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「新刊ニュース 2012年3月号」より抜粋
北尾トロ(きたお・とろ) 1958年福岡県生まれ。ライターとして様々な分野で活躍。2003年、雑誌で連載した裁判傍聴記をまとめた『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』を上梓。同作はベストセラーとなり、これまでに漫画、ドラマ、映画、舞台の原作となる。他著に『駅長さん!これ以上先には行けないんすか』『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるかデラックス』『裁判長!死刑に決めてもいいすか』『裁判長!これで執行猶予は甘くないすか』など。“ポストに届く分厚い手紙”を標榜するノンフィクション専門誌『季刊レポ』の編集・発行人もつとめる。この度朝日新聞出版より、自身の青春時代を舞台にした初の小説『中野さぼてん学生寮』を上梓。 |
── 『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』などで知られる北尾トロさん初の自伝的小説『中野さぼてん学生寮』が刊行されました。どのような経緯での執筆だったのでしょうか。
北尾
朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』に、一九七〇年代後半、僕が大学の一年から二年にかけて学生寮で暮らした体験をノンフィクションで連載していたんです。連載中はこの回は笑わせてやろうとか、オチをつけようとか、山場をつくろうとか、全体の流れよりも一話ごとの面白さを優先して書いていたんですが、いざ一冊に纏めるとなったとき、ストーリー性よりもエピソードが際立ってしまうことに気づきました。半年ほど試行錯誤を重ねるうちに、僕をモデルとした主人公の伊藤を中心に、群像劇の「小説」を書いた方が自由に書けるし収まりがいいとわかり、大幅に削除と加筆をしていきました。しかし小説を書くのが初めてのことなので、要領が判らなくて結構苦しみました。例えば、旅行の写真でアルバムを作る際、頑張って撮った写真やいい写真ばかりを残したいと思う。でも傑作写真が一枚あっても、他の写真から浮いていると結局アルバム全体がおかしくなる。小説も同じような感じ。書き進めるうち、何を選ぶかではなくて、何を捨てるかが大事だとわかってきました。
── 伊藤は随所で亡き父を回想しています。父の存在はノンフィクションの連載中から濃密にあったのでしょうか。 北尾 実際に入った学生寮が、父親が勤めていた会社の家族向けの寮だったので父のことに触れてはいました。しかし父は僕にとっては当たり前の存在だったので、ノンフィクションでの連載中はそれほど登場しなかったんです。自分のことを書くのは照れくさいし、湿っぽいのは好きじゃないし。小説に変えるに当って、亡き父の縁で寮にお世話になっている違和感や、長すぎた反抗期に考えを巡らせて親父の挿話を増やしたのは確かです。カラッとしたものを書きたいのに、事実はカラッとしていないので書きあぐねましたが、ノンフィクションから小説に変えたおかげで、逆に本当のことが書けました。ノンフィクションだと「事実」という枠があるので、書きたくないことは初めから書かないものです。小説の枠を借りれば読者はそれほど気にしないで読むと考えられたので、自由度が上がりました。 ── 連載では入寮から寮の退出で括ることは決めていたのですか。 北尾 決めていました。 ![]() ── 小説のもう一つの軸に「みちる」との恋の行方があります。 北尾 当時周りでは同棲する人もいたのに、僕はデートといっても喫茶店で話をするくらい。これといって深く付き合った訳でもないのに、ふられるときはしっかりふられたりする。あんな弱弱しい恋愛、もやもやする中学生のようなことは二度と出来ないですね。 ── 寮の隣の部屋に住む「コバさん」は、遊戯に終始しますが、憂いを秘めているようにも感じます。 北尾 そんなことはないですよ(笑)。モデルにしたのは真面目で平凡な変人です。見た目が老けた感じなのに言動は幼児性が出てくる人でした。連載途中から、しばしば小説や漫画で言われるように、キャラクターとしてのコバさんが勝手に動き出してきたんです。そこからはコバさんに任せて書いていきました。 ── ユーモアあふれる語りで物語は進みますが、大学の同級生「小島」は学生運動に身を投じ、絶えず公安の追跡に怯えている、暗い一面を持った人物です。 北尾 そんな奴がいたんです。当時の学生運動は試験を潰したりはしましたが、運動自体は下火だったのに彼は志願して参加した。でも段々と様子がおかしくなる。部屋に閉じこもっていた訳だから、今で言うと鬱のような状態だったんでしょうね。 ── カフェ研の「栗崎」は、大学生活を執行猶予期間と割り切って「悩みがない」と言い切る人物ですね。 北尾 彼は割と豊かな農家の倅で、家を継ぐ交換条件で大学に行かせて貰ったようです。 ![]() ── 物語の中盤で、伊藤は父の死をきっかけに「人間は虫だと思う」ようになったと語りますね。これは北尾さんご自身が考えていたことですか。 北尾 当時から思っていましたし、今でも変わらず思っています。親父が死んでも誰も気にしないし、世の中は変わらないし、人が虫のように見えて仕方がなかった。シラケ世代と言われるように醒めていた。でも、そこまで捻くれるのは、実は親父を意識していたからでしょうね。高校生のときは自分が正しくて親父は間違いだと考えていたのでコミュニケーションがなかった。死んだ後に親父のことが判ってきたんです。それから父のことがちょっと好きになっていきました。 ── さて、ベストセラー『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』シリーズは漫画やドラマ、映画、舞台にもなりました。 北尾 これも最初は雑誌の連載でした。それまで裁判の傍聴はしたことがなかったんですが、二、三日通うと面白くなってきた。検事も弁護士も判事も被告人も、みんな真面目にやっているのに芝居がかっているように見えた。犯罪者は悪人と思われがちですが、実際裁判を見ると被告も原告も善だか悪だかどっちとも言えないような事件が多い。犯罪の背景を知ると感情移入してしまったりする。正義感ではなくて野次馬、冷やかし根性で始めたのに、たまたまマニアの傍聴人と知り合ったこともあって、奥深い世界へ入り込んでいきました。ずぶの素人からマニアックな傍聴人への成長記にもなっていると思います。 ── 北尾さんの仕事はジャンルが多岐にわたっていますが、ベースにはどのような考えがあるのでしょうか。 北尾 マニアやすれすれにいる人が大好きですが、 ![]() ── 北尾さんはノンフィクション専門誌「季刊レポ」の編集・発行人をされていますね。 北尾 ライターってある種知らない世界を紹介する翻訳家みたいなものですよね。「レポ」ではそんな原稿を載せたいなと考えます。出版不況と言われていますが、作家やライターが有料のメルマガを発行したり様々に動いている。僕の場合は紙媒体を主に通販で届けるスタイル。分厚い手紙をポストに届ける感覚です。やる以上はフォロアーが出てきてほしい。何か始めれば何かリアクションがくる、そのリアクションにこちらが反応することが出来る。そうやっていくうちに面白いことが始まっていくんです。 ── 小説を書いた手ごたえと、今後の展開を教えていただけますか。 北尾 小説はこれまで知らなかったすごい道具を手に入れてしまった、という感じです。面白かったので、書き続けたいなと思います。僕は明日から麻雀合宿に行くんですよ。大の大人が二泊三日で麻雀をし続けるんですが、この合宿が二十年続いている。めちゃくちゃ面白いんですけど、これはノンフィクションでは面白さが伝え難いと思うんです。小説なら二十年連続という枠を使って、そこに色んなエピソードを入れていけば面白く出来るのではないかと思います。僕は書斎にこもって資料を駆使するよりも、色んなところに行って、色んな人に会ったり何か体験してそれを下地に書いていくタイプなんです。今はうどんに燃えている。うどんライターになりたいんです(笑)。うどんについて考えて、うどん旅をして日本の小麦文化を知りたい。うどんって威張ってなくていいじゃない、気さくで「求道」がそぐわないでしょ。うどんではいくつか企画があって書きたいものがあります。楽しみにしてください。 (一月十九日、東京都杉並区にて収録) |
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