『暗転』の堂場瞬一さん
インタビュアー 青木千恵(ライター・書評家)
「新刊ニュース 2012年9月号」より抜粋
堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
1963年茨城県生まれ。青山学院大学国際政治経済学部卒。新聞社勤務のかたわら2000年、『8年』で第13回小説すばる新人賞を受賞。著書に「刑事・鳴沢了」シリーズ、「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズ、「警視庁追跡捜査係」シリーズ、「アナザーフェイス」シリーズの他、『沈黙の檻』『断絶』『異境』『ヒート』などがある。この度、朝日新聞出版より『暗転』を上梓。
── 長編小説『暗転』は、三百人以上の死傷者を出す惨事となった、列車横転事故をめぐる物語です。まず、この物語を書かれた経緯を教えてください。
堂場 この小説は、群像劇というスタイルへの関心から始まり、その後に、題材とテーマを構想しました。まず事故をめぐる群像劇にしようと決め、航空機事故よりも列車事故の方が、都市部で日常的に巻き込まれる可能性が高い、より身近な題材になる、と考えました。二〇〇五年にJR福知山線脱線事故があり、その数年前には、東京で地下鉄日比谷線の事故が起きています。それに車両故障や遅延も、小さな列車事故と言えますから。
── 朝のラッシュ時、満員の乗客を乗せた「東広鉄道」の急行電車が突如脱線、転覆し、事故発生後の緊迫した動きが描かれます。
堂場 今回のキャラクターは、これまで描いてきたような意志の強い人物ではなく、あえて皆、普通の人です。普通の人が事故に巻き込まれたらどうなるか、どんな心の動きをするかのシミュレーションを重視しました。個性がぶつかり合うのではなく、それぞれの置かれた状況がぶつかり合い、スパークするかたちです。実は、この小説を書き始める直前に、東日本大震災が発生しました。この小説で描こうとしていた、日常の中で想定外の出来事に巻き込まれる事態が、はるかに大きな規模で、現実で起きてしまった。この小説は本当は、結論を出さないまま終わるつもりだったのですが、書いているうちに、暗転したところからどう立ち上がり、日常を取り戻すのか? という話になっていきました。そのあたりは自分でコントロールできないところでしたね。
── 震災の影響を受けたということでしょうか。
堂場
現実に凌駕されて、当初考えていたものと違う話になりました。事故も災害も、いつ自分の身に降りかかるか分からず、昨日までと世界が一変してしまうことは起こりうると実感して、大きな出来事を境に、何かが違う、世界が変わってしまったという感じを、書き残しておきたいと思いました。直接被災していなくても、あの震災に対して何も感じないわけはなく、昨年書いていた小説は、いずれも何らかの影響を受けています。『歪』、『衆』、『暗転』、そして八月に出る『解』。自分の中で何かが揺らいで、以前の作品と微妙に毛色が異なる。どの作品にも共通する雰囲気として、安定性が揺らいだ≠ニいう言い方はできると思います。
── 事故では、今年四月、高速ツアーバスの大事故などが起きています。
堂場 想像もつかないような事故が起きては、原因の解明がなかなか進まず、時間だけ経っていくのが現実のありようです。そして一年後≠ネどと、時間軸を飛ばす話は好きではないので、短い時間軸で、小説としてどう決着をつけるかを考えました。特定の人物の視点だけではとらえきれない、大事故の全体像をいかに描き出すかが、今回の群像劇の狙いでした。地面を這いずり回るような人々の動きや心理を描きつつも、著者の気持ちだけは、若干、神の視点を採りました。事件をめぐる錯綜した動きを、すべて根こそぎ見せるためにどうしたらいいのかは、多くの作家が昔から悩んできたこと。また、何らかの原因を見いだしたとしても、どうしても納得し得ないものが残るのが事故です。
── この小説では、事故など不祥事が起きた際の、組織の問題も描かれています。
堂場 当初は、組織内が蜘蛛の巣のようになっていて、人物たちが絡めとられていく展開を考えていました。ただし、エンターテインメント小説ですから、ある程度のカタルシスが必要で、最終的なバランスをどうとるかがこの小説の難しいところでした。事故や不祥事が起こると、原因と責任の所在が追及されますが、すべての事実が明らかになる前に「事件」は収束していきます。膿み≠出すにしても、その組織をなくすわけにはいかない。この小説の後半は、東広鉄道の御手洗正弘が半ば主人公のようになっていますが、組織に属する人は、「社会正義」と「会社利益」との間に挟まることがあると思います。その会社利益が、その人の人生かどうか。
── 食品偽装事件など、最近、組織的な不祥事が目立っていると思います。
堂場
利益をあげる過程で、きしみや摩擦が生じることがあるとしても、七十年代に公害問題で騒然とした後、八十年代頃から、企業内部の問題が見えづらくなった気がします。組織的な不祥事や得体の知れない事故が噴出してきたのは、今世紀に入ってからじゃないですか。カジノで使い込むとか(笑)、組織犯罪以前の問題が起きたり、発覚すると開き直ったり、何がどう変わってきたのか、分析していかないと、と思います。業界により違う要因があるから、ひとつの事故の教訓をすべてに当てはめることもできない。しかし何かが劣化してきたような状況は、エンタメ小説だからこそ書ける、われわれエンタメ作家が頑張って取り組むべき題材だと思います。この小説では、今現在の空気を、架空の事故を通して描きました。大勢の人が何となく感じていることを、完全なフィクションとして提示するのが小説ではないかと私は思っているので。
── この小説を読んで、人生が暗転してしまった人のそばに、何か支え≠ェあるといいんだなと思いました。
堂場 何かあったとき、優しくしてくれる人がいてくれるといいし、やっぱり生きていかなくてはならない。いつどこで何が起こるか想像もつかないですが、生き残った人は、生きていくしかないのだなと思います。小説は、技術と気持ちの両方で書くもので、これまでの小説とテイストが違うと思われても、気持ちの揺れをすべて押しつぶして技術だけで書くわけにはいかなかった。予想外の脅威の前ではどんな人間も小さく、人間のエゴなんてたいしたことではない。東日本大震災の後の、自分の感情が直に出たと思います。
── 作家としては、「それでも書いていく」ところがあるのではないでしょうか。
堂場 そうなんですよね。「それでも生きていく」は、自分にとっては「それでも書いていく」とイコールだとも思い知らされました。地震が起きても、その後、小説を書かなかった日は一日もなかったですし。ただ、もっと視野を広くして、組織や社会の問題に踏み込んでいかなくてはという気持ちが強くなっています。何かもう少し、小説にできることがあるはずで、個人的に取り組んでいた小説を、より社会的なツールとしてどう展開していくかは、大きなテーマになりそうです。『暗転』では、事故をめぐる時間の流れを四日間と二週間後で切り、大事故の全体像を断面から描こうと試みました。『解』は、平成元年からおよそ二十年間を書いています。それほど長いスパンで小説を書いたのは初めてで、時間軸を入れて四次元的に書いてみたり、これからいろいろとあがいていくと思います。
── 『暗転』を読んで、今後は「巨悪」に立ち向かうような、大きなテーマに向かわれるのかと思いましたが。
堂場 その方向もありますが(笑)、来年はスポーツ小説で、一イニングで一冊書くという、非常に微視的で無謀な試みもします(笑)。勝敗よりも、微に入り細に入り、一イニングだけで一冊書くのが主眼です。世の中に興味を持ち続けているうちは、書きたいことが次々と出てきますから、ミクロとマクロの両方で、手法やテーマを変えていろいろやってみたいんですよね。『暗転』の手法には、手ごたえを感じました。世の中は、意志が強く個性的な人ばかりではない。平穏に生きたいのに、外的な要因で揺り動かされて揺らいでいる人の方がほとんどですから、あえて普通の人々を配した『暗転』の手法は有効だなと思いました。近い将来には、もっと大人数の群像劇も書いてみたい。普通の人がたくさん出てきて、なんとなくわさわさ揺れながら動いていく。そこから社会全体の揺れやうねりを描きだせたらいい。
── 今後の執筆予定を教えてください。
堂場
「ミステリマガジン」の連載がそろそろ終わり、年末から「週刊朝日」で家族をテーマに連載を始めます。来年は連載がかなり多くなりそうです(笑)。いろいろな題材に関心があるので、長期的には、作風が拡散していくと思います。五十代になるのに向けて、考え方は確実に変わりつつある。自分が変わると、書き方や視点が当然変わってきますから、四十代と五十代でどう変わるか楽しみです。先が読めない、どこに行くか分からない方が、自分でも面白く感じますね。長く激しく書いていきたいので、最終的な目標などはあえて決めずにやっていこうと思います。
(七月四日、東京都中央区で収録)