『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』翻訳者の亀井よし子さん
インタビュアー 石川淳志(映画監督)
「新刊ニュース 2013年2月号」より抜粋
亀井よし子(かめい・よしこ)
1941年東京都生まれ。文芸翻訳家。フィクション、ノンフィクションを問わず幅広い分野の作品を手がけている。訳書に『いつもふたりで』(ジュディス・カー作)、『口笛の聞こえる季節』(アイヴァン・ドイグ著)、『リップスティック・ジャングル』(キャンディス・ブシュネル著)、『ブリジット・ジョーンズの日記』(ヘレン・フィールディング著)、『魔女の血をひく娘』(セリア・リーズ著)、『人類、月に立つ』(アンドルー・チェイキン著)など多数。この度、講談社よりJ.K.ローリングの最新作『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』を上梓。
── 『ハリー・ポッター』全七巻が世界で四億五千万部を売り上げたJ・K・ローリング氏の新作にして大人向けの長編小説『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』が刊行されました。亀井さんが翻訳なさった経緯を教えていただけますか。
亀井 依頼を受けた時は「何故私に!?」と、非常に驚きました。女性の作者ですから女性の翻訳者という判断だったようですが、スケジュールがきつく、分量も多い。それに話題作でもあり、畏れ多すぎて一度は辞退したんです。しかし編集部からも粘られ三日四日考えて、やはり翻訳者の性でしょうか、お受けするべきだと判断しました。
── 『ハリー・ポッター』の読者が戸惑うような内容──、貧困、育児放棄、薬物、虐待、いじめ、性描写などが書かれています。原文で読んだときの印象はどうでしたか。
亀井 今作は大人向けで、『ハリー・ポッター』の世界とはまったく違う、と聞いていました。前情報で、ミステリだとか、ダークコメディだとか言われていましたが、実際は社会派小説の味わいの濃い作品でした。群像劇で沢山の人物が登場しますが、その整理の仕方が上手い。最初のうちは人物が多くて読むのが大変だと思うけれども、暫らくすると整理されてくる。沢山の小さな流れがまとまって大きな流れになっていくのはさすがだと思いました。登場人物も三歳半の男の子から六十代の男女まで、階級も中産階級から労働者、生活保護受給者までと、社会をまるごと捉えて、そこに住む人々の厳しい現実や心の内を、赤裸々に、しかしユーモアやウィットも交えて浮き彫りにしています。ところで、階級社会の抱える問題点を描き出すこの作品を書くにあたって、ローリングさんはあらかじめパグフォードの地図を描いたと言っていますが、私も訳しながら地図を描きました。丘が三方を囲んでいるパグフォード、隣にはヤーヴィルというパグフォードの人たちの仕事と娯楽の場があり、フィールズというスラムのような貧困住宅街、労働者階級が住む所が希望通り、それから街の首席市民ハワードが住む商業中心部、更に教会通りにある高級住宅地。それぞれの場所に登場人物たちを配置すると、住民が社会の階層を昇っていくプロセスが見えて、なかなか興味深いですよ。
── 物語はバリー・フェアブラザーの急死で、地方自治組織議会の議席に「突然の空席」が出来たことから始まりますね。
亀井 空席を狙うのは弁護士のマイルズと、中等学校副校長のカビー。二人は高学歴で知的職業に従事する中産階級です。そしてもう一人、印刷工場勤務のサイモンが労働者階級で出馬の意向を示します。マイルズたちとサイモンは明らかに階級が違います。
── 十六歳の五人の少年少女たち、アンドルーは父サイモンを、ファッツは父カビーを憎み、ガイアやスクヴィンダー、クリスタルは母親を憎んでいる設定ですね。
亀井
十六歳といえば、洋の東西を問わず、程度の差こそあれ精神的な親殺し≠する年齢ではないでしょうか。作品の少年少女たちは、それぞれ置かれた環境が厳しいから、感情はより激しく、根ざし方も深いのですが。この年齢の子どもが、男の子は父親に、女の子は母親に厳しい批判の目を向けるのは、成長の節目としてはごく自然で、むしろ健康的なことでしょう。そうした節目をきちんと踏むことで、人はちゃんとした大人になるのだと思います。物語の中で子供たちだけでなく、大人にも変化や成長が見られるので楽しんでいただける小説です。
── 思い入れのある人物はいますか。
亀井 それはもう圧倒的にクリスタル・ウィードンです。彼女は辛い境遇にあるのに強い。薬物中毒の母親テリとは喧嘩が耐えないけれど、何とか立ち直らせようと必死です。また、弟のロビーを母親のようにいつくしみながら世話をしています。同級生のファッツとは、一見、いきあたりばったりで不毛なセックスをつづけているようでいて、その関係にせつない夢を託してもいます。彼女が背負っていく運命は十六歳には重すぎます。
── この作品でローリング氏の意図はどこにあったかと解釈しましたか。
亀井 議会で、議員であり医師でもあるパーミンダーがハワードに向かって、医者としては言ってはならないことを口走って食ってかかるシーンがあります。ハワード自身は超肥満が原因でたくさんの病気を抱え、それでも節制しようとせずに、絶えず病院のお世話になっている。そのハワードが福祉予算の、もっといえば生活保護費の削減をもくろみ、受給者をののしるのを聞いてキレるのです。イギリスでは医療は無料で受けられるわけですね。福祉は貧しい人たちだけのものではない、裕福な人も医療費などで福祉の恩恵を大いに受けている。ことに、ハワードは病気の問屋さん≠ンたいな人ですから、これまで彼のために支出されてきた医療保険料は相当な額に達しているはずです。それをローリングさんは何よりも言いたかったのではないか、という気がしています。ローリングさんは今でこそ暮らしは裕福ですが、生活保護を受けながら『ハリー・ポッター』を書いたという自身の苦しい生活経験から、そういったことを実感していたのではないでしょうか。イギリスは今でも階級社会ですから、生まれながらの差別は厳しいのだろうと思います。
── 翻訳する上での苦労は。
亀井 限られた時間の中での作業はやはり大変でした。お昼頃にあがった翻訳を編集部にメールして、それから残りを仕事終わりの夜更けに送る、そんな日々が続きました。一通り訳し終わりブラッシュアップ作業の最後の三週間は、一日十五時間仕事をしました。そろそろ引退を考えていたのによくも体力が持った、集中力も保てたなぁ、と(笑)。最終的に千六百枚ほどの原稿になりました。また、原文が簡単な文章ではなかった点も苦労しました。ローリング氏の文章は挿入句がたくさんあり、一文が長いんです。読む上では特別に難しくはないのですが、どう訳していけば次の文章と有機的に繋がるか、その組み立て方が難しかったですね。いつもなら文章の冒頭から訳していくのですが、そうすると頭の重い日本語になってしまう。原文をうまく適当な所で切りながら、文章の最後が次の文章に連結するように加工するさじ加減が難しくて何遍も試行錯誤してみました。言語構造が英語と日本語では違うので、日本語にうまく持っていくことが難しかったですね。
── 亀井さんはどのように翻訳業に携わるようになられたのですか。
亀井
大学を卒業してすぐ商社に勤めました。非鉄金属部の貴金属を担当する部署にいて、相場を分析するために産地や消費地の政治経済の新聞記事を訳して顧客に提供する仕事をしていました。商社を辞めてからはナレーションの英訳や、医学論文の翻訳などをしていました。そうしたなかで三十代の後半に、同じ翻訳なら自分の好きな分野をしたいと考えました。当時は文芸翻訳を専業とする人はさほど多くなくて、大学の先生などがなさることが多かったのですが、たまたまその頃、翻訳学校が出来始めたので受講し、学校の事務局を通してハーレクインロマンスのトライアルを受けてパスし、二十冊ほど翻訳しました。同時期に、ボビー・アン・メイソンの小説『インカントリー』を自分の勉強のために訳していまして、版権を持っていたブロンズ新社に恐る恐る原稿を持って行ったら「出版しましょう」というお返事を得たんです。これが文学の翻訳デビューと言えるでしょうか。
── 翻訳作業はどのように進めるのですか。
亀井 先ず辞書なしで原文をざっと読みます。次に章ごと、ブロックごとに丹念に辞書を引きながら読み込んで、そこから少しずつ翻訳していきます。
── 翻訳する上で心掛けている点は。
亀井 それは簡単です。書いてある事を書いてあるように訳す。余計な手を加えない、言葉を間引かない、つまり解釈訳をしないことです。また、原文が使っている単語に拘る。何故この言葉が使われているのか、単語を調べるときは語源まで遡ります。それによって単語の持つニュアンスが判ってくるからです。
── 未読の方はもちろん、既読の方へのメッセージをお願いします。
亀井 この小説は三人称多視点で書かれていて、多くの人物の内面も地の文で書いています。その上で折々に各人のモノローグが挿入され、さらにマル括弧には作者の視点で過去の出来事を入れて書いています。小説技術を駆使して一つの町を丸ごと描き切りました。また読み出したら止められないストーリーテリングの巧みさに、読書の醍醐味を味わえるでしょう。辛い内容ですが、最終的には小さな希望の灯火がいくつかほの見えて、救われる思いになります。小説のラストシーン、そこに書かれるある場面はローリングの祈りが込められているはずです。この小説はキリスト教の文化が根っこにあるので知識を得ておいて損がないのは、洗礼を受けていない子供や、善人だけれどもキリスト教に帰依しなかった、あるいは接する事のなかった人は、死んでから天国と地獄の間にあるリンボー≠ニ呼ばれる場所に行って裁きを待つそうなんです。小説に「浄化された」と書かれている箇所がありますが、それはある人物の洗礼として表現されていることを想像していただくと作者の意図がより深まると思います。
── 今後の予定を教えてください。
亀井 今回の『カジュアル・ベイカンシー』の翻訳作業で中断していた、イギリスの女性作家レイチェル・ジョイスの小説で、まだ仮題ですが『ハロルド・フライのありそうにない巡礼の旅』が控えています。素晴らしい作品です、楽しみにしていてください。
(十二月四日、東京都文京区・講談社にて収録)