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「新刊ニュース 2012年4月号」より抜粋
葉室麟(はむろ・りん) 1951年福岡県北九州市生まれ。西南学院大学卒業後、地方紙記者などを経て2005年『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。07年『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞し、絶賛を浴びる。09年『秋月記』が第22回山本周五郎賞候補。09年『いのちなりけり』、同年『秋月記』、10年『花や散るらん』、11年『恋しぐれ』がそれぞれ直木賞の候補となる。他著に『散り椿』『無双の花』『冬姫』『星火瞬く』『橘花抄』などがある。この度、五度目の候補となった『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞。 |
── 直木賞受賞おめでとうございます。受賞の感想をまず教えてください。
葉室
ほっとしました。もうこれで直木賞候補にならなくてすむのが一番嬉しいです。候補にしていただくのは有難いことですが、自分だけでなく、周りの人が受賞を期待するでしょう。期待に応えられなかった申し訳なさが、候補になるたびにありましたから。
── 受賞作『蜩ノ記』は、どのような経緯で書かれたのでしょうか。 葉室 担当編集者のリクエストは「武士の矜持と覚悟を読みたい」のひと言だけで、そこから考えました。僕自身は六十歳になるところで、いよいよ還暦となると、残り時間をとても意識するんですね。ごく自然な感覚として「あと十年の命」と感じ、その十年をどう生きていくかは切実な課題でした。武士の矜持に繋がるか分からないが、あと十年をいかに生きるかを、ひとりの武士の問題として書いてみたらどうだろうと構想しました。 ── 選考委員の浅田次郎さんは、「これまでの作品で『ここが至らない』とされた点を堅実に改め、これまでにない完成度に仕上がっていた」と、『蜩ノ記』について講評されました。 葉室 今回は完全なフィクションで、史実に縛られずに自分の思いをストレートに書きましたから、ご指摘を自然に反映することができたのかもしれません。 ![]() ── 北九州に位置する架空の小藩、羽根藩が舞台ですね。 葉室 歴史時代小説を書く者にとり、藤沢周平さんという大きな存在が先達としていらっしゃいます。藤沢さんと僕に共通項があるとすれば、小規模の新聞社で働いた経験があることです。小さな組織で働いていた僕は、小さな藩の中での抗争を描いた藤沢さんの作品を近しく感じて、大好きでした。小さな組織内の濃密な人間関係や、そこにいる人たちに視線を注ぐことは大事だし、思いを描きたい気持ちがありましたから、今回は架空の小藩を舞台にするのが適切かと思いました。 ── 羽根藩の元郡奉行・戸田秋谷は、七年前、前藩主の側室と密通した罪に問われ、家譜の編纂と十年後の切腹を命じられた。幽閉生活を送る秋谷のもとに、二十一歳の檀野庄三郎が遣わされて、物語は始まります。 葉室 若い人が、年上の人物を訪ねる設定にしようと思いました。若い人が、尊敬に値する先達を訪ねるのは大切なことで、秋谷と庄三郎の関係から伝えたいと思いました。この小説を書き上げた後、秋谷を訪ねた庄三郎の姿は、記録文学作家の上野英信さんを訪ねたかつての自分の投影だったと気がつきました。僕は大学四年の頃、上野さんをお訪ねした経験があり、青春時代の一番きれいな思い出として残っています。秋谷の家の周りの山は、筑豊炭鉱のボタ山。農民が一揆の相談をしているのは、炭鉱労働者が争議を計画しているところ。農民の子の源吉は、石炭ガラを拾い集めて親を助けていた昭和の子どもの姿。若い人物を登場させたことで、僕の中にあった青春時代の思い出が現われて、物語の骨格になっていった流れはかなり不思議なことでした。六十歳の僕が、書いている間はずっと若い庄三郎の気持ちになっていました。 ── 現代において、武士の矜持を書かねばならないというお気持ちはありましたか。 葉室 きちんと責任を負う、逃げない生き方は、いつの時代も大切だと思います。日本人の心のありようが結実した存在として「武士」をとらえ、自らの役割を自覚した人物像を、ひとりの武士の姿として表現しました。 ── 同じ武士でも、秋谷を目の仇にする家老の中根兵右衛門は清廉とは言い難い。 葉室 人間の役目というのは、関係性の中で生じると思います。社会にはバランスというものがあると、秋谷は分かっている。家老に怒り、農民たちと一揆を起こしたら英雄になるかというと、やはり反作用が起きて、多くの悲劇を生む。人間の社会は、わずかずつ進んでいくしかない。その現実に即したバランス感覚は必要で、分かって行動するのが、真の大人のありようだと思います。藩というのは、企業に似ています。企業の中も、矛盾や、理解しがたい出来事が数多くある。 ── 幽閉中でも、秋谷の家族はすごく温かい。その家族のありようが、庄三郎をはじめ、周りの人に影響を与えていく。 葉室 家族は社会の基本だと思います。結婚しているかどうかではなくて、自分にとっての身近な関係性を大事にすることが、社会を大事にすることに繋がる。歴史時代小説を書くことは、現代を書くことだと思います。たとえば現代の親子関係は、児童虐待など殺伐とした話が日常茶飯事です。今の世の中だから仕方がないと思うのではなくて、そうでない親子関係が過去に見いだせるのだから、もう一回、自分たちを信じてみようよと。この小説で、関係性が変化していくのは秋谷と庄三郎の間柄だけだろうと思ったら、女性たちの変化も書くことになりました。ささやかな支えというのは実は大きな支えで、それぞれの人生に影響を与えるものです。 ── 主に九州を舞台に、辛い状況に立たされた人物の物語を書き続けておられます。 葉室 五十歳くらいから歴史時代小説を書き始めて、デビュー作「乾山晩愁」からテーマが「晩年の憂い」でしたが(笑)、やはりそれが僕のテーマなんです。もっと大きく言えば、「失意と、失意からの回復」。五十年以上、人生を生きると、避けがたく傷ついているものです。あの時、あの選択をしてよかったのかと、人生のいろいろなパターンを見つめ直すようにして小説を書いています。地方にいると、歴史の断面なり、人のかたちなりがくっきりと見える。「地方を舞台に、敗者の物語を書く」とよく話すのですが、歴史的にみて敗者でも、実は負けていない人を書いている。きちんと自分の価値観を持って一生懸命に生きたのであれば、あなたは絶対負けていないよと。それは、僕自身が言ってもらいたいのでしょうね。「自分らしくありたい」というのも、僕のテーマのひとつです。依存せず、自分の価値観で生き方を選択していくことが、自立ではないかと思います。 ── 小説に書くことで、ご自分として確かに自立していく感覚がありますか。 葉室 自立するというより、果たせなかった夢を追いかけている感じです。どうしたら夢が果たせたのかと考え、小説を書いては、ひとつひとつ探っている。書くことで夢を果たせなくとも、今もって夢を描いたり、模索したりする生活のありようは、それはそれでいいかなという気はしています。 ── 二〇〇五年のデビュー以来、二〇作近くの作品を刊行されていて、大変な健筆だと思います。 葉室 残り時間を考えますし、僕は単行本で本を出すことにこだわっています。 ![]() ── 『蜩ノ記』は、直木賞受賞が決まる前から反響が大きかったそうですね。 葉室 刊行後まもなく増刷がかかり、小説に書かれた思いをこう受け止めたという読者の声が多くて、これまでの作品と手応えが違うと思っていました。思いをこめて書きましたから、部数にも反映するかたちで届いていくのは嬉しいことです。皆さん、こんな地味な話をよく読んでくださる、有難いなと。 ── 今後の執筆予定を教えてください。 葉室 推古天皇からマッカーサーまで≠キャッチフレーズに歴史小説を書いてきましたが、東日本大震災が起きて以降、今の日本で、人の思いを描く大事さをひしひしと感じています。これから一、二年は、フィクションの力を捉え直し、人の思いを描く仕事がしたい。だから、完全なフィクションの『蜩ノ記』で直木賞をいただけたのは本当に有難いです。この方向で良いと言ってもらえたので、励みにして書いていきます。九州で仕事に専念して原稿だけ送らせていただき、静かに過ぎていく日々が望ましいですね(笑)。 (二月十六日、東京都千代田区・祥伝社にて収録) |
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