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「新刊ニュース 2011年11月号」より抜粋
川上未映子(かわかみ・みえこ) 1976年大阪府生まれ。2007年『わたくし率 イン 歯─、または世界』が第137回芥川賞候補となる。同年第1回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞。08年『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。同年第1回池田晶子記念 わたくし、つまりNobody賞を受賞。09年『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞を受賞。10年『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。作家活動のほか、歌手としてアルバム『夢みる機械』『頭の中と世界の結婚』などを発表。女優として映画『パンドラの匣』で第83回キネマ旬報新人女優賞を受賞するなど、幅広い分野で活躍している。この度『群像』2011年9月号に一挙掲載された長編小説『すべて真夜中の恋人たち』を講談社より上梓。 |
── 『すべて真夜中の恋人たち』は三十四歳でフリーランスの校閲者・入江冬子と、五十八歳の三束との静かな恋愛の行方を綴った長編小説です。執筆の動機を教えてください。
川上
小説を書くときは、前作で出来なかったこと、積み残したものが大きく作用します。二年前に『ヘヴン』を上梓しました。あの小説に書かれた人たちは「物語」に出てきそうな人たちです。十四歳という年齢は特権的でイノセンスに守られている年代ですし、「ぼく」の身体的な特徴や、喋る台詞や置かれている特殊な状況とかも、小説的な説得力を持っている感じがしたんです。ある意味でエキセントリックな人たちを、あからさまではないにしても好んで造型してきましたが、今回はそういったことをしないで小説を書いてみようと考えました。今まで小説で、女性で主役たりうる人は「美しくて弱い」お姫様のような人とか「美しくないけど怪力の持ち主」であるとか、そこまで特徴的でなくても「母」や「娘」だったりなど、何かしら役割が付け足されているパターンが多かったんですよね。しかし現実では「美しくもなく強くもない」女性のほうがサイレントマジョリティーとして圧倒的にいらっしゃいます。今回は「美しくもなく強くもない」女性が主役として存在する物語を徹底的に書こうと思ったんです。もう一つ、わたしが常に小説で扱いたいもののモチーフの一つに「光」というものが漠然とありました。光について資料を読むと、人生や、命のようなものと相似だと思えるんです。人生はこれまでもあったしいま存在しているしこれからもあるだろうし、けれどいつしか終わってしまう。光も今こんなに満ちてあるのに最後まで残る光はないとか。また、いつも小説を書くときに「何で人生はこのようになっているのか」とか「何故強い人と弱い人がいて、弱い人は生き延びるのがこんなに難しいのか」とか、考えても詮ないことに囚われているんです。そういったモチーフが幾つか固まりだしたときに小説は動き出しました。
── 冬子の仕事は徹底的な裏方で「真夜中」と言う言葉を連想させますね。 川上 校閲という職業は、物語を読んではいけなくて正しさを目指しながら間違いをみつけることが宿命づけられています。これは、いずれ死ぬことを宿命づけられているけれど今を精一杯生きているわたしたちの人生そのものの矛盾を凝縮したような職業だと思いました。光というモチーフにも響きあうし、人生とも響きあうし、校閲という作業は引き裂かれていることが存在理由のような興味深い仕事です。日常で手紙を見ても何を見ても間違いを探してしまう、彼女の性格づけに効果的な職業だと思いました。引き裂かれながら抑圧されている彼女が、人生の中で恋愛という間違いなのか正しいのか、わからないものと出会ってしまう。それは燃える炎の先端の赤い所ではない青白い部分──でも一番温度が高いところ、そんな燃え上がりはしないけれど、低く低く不器用な人にしか判らないダイナミズムを丁寧に丁寧に書きたかった。 ── 文章に異常な緊張感が持続しています。 川上 わたしは作品の世界を上から見ているので、本当は三束さんのことをもっと書きたかった。三人称だったら書けるんですけど、今回は冬子の一人称で彼女の眼を通して描かれる世界です。彼女は男性のことがよく判らないから書くことが限られてくるんです。三束さんのショルダーバッグの角がほつれているとか、胸のポケットに何本もペンがささっているとか。自分の気持ちもはっきり言えない人だから情景描写で心理を代弁させるしかない。彼女の思弁以外のことを書くときは嬉しかったです(笑)。文章に緊張感があるとすれば彼女のパーソナリティを徹底した結果だと思います。 ── 今回でチャレンジしたことの一つに短い台詞のやりとりがありますね。 川上 それは冬子の造型に係わり、彼女を書くことに挑戦したことが大きいです。普段から言葉も少ないし、心を寄せた男の人とどう喋っていいか判らないし。冬子も三束も恋愛の経験がなくて下手だから喫茶店しか行かないんです。喫茶店での会話のリフレインは作品の肝になると思っていましたが、書いていてクライマックスの場面まで持ってくれるかなと不安の中で進めました。「はい」とか「ええ」とかしか言わない二人ですから。 ── 冬子は三束と出会う前に大手出版社の校閲局の女性社員、石川聖と人間関係を作ります。高校三年のときは同級生の水野くんと親密になる前に、早川典子と友達と呼べ る関係になります。異性のまえに同性というファクターがあるのは何故でしょうか。 川上 わたしの癖として肝要なものに行く前に一つ何かを入れてずらすことがあるんです。大事な本当の話をしたいのに言い出せずに話をずらす。直接いけない人間の恥じら いというのか弱さというか、それが好きなんです。 ── 聖は華やかで誰に対してもはっきりとものを言う性格という、冬子の対極に位置するような人物です。しかし彼女は自分の顔をしたみみずがひからびていく<Cメー ジが浮かぶと冬子に話します。 川上 彼女はそんな出所のわからないイメージを抱えている。聖はあんなに仕事を頑張って生を享受しているのに、どこかで冬子を羨ましいと思っている。闘わず選ばずにい る冬子を充足しているように見ている。冬子は冬子で、子供の頃草原のライオンを思い浮かべながら寝ていたと三束に言います。強い体と気持ちを持って、エネルギーに満ち た姿に憧れている。この小説には冬子、聖をはじめいろんな女性や男性が出てきます。何かを選んだり選ばなかったり、強かったり弱かったり、セックスしたりしなかったり して、対比とその差を描いているかのようです。でも社会的な意味において彼ら彼女らに本質的な差がなくなっていると思えたのです。差異ではなく均質化であることを書き たかった。今となっては聖のように女が社会に出て自己実現をしていることが幸せなのか彼女自身にもわからない。相対化が極まって皆が似てきてしまっている。光の照らさ れ方が違うだけで全部がみんなの問題である。そのどん詰まり感からどうすればいいのかという物語かもしれません。全員がすべて真夜中の恋人たち≠フ成就できない片割 れであるということに響きあってくるんです。それを登場人物の配置に託していて、十二月生まれで冬子とつけたし、クリスマスのきよしから聖、聖典から典子と命名してい ます。 ── 『わたくし率 イン 歯ー、または世界』の三年子や『ヘヴン』の百瀬たちなど、主人公を抑圧する人物が登場してきました。それは対立ではなくて入れ替わるものだし 、統合されうるものだと今回の作品ではっきりと書かれていますね。 川上 これはわたしが小説を書くときに不意に覗いてしまう風景なんですね。何度も出てきました。主・客はそれほど明確でないということでしょうね。 ── 川上さんの作品に特徴的な「薄暮」という時間が喫茶店の窓外の情景描写などで極められています。 川上 黄昏どきというのが好きなんです。この言葉は「誰そ彼」から由来するという説もあります。人の顔の見分けがつかなくなった時間は、この小説を支配する時間帯で、三束や冬子の区別も無くしていく、気持ちが溶け合っているような暗喩として薄暮は何度も出てきます。信号のランプも独特の光り方をしますし、一日の中の短い時間ですけ れどもきれいですよね、薄暮の時間帯って。 ── 構成を立てて執筆するのですか。 川上 小説を書くときはプロットを作って臨みます。創作する場合に、登場人物が勝手に動き出して物語が思いがけない方向に展開するといわれますが、わたしはだからこそ登場人物を抑圧する書き方をしていました。『ヘヴン』のときまでは人物が自由に振舞うことは許さないという立場で書いていました。何故ならば、人物が勝手に動き出すような有機性はそれがなくても読者は勝手に読み取るであろうし、書き手としては登場人物の恣意的な逸脱を楽しんではいけないのではないかと、自分に課していた部分があるんですね。今回もプロットを作りましたが、書いている最中で変化した部分をはじめて許可しました。 ── 今後の執筆予定を教えて下さい。 川上 今回で遣り残したことがじわじわと集まってきているので、また長編小説をしっかり書こうと思います。次は皆がよく判るような大きなダイナミズムを書き、今回の小説とは対極にあるような事をしたいなと考えています。出来るだけ早く皆さんに読んで頂けるように精進したいと思います。楽しみにしていてください。 (九月二十二日、東京都港区にて収録) |
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