10年『鉄の骨』で第31回吉川英治文学新人賞を受賞、同作は第142回直木賞候補ともなる。2011年『下町ロケット』(小学館)で第145回直木賞受賞。近著に『民王』(ポプラ社)、『かばん屋の相続』『シャイロックの子供たち』(共に文春文庫)他多数。(※ ドラマ「下町ロケット」のつくだ製作所のユニフォームを着た池井戸さん)

下町ロケット

第145回 直木賞受賞作

『下町ロケット』

池井戸潤著
小学館

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かばん屋の相続

『かばん屋の相続』

池井戸潤著
文藝春秋(文春文庫)

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オレたち花のバブル組

『オレたち花のバブル組』

池井戸潤著
文藝春秋(文春文庫)

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民王

『民王』

池井戸潤著
ポプラ社

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鉄の骨

『鉄の骨』

池井戸潤著
講談社

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空飛ぶタイヤ 上・下

『空飛ぶタイヤ』上・下

池井戸潤著
講談社(講談社文庫)

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シャイロックの子供たち

『シャイロックの子供たち』

池井戸潤著
文藝春秋(文春文庫)

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── 第一四五回直木賞受賞おめでとうございます。


池井戸  ありがとうございます。賞を頂くことが決まってから周囲の反応が大きいので驚きました。僕の田舎の役場に垂れ幕がかかったとか(笑)。取材も多いし、『下町ロケット』がドラマ化されてWOWOWで放映される関係で記者会見や番組に出たりと、慌ただしく過ごしています。

── このたびの受賞は時代の機運や要請があったと多くの読者が思っています。


池井戸  雑誌の連載は二〇〇八年から一年あまり続き、本が上梓されたのが昨年の十一月です。作者としてはすでに区切りがついていた作品で、受賞も冷静に受け止めた部分がありましたが、こんな時代なので読んだ方が「元気になった」と言ってくだされば嬉しく思います。先日、小説の舞台である「佃製作所」に、技術力とものづくりスピリットに富んだ大田区内企業に与えられる「大田ブランド企業」の認定をいただきました。架空の企業が貰うのは初めてのことだそうです。

── 『下町ロケット』はロケット開発の研究者だった佃航平が実家の佃製作所を継ぎ、企業経営者として宇宙への夢に再挑戦する物語です。発想の動機を教えて貰えますか。


池井戸  『週刊ポスト』での連載が決まって打ち合わせをしたときに、大田区を舞台にした話を書こうと決めたんです。大田区を中心とした京浜工業地帯は「小さな部品からロケットまで」といわれています。大田区の町工場それぞれの技術を結集して大型ロケットを造って飛ばす、そんな夢のある話を構想しました。しかし、いざ企業に取材すると、「それは無理だ」と。あきらめずに話を訊いていくと、特許を取得したロケットの部品ならあると分かり、これなら物語が作れそうだと構想を練り直しました。中小企業は作った部品を採用して貰うのが大変なんだそうなので、その過程を中心に書きました。

── 池井戸さんの得意な群像ドラマでもありますね。


池井戸  この作品は人物が五十人くらい登場します。登場させた全ての人物に対して、現実の人と同じように敬意を払って書きます。『下町ロケット』に限らず群像劇で大切なのは、人物たちが物語をなぞるように操られる予定調和にはしないようにすること。結末までの過程が大切で細心の注意で書かなければなりません。この作品は、最後はロケットが飛ぶ、ということだけを決めて細かいプロットは決めずに連載に臨みました。場面場面でそれぞれの立場の人間が状況に応じてどう振る舞い何を言うのか、ほぼアドリブで書いていきました。

── ロケットに必要な新技術の特許をめぐって、社長の佃と営業部長の唐木田の意見が対立したとき、経理部長の殿村が「どっちの選択が十年先の佃製作所にとってメリットがありますか」と問います。


池井戸  実は唐木田の主張は全くの正論で、作者が論破できなかった。下手をすれば連載が中断するのではないかという正念場だったんです。どうやって納得させるのか──ピンチの瞬間でした。若い社員は目先の利益を考えがちですが、企業はその先も存在するわけです。殿村の言葉は十年後のビジネスの広がりを経営戦略的に考えた問いです。結局佃は殿村に助けられましたが、殿村のおかげで物語が進み、作者も助けられました(笑)。

── 殿村は取引銀行から出向している社員で、彼が佃製作所での居場所を見つけ出す物語でもありますね。


池井戸  最初は遠慮がちな存在だったのが、物語を通して佃の頼りになる一社員に成長していきます。殿村は女性読者の人気が高いんですよ(笑)。

── 佃製作所と敵対する大企業・帝国重工でも宇宙開発部部長の財前と部下との軋轢を描き、物語に奥行きを与えています。


池井戸  そこが企業小説なんでしょうね。人間関係をどのように書くかが見所だと思うんです。実際にあった経済事件を、企業名を変えて書いた小説は過去にありましたが、企業自体を題材にした小説らしい小説はなかったと思うんです。避けたいのは読者に「難しい」と言われることです。読者が主人公と一緒になって泣いたり笑ったり怒ったり出来る小説が面白い小説だと考えています。それを、読者に馴染みの薄い銀行や企業を舞台にして書いたのが、僕の小説の特徴ではないかと思うんです。

── 『オレたちバブル入行組』で《カネは、会社にとって血液と同じだといわれている》と書かれています。池井戸さんの小説ではその「血液」を通して人間の実像を炙り出しています。


池井戸  行員時代、「お金が関わると人が変わるから気をつけろ」とよく言われました。普段は温厚だった社長が倒産すると豹変するから債権関係の書類はちゃんと押さえておけ、とか。お金って軽蔑されるけれど無くなると人は路頭に迷う。銀行はそのギリギリの紙一重で闘っているので最も人間の本性に近い部分が出てくる。それから銀行は「一階は地獄、二階は戦場」といわれるほど忙しい。一階の窓口は朝の開店から人が駆け込んできます。二階は外為や融資で会社の生死を別ける話が展開している。あっという間に昼になり夕方になり、気がつけば夜の十時なんです。借りに来るお客さんも必死だけれども、稟議を通して融資をする行員も必死なんです。双方取り繕っている場合ではない。その人がどんな品格なのか、むき出しになってしまう所でした。人の嫌な部分も見るし、そんな中で冷静に対応できる人も見ました。僕の小説は嬉しいことに銀行員のファンが多い。行員に「嘘が書かれている」と言われてはいけないと思って書いています。

── デビュー作の『果つる底なき』の伊木から『下町ロケット』の佃まで、意志を貫く反骨の人物が主人公です。池井戸さん本人が投影されているのではないでしょうか。


池井戸  僕はあんなに怒っていない、もっといい加減ですよ(笑)。でも仕事をする上で納得するまで動かないことはある。銀行では判子を押したら負け。捺印したら責任が生じるので、納得せずに判子を押して結果トラブルが起きても言い逃れはできない。ゴルフの石川遼選手が「納得するまでパットは打たない」と言っているのと同じです。

── 『果つる底なき』以来、財閥系の大企業と中小企業の対比の中でのドラマが展開しますね。


池井戸  大企業の中でのセクション同士の争いの物語もあるとは思いますが、面白みに欠ける。小さい企業が巨大な企業に挑むのはエンターテイメントの王道だし、ドラマの展開がわかりやすいと思うんです。小説の構造は単純なほうが読者は感情移入しやすい。

── プロットは作らずに書くとおっしゃいましたが、連載終了後の修正作業が重要な再執筆の場になるのではないでしょうか。


池井戸  今回の連載は一回十五枚前後で、書きながらその枚数の中で何となく山を作ってしまう。それが纏まって読み返すと違和感が残ります。もう一度、一冊の小説として読めるように大幅に削除したり加筆していく作業が必要になってくるんです。

── 膨大な数のビジネス書も書かれていますね。


池井戸  これは銀行を辞めてから小説家になるまでの二年ほどの間に書いたものです。小説とは違い、頭の中にあるものを迷いなくアウトプットしていったので時間は掛かりません。一日に百枚書いたこともありました。でも小説はそうはいかない。それぞれの人物に寄り添って言うべき台詞や行動を考え、読者に生きた人と思って貰わないと物語に没入して貰えません。小説を執筆する上で面白いところです。

── 『空飛ぶタイヤ』や『かばん屋の相続』など、実際にあった事件をヒントにした小説がありますが、面白いフィクションになりそうだという勘が働くのですか。


池井戸  どんな出来事でもエンターテイメントにする自信はありますよ。要は着眼点一つなんです。例えばこのインタビューの場でもエンタメになる(笑)。僕が聞き手の私生活に興味を持って、逆に質問をしてインタビューする側の秘密が暴かれていくとか。取材後に忘れられていたレコーダーから始まるドラマにするとか。インタビュー終了後にいざレコーダーを再生すると、全く違った音が録れていたことの謎を探るとか。エンタメにならないものはないんです。

── 今後の予定を教えてください。


池井戸  次は講談社から『ルーズヴェルト・ゲーム』が出版されます。企業小説にして野球小説です。『下町ロケット』が好きな方は気に入ると思います。それから『下町ロケット』の続編の構想もあります。佃製作所の技術が次に応用できるのは何か──。ヒューマンな企業小説になると思います。その後は歴史ミステリーが控えていますし、読者の目線を変えるような隠し玉も用意しています。楽しみにして下さい。


(八月九日、東京都千代田区・小学館にて収録)

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