『ケルベロスの肖像』の海堂尊さん
インタビュアー 青木千恵(ライター・書評家)
「新刊ニュース 2012年8月号」より抜粋
海堂尊(かいどう・たける)
1961年千葉県生まれ。千葉大学医学部卒業。医学博士。外科医、病理医を経て、現在、独立行政法人放射線医学総合研究所・重粒子医科学センター・Ai情報研究推進室室長。2005年「チーム・バチスタの崩壊」で、第4回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞。翌年、同作を『チーム・バチスタの栄光』と改題して出版し、作家デビュー。同作から続く「チーム・バチスタ」シリーズは現在まで5作品が発表され、大人気シリーズとなる。2008年『死因不明社会 Aiが拓く新しい医療』で第3回科学ジャーナリスト賞を受賞。他の著書に『螺鈿迷宮』『ブラックペアン1988』『医学のたまご 』『日本の医療この人を見よ』『ほんとうの診断学 「死因不明社会」を許さない』などがある。この度、「チーム・バチスタ」シリーズ最終巻となる『ケルベロスの肖像』を宝島社より上梓。
── デビュー作『チーム・バチスタの栄光』から始まった「バチスタ」シリーズが、いよいよ長編第六弾の『ケルベロスの肖像』で完結します。大人気シリーズの完結にあたり、感想をまず教えてください。
海堂 書き終えるまでは死ねないと、いつも胸に引っかかっていたシリーズを完結させました。もっと解放感があるかと思っていたら、むしろ虚脱感を覚えています(笑)。
── 完結までの経緯を教えてください。
海堂 実は、六作で完結することは、僕にとって「バチスタ」シリーズの終了と、「崩壊三部作」の決着をつけることの、二重の意義があります。六作目のラストについて、僕はデビュー前の時点ですでに構想していました。デビュー前、〇五年の二月から三月にかけて『チーム・バチスタの栄光』を、六月から七月に『螺鈿迷宮』を書きました。その次に「Aiセンター」を題材に長編を書き、「崩壊三部作」によって文壇を席巻しようともくろんでいたのです(笑)。ところが、Aiセンターの話を書く矢先に『バチスタ』でデビューが決まり、受賞後第一作を『螺鈿迷宮』にせず、『ナイチンゲールの沈黙』と『ジェネラル・ルージュの凱旋』を書くことになりました。デビューしてすぐに「バチスタ」シリーズの三作を仕上げ、僕の小説の展開を考えました。「バチスタ」シリーズは、最初の三作の表紙を黄、青、赤の三原色にしました。そして第四弾『イノセント・ゲリラの祝祭』の刊行が決まったとき、続く三作は緑、オレンジ、紫の補色にして、ふたつの三角形があわさって星のかたちになり、シリーズを閉じたらきれいだなと(笑)。なおかつ、六作でシリーズを閉じる際に、「崩壊三部作」の決着もつけたいと考えていました。
── すべての小説の舞台をひとつの世界に統一し、つながりを持たせながら、単独でも楽しめる作品になっているのが海堂ワールドの特徴です。別のシリーズも手がけつつ、七年がかりで六作完結に至ったわけですね。
海堂 そもそも「崩壊三部作」とは、東城大医学部付属病院の紹介とチーム・バチスタ≠フ崩壊、東城大と因縁がある碧翠院桜宮病院の紹介と崩壊、そして光(東城大)と影(碧翠院)がぶつかりあった先での、Aiセンターの崩壊を描く構想でした。デビュー前からラストのイメージがありながら、機が熟さないと書けなかったですね。小説は、実際に文章にして書くことでイメージが固定されます。作品同士、かかわりあう部分がほんの一部でも、一方をすでに書き終えてイメージが固定されているかどうかで、別の作品に与える影響が違ってきます。『ケルベロスの肖像』は、『極北ラプソディ』と『スリジエセンター1991』の二作が固まった、いいタイミングで書くことができました。『ブラックペアン1988』に始まるバブル期の因縁話を仕上げた後でないと、「バチスタ」シリーズを閉じるのは難しかった。
── 現役の病理医として、死亡時画像診断「Ai(オートプシー・イメージング)」の導入を訴え、Ai絡みのトリックを思いついて書かれたのが『チーム・バチスタの栄光』だった。以降、Ai導入は、シリーズを一貫するテーマになりましたが、テーマを描ききれたか、手ごたえはいかがでしょうか。
海堂
解剖率わずか二パーセント台である死因不明社会の特効薬として、Aiの導入が絶対に有用だということは、何よりも言いたかったし、この作品でも強調しました。Aiの有用性は周知でき、実際の社会でも、Aiはかなり進展しました。次の段階はAi診断の適切な社会導入で、専門の放射線科医がAi診断の質を向上させ、診断結果を遺族と社会にオープンにしていくことがAi導入の完成形です。Aiの重要性を訴える僕の仕事はほぼ終了です。
── 医療に関する現実の事件が盛り込まれているのも海堂作品の特徴です。今回も、Aiの読影で死因が虐待だと明らかになったエピソードがあります。
海堂 医療の最前線で得られた知識があるので、デフォルメして書きつつ、内容はかなり現実に即しています。Aiによって死因が虐待だと分かった事例が実際にある。子どもの肩の関節の中に、小さな気泡が入り込んでいるのがAiで見つかった。虐待で強く引っ張られて入り込んだわけですが、関節内の空気なんて、解剖だったら見つけられません。
── 日本の医療は、ここ数年のあいだに変化しましたか。
海堂 少し好転したと思います。人の世界ですから問題があるのは当たり前で、すべて思う通りにはならない。でも、どうしても通したかった事象が、僕にとってAi導入でした。デビュー後しばらく、十作目を超えるぐらいまでは、地域医療、産婦人科医療など、ワンテーマでひとつの物語を書いていました。それが『イノセント・ゲリラの祝祭』を最後に変質し、物語世界が要請するものを書くようになりました。『ケルベロスの肖像』には特定の医療問題の提示はなく、「バチスタ」シリーズを閉じるために必要な物語を書いた感じでした。いちばんドラマティックに終わらせるにはどんな演出をすればいいか、小説のテクニック上の問題で凄く悩みました。
── 最終作とあって、シリーズのキャラクターが続々と集結しますね。白鳥の部下になる砂井戸も珍妙なキャラクターで……。
海堂 砂井戸が気になるのは、どこかで似た人を見ているんですよ(笑)。砂井戸が白鳥に「セクハラだ」と言っているあたりは、書いていていちばん楽しかった場面です。シリーズものでキャラクターが定着すると、作者は楽ですね。キャラクターの人格が確立して、彼らや彼女たちが役割を自覚して滑らかに動いてくれる。唯一の例外が白鳥で、あいつだけはどうしようもないです(笑)。白鳥は、彼がいったい何をやりたいのかが分からず、御せない。場をめちゃくちゃにしたいだけなのかもしれない(笑)。
── あらかじめラストのイメージがあっても、予定調和にはならなかった。
海堂 ならなかったですね。デビュー前に考えた五十字くらいのあらすじは、考えた通りになっているんです。でも、あらすじの中味である小説自体は、デビュー前に思い描いていたものとは欠片も同じではない。僕自身が、こんな世界があると知らなかったですから(笑)。七年はあっという間で、最初の三部作を読み返すと、今はもうこの作品を書けないなと思います。そのときにしか書けないものしか書いていない。
── ただただ、楽しい物語世界を作り上げることが、願いなのだそうですね。
海堂
そうです。僕は横着もので、医療を題材にしたのは、よく知っている分野だったら取材をしなくても書けるから(笑)。デビュー前は、自分の本が世の中に一冊流通していたらいいなと思っていましたが、デビュー後は、自分の本を楽しく読んでもらいたい気持ちが強くなりました。書店で本をぱらっと見て「面白そう」と思ってもらうには、その人がどのページを見るか予測できないから、全部が面白くないといけない(笑)。小説を書くのは泳ぎと似ていて、自分がどんな格好で泳いでいるかは見えない。だから、書き上げた後の手直しが多いです。
── 〇八年に『新刊ニュース』に登場していただいたときから、世の中は変わりました。東日本大震災も起きてしまいました。
海堂 僕は震災直後に、医師会の視察で石巻に行きました。被災地の現実を見たら、書くことで復興に役立ちたいだなんて、おこがましくて言えません。それでも、「被災地の空へ DMATのジェネラル」という短編を書きましたし、『救命 東日本大震災、医師たちの奮闘』というノンフィクションの監修もしました。東日本大震災で、被災地の上空にドクターヘリが集結したのはやはり感動的な光景で、心が強く動かされたら、それは書きたいし、人に知ってもらいたいと思う。なぜ、医師たちが、震災であれほど現場に即応できたかというと、医師たちはいつも、個人的な被災を治しているからです。大怪我の原因が交通事故であろうと、未曾有の震災であろうと、患者さんにとって大変さは変わらない。医師にとっても、患者さんの救命は、原因がなんであれ同じです。ただ、自分の住居や家族が被災しているのに、仕事に尽くした医師たちの姿は、やはり凄いことでしたね。
── 今後の執筆予定を教えてください。
海堂 書きたいものを、書きたいときに、書きたいように書く姿勢はぶれず、医療に限らないテーマも手がけていこうと考えています。好きで書けそうなのは、剣道、将棋、麻雀かなと(笑)。剣道は『ひかりの剣』で書きました。昔から好きだった将棋の小説を、そろそろ書けそうな気がしています。
(六月六日、東京都千代田区・宝島社にて収録)